32 / 56
31話
しおりを挟む
侯爵家との戦いから二年。ヴァイスハルト領は、エルナとレオンの賢明で誠実な統治のもと、豊かに発展していた。彼らの結婚は「愛と義務」の象徴として、社交界でも尊敬を集めていた。
そして、その愛は新たな命という形となって、この屋敷に宿った。
レオンは、エルナの妊娠中、かつての「冷徹な側近」の面影はどこへやら、過保護な夫としてふるまっていた。彼は、エルナが庭に出る度にブランケットを持ち、夜は必ず先に寝室を温め、侯爵家時代には考えられなかったほど、感情豊かになっていた。
彼の行動は、自分自身が「影」として生きた過去への反動だった。彼は、自分の子を、光の中で、愛に包まれて育つ存在にしたかったのだ。
ある春の穏やかな朝、産声が屋敷に響き渡った。
レオンは、分娩室の外で、侯爵家との交渉の時よりも遥かに強く緊張していた。彼の背中は冷や汗で濡れていたが、エルナの苦しむ声に、その場を離れることすらできなかった。
そして、長い時間の末、静寂が訪れ、直後に力強い赤子の泣き声が響き渡った。
レオンは、その場で崩れ落ちそうになるほどの安堵と、激しい感動に包まれた。
すぐに、乳母に導かれてレオンは部屋に入った。エルナは疲労困憊ながらも、幸福に満ちた笑顔を浮かべ、小さな命を腕に抱いていた。
「レオン……」
レオンは静かに近づき、涙を抑えることができなかった。彼の頬を伝う熱い雫は、彼が長年押し殺してきた、純粋な人間の感情だった。
「エルナ様……ありがとうございます」
彼は、感謝の言葉しか見つけられなかった。
レオンは、恐る恐る、小さな赤子の顔を覗き込んだ。
彼らの子は、女の子だった。彼女の小さな肌は、侯爵家の血筋が持つ高貴な白さではなく、この領地の日の光を浴びたような、健康的な色をしていた。
そして何より、その瞳は、レオンの深い黒ではなく、エルナの澄んだ瞳の色をそのまま受け継いでいた。
レオンは、そっとその小さな手を握った。
(ああ、この子は……影ではない)
この子は、レオンの過去や、侯爵家の血筋といった呪縛から完全に解放された、彼ら夫婦が選んだ道の、純粋な結晶だった。
エルナは、レオンの様子を見て、優しく微笑んだ。
「名前は、**『ルミナ』**にしましょうか」
ルミナ。ラテン語で「光」を意味する。
「……ルミナ。光……」
レオンは、その名に込められた希望に胸を打たれた。
「ルミナは、この領地に、そして私たち二人に、永遠の光をもたらしてくれるでしょう」
レオンは、そっとエルナの隣に腰を下ろすと、ルミナを抱きしめるエルナの肩を、優しく抱き寄せた。
「私の人生は、侯爵家に『影』として決められました。ですが、ルミナの誕生によって、私は初めて、光の父となることが許された」
レオンの声は震えていた。
「いいえ、レオン。あなたは、最初から光だったわ」
エルナはルミナを抱いたまま、レオンを見上げた。
「ルミナは、私たち二人を結ぶ、愛と自由の証よ。あなたとわたしが、自分の意志で選んだ、新しい家族の始まりなの」
レオンは、二人の最も大切な宝を腕に抱くエルナの姿を、決して忘れないだろう。
彼は、エルナの手を取り、彼女の指輪と、ルミナの小さな手を重ねて、静かに口付けた。
「私の愛する妻、そして娘。私は、この二つの光を、命に代えても守り抜くことを誓います」
ヴァイスハルト領の屋敷には、かつて侯爵家で囁かれた冷たい噂話ではなく、新しい生命と愛の温かい息吹が満ちていた。ルミナの誕生は、レオンとエルナの夫婦の絆を完成させ、彼らの物語を、未来へと確実につなぐ、最初の祝福となった。
そして、その愛は新たな命という形となって、この屋敷に宿った。
レオンは、エルナの妊娠中、かつての「冷徹な側近」の面影はどこへやら、過保護な夫としてふるまっていた。彼は、エルナが庭に出る度にブランケットを持ち、夜は必ず先に寝室を温め、侯爵家時代には考えられなかったほど、感情豊かになっていた。
彼の行動は、自分自身が「影」として生きた過去への反動だった。彼は、自分の子を、光の中で、愛に包まれて育つ存在にしたかったのだ。
ある春の穏やかな朝、産声が屋敷に響き渡った。
レオンは、分娩室の外で、侯爵家との交渉の時よりも遥かに強く緊張していた。彼の背中は冷や汗で濡れていたが、エルナの苦しむ声に、その場を離れることすらできなかった。
