誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜

山田空

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23話

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​グレイヴ公爵家の舞踏会場は、華やかなシャンデリアの光と、人々の熱気で満ちていた。音楽と宝石の輝きが、かつてのエルナ様にとって重苦しかった世界そのものだった。

​レオンとエルナが会場に入ると、一瞬、ざわめきが起こった。

​「あれが、レオン・ヴァイスハルト……あの、冷徹と噂される元侯爵家側近が領主になったのか」

「隣の女性は、あの**『追い出された侯爵家の娘』**ではないか?」

​好奇と嘲りを含んだ視線が、エルナに集中する。

​エルナは緊張で、一瞬呼吸を忘れた。だが、すぐにレオンの存在が、彼女を包み込んだ。

​レオンの姿勢は完璧で、その黒い装いは、周囲の華やかさの中でひときわ異質な静けさを放っていた。彼は、周囲の視線や囁きを一切無視するかのように、微動だにしない。

​「お気になさらないでください、エルナ様。彼らが発する言葉は、すべてノイズです」

レオンの声が、エルナの耳元に、静かに、しかし力強く響いた。

​エルナは深く息を吸い、レオンの腕に置いた手にわずかに力を込めた。レオンはそれに応えるように、その手に確かな温もりを返してくれた。

​公爵への挨拶を終え、二人で会場の端に立っていると、一団の貴族が近づいてきた。その先頭にいたのは、エルナの記憶から消し去りたかった人物だった。

​元婚約者、ユーリ・クレメンス子爵。

​彼は相変わらず高慢で、優雅な笑顔の裏に冷酷さを隠している。彼はエルナが侯爵家を追われた後、すぐに別の貴族の娘と婚約し、その華やかさを得意げに誇示していた。

​ユーリは、レオンとエルナの前で立ち止まり、扇子で口元を隠して嘲笑した。

​「これは驚いた。ヴァイスハルト殿。あの冷徹なあなたが、まさか落ちぶれた侯爵家の娘を『妻』として拾うとは。慈善活動がお好きなようだ」

​レオンは表情一つ変えず、静かにユーリを見つめ返した。その瞳の冷たさは、かつて侯爵家で恐れられた「冷徹な側近」そのものだった。

​「クレメンス子爵。私たちの婚姻は、あなたに口を挟む余地のない、正式なものです」

レオンの声は低いが、会場のざわめきを静かに押し返すような圧力を持っていた。

​ユーリはレオンの威圧感に一瞬ひるんだが、すぐにエルナに視線を向け、さらに侮辱的な言葉を投げかけた。

​「エルナ、君もご苦労なことだ。あの傲慢な侯爵夫人になる夢を捨てて、今や一介の領主の、それも元側近の妻か。君の人生はいつも、選ぶものを間違えるな」

​ユーリは、エルナが最も恐れ、傷ついた**「自己の価値」**を否定する言葉を選んだ。

​エルナの喉が詰まる。かつての自分なら、この場で立ち尽くし、涙をこらえて耐えるしかなかった。

​その瞬間、レオンは一歩前に出て、エルナを完全に自分の背後に隠した。

​「子爵、その言葉を撤回なさい」

レオンの声は抑えられているが、その怒りは氷のように鋭かった。

​「なぜだ? 事実を言っているだけだろう。彼女が……」

ユーリが言い終える前に、エルナは静かにレオンの腕を押し、一歩前に出た。

​エルナは、ユーリの目をまっすぐに見つめた。そこには、もう恐れはなかった。あるのは、自分自身の人生を選び取った者の、静かな誇りだ。

​「ユーリ子爵」

エルナの声は静かだったが、その場の貴族たちの注目を集めた。

「あなたは、わたしに愛情がないと笑った。それは構いません。しかし、わたしが**『選ぶものを間違えた』**というあなたの言葉には、同意できません」

​エルナは、レオンの手に自分の手を重ねた。

「わたしがかつて選ぼうとしていたものは、血筋と富という虚飾だけでした。しかし、今、わたしが選んだのは——」

​彼女は、静かにレオンを見上げた。

「——愛と、真の信頼、そして誰かの重荷を共に背負う人生です」

​「レオンは、わたしに『あなたは正しい』と言ってくれた。あなたのように、わたしを**『利用価値』**でしか見ない人物には、決して理解できない、わたしたちだけの人生です」

​その言葉は、冷徹なレオンの心だけでなく、周囲で見物していた貴族たちにも深く突き刺さった。侯爵家の娘の華やかな反論ではなく、真実の重さがそこにあったからだ。

​レオンの黒い瞳が、エルナの言葉に揺らぐ。彼は、エルナが誰にも頼らず、自分の尊厳を守り抜いたことに、深い感動を覚えていた。

​ユーリは顔を赤くし、何も言い返せずに立ち尽くした。

​レオンは、静かにユーリの方へ向き直り、深く、頭を下げた。

「ご覧の通り、私の妻は聡明で、強く、何よりも美しい。あなたからの失礼な言葉は、今後一切受け付けません」

​レオンは、エルナの手を引き、そのまま会場の中心へと歩き出した。

​社交界の人々は、この劇的なやり取りに息をのんだ。彼らは、冷徹な元側近が、冷遇された侯爵家の娘を、命がけで愛し、守っているという真実を、目の当たりにしたのだ。

​二人の夫婦としての評判は、この夜、一変した。彼らは「哀れな夫婦」ではなく、「揺るぎない絆で結ばれた、恐るべき領主夫妻」として、社交界に新しい風を送り込んだのだった。
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