そして、長い時間の末、静寂が訪れ、直後に力強い赤子の泣き声が響き渡った。
レオンは、その場で崩れ落ちそうになるほどの安堵と、激しい感動に包まれた。
すぐに、乳母に導かれてレオンは部屋に入った。エルナは疲労困憊ながらも、幸福に満ちた笑顔を浮かべ、小さな命を腕に抱いていた。
「レオン……」
レオンは静かに近づき、涙を抑えることができなかった。彼の頬を伝う熱い雫は、彼が長年押し殺してきた、純粋な人間の感情だった。
「エルナ様……ありがとうございます」
彼は、感謝の言葉しか見つけられなかった。
レオンは、恐る恐る、小さな赤子の顔を覗き込んだ。
彼らの子は、女の子だった。彼女の小さな肌は、侯爵家の血筋が持つ高貴な白さではなく、この領地の日の光を浴びたような、健康的な色をしていた。
そして何より、その瞳は、レオンの深い黒ではなく、エルナの澄んだ瞳の色をそのまま受け継いでいた。
レオンは、そっとその小さな手を握った。
(ああ、この子は……影ではない)
この子は、レオンの過去や、侯爵家の血筋といった呪縛から完全に解放された、彼ら夫婦が選んだ道の、純粋な結晶だった。
エルナは、レオンの様子を見て、優しく微笑んだ。
「名前は、**『ルミナ』**にしましょうか」
ルミナ。ラテン語で「光」を意味する。
「……ルミナ。光……」
レオンは、その名に込められた希望に胸を打たれた。
「ルミナは、この領地に、そして私たち二人に、永遠の光をもたらしてくれるでしょう」
レオンは、そっとエルナの隣に腰を下ろすと、ルミナを抱きしめるエルナの肩を、優しく抱き寄せた。
「私の人生は、侯爵家に『影』として決められました。ですが、ルミナの誕生によって、私は初めて、光の父となることが許された」
レオンの声は震えていた。
「いいえ、レオン。あなたは、最初から光だったわ」
エルナはルミナを抱いたまま、レオンを見上げた。
「ルミナは、私たち二人を結ぶ、愛と自由の証よ。あなたとわたしが、自分の意志で選んだ、新しい家族の始まりなの」
レオンは、二人の最も大切な宝を腕に抱くエルナの姿を、決して忘れないだろう。
彼は、エルナの手を取り、彼女の指輪と、ルミナの小さな手を重ねて、静かに口付けた。
「私の愛する妻、そして娘。私は、この二つの光を、命に代えても守り抜くことを誓います」
ヴァイスハルト領の屋敷には、かつて侯爵家で囁かれた冷たい噂話ではなく、新しい生命と愛の温かい息吹が満ちていた。ルミナの誕生は、レオンとエルナの夫婦の絆を完成させ、彼らの物語を、未来へと確実につなぐ、最初の祝福となった。
3
あなたにおすすめの小説
あなたの片想いを聞いてしまった夜
柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」
公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。
政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。
しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。
「好きな人がいる。……片想いなんだ」
名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。
その結婚は、白紙にしましょう
香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。
彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。
念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。
浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」
身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。
けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。
「分かりました。その提案を、受け入れ──」
全然受け入れられませんけど!?
形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。
武骨で不器用な王国騎士団長。
二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。
侯爵令嬢ソフィアの結婚
今野綾
恋愛
ソフィアは希少なグリーンアイを持つヴィンセントと結婚した。これは金が欲しい父の思惑と、高い爵位が欲しいヴィンセントの思惑が一致したからに過ぎない。
そもそもヴィンセントには恋人がいて、その恋人は身分に大きな差があるために結婚することは叶わないのだ。
結婚して早々、ソフィアは実家から連れてきた侍女夫婦とあばら屋に住むように言われて……
表紙はかなさんのファンアートです✨
ありがとうございます😊
2024.07.05
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。
【完結】伯爵令嬢は婚約を終わりにしたい〜次期公爵の幸せのために婚約破棄されることを目指して悪女になったら、なぜか溺愛されてしまったようです〜
よどら文鳥
恋愛
伯爵令嬢のミリアナは、次期公爵レインハルトと婚約関係である。
二人は特に問題もなく、順調に親睦を深めていった。
だがある日。
王女のシャーリャはミリアナに対して、「二人の婚約を解消してほしい、レインハルトは本当は私を愛しているの」と促した。
ミリアナは最初こそ信じなかったが王女が帰った後、レインハルトとの会話で王女のことを愛していることが判明した。
レインハルトの幸せをなによりも優先して考えているミリアナは、自分自身が嫌われて婚約破棄を宣告してもらえばいいという決断をする。
ミリアナはレインハルトの前では悪女になりきることを決意。
もともとミリアナは破天荒で活発な性格である。
そのため、悪女になりきるとはいっても、むしろあまり変わっていないことにもミリアナは気がついていない。
だが、悪女になって様々な作戦でレインハルトから嫌われるような行動をするが、なぜか全て感謝されてしまう。
それどころか、レインハルトからの愛情がどんどんと深くなっていき……?
※前回の作品同様、投稿前日に思いついて書いてみた作品なので、先のプロットや展開は未定です。今作も、完結までは書くつもりです。
※第一話のキャラがざまぁされそうな感じはありますが、今回はざまぁがメインの作品ではありません。もしかしたら、このキャラも更生していい子になっちゃったりする可能性もあります。(このあたり、現時点ではどうするか展開考えていないです)
【完結】理想の人に恋をするとは限らない
miniko
恋愛
ナディアは、婚約者との初顔合わせの際に「容姿が好みじゃない」と明言されてしまう。
ほほぅ、そうですか。
「私も貴方は好みではありません」と言い返すと、この言い争いが逆に良かったのか、変な遠慮が無くなって、政略のパートナーとしては意外と良好な関係となる。
しかし、共に過ごす内に、少しづつ互いを異性として意識し始めた二人。
相手にとって自分が〝理想とは違う〟という事実が重くのしかかって・・・
(彼は私を好きにはならない)
(彼女は僕を好きにはならない)
そう思い込んでいる二人の仲はどう変化するのか。
※最後が男性側の視点で終わる、少し変則的な形式です。
※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしておりません。本編未読の方はご注意下さい。
【完結】この胸が痛むのは
Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」
彼がそう言ったので。
私は縁組をお受けすることにしました。
そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。
亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。
殿下と出会ったのは私が先でしたのに。
幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです……
姉が亡くなって7年。
政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが
『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。
亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……
*****
サイドストーリー
『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。
こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。
読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです
* 他サイトで公開しています。
どうぞよろしくお願い致します。
私と幼馴染と十年間の婚約者
川村 あかり
恋愛
公爵令嬢ロゼリアは、王子アルベルトとの婚約を結んでいるが、彼の心は無自覚に幼馴染のミナに奪われていた。ミナの魔法【魅了】が無意識に周りの男性を狂わせ、アルベルトもその例外ではない。
それぞれが生まれつき得意な魔法があり、ロゼリアは見たものや聞いたものを完璧に記録できる【記録・再生】の魔法を持ち、二人の関係に耐えきれず胃の痛みに悩む日々。そんな中、彼女の唯一の理解者の冷静沈着なキースや毒舌のマリーが心の支えとなる。
アルベルトの側近であるガストンは、魔法【増幅】で騒動を盛り上げる一方、ミナの友人リリィは【幻影】の魔法を使ってロゼリアを貶めようと画策する。
婚約者と幼馴染の行動に振り回されるロゼリア。魔法が絡んだ恋愛模様の中で、彼女は本当の愛を見つけられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる