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第一章

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『私はイアンを愛しています』
 
 イアンから貰うばかりで、一度も返事をした事がなかった。彼は初恋の人でも、今は好きではないと思っていた。イアンのプロポーズの言葉は、

『オリヴィア、私は貴女を愛しています』
『オリヴィアより先に死にません。貴女を一人にしない』
 
 ──だ。
 それから──。
 

 イアンと再会した日、彼は身に着けていた剣と銃を足元に置いて、軍服のズボンの裾を上げ隠していた短剣を床に置いて身軽になった。その後イアンが私に誓った言葉がある。

『貴女を傷つけません』
『オリヴィア。貴女に心からの忠誠を誓う事を許して頂きたい』
『わたくしを信じて頂きたいのです。わたくしは決して貴女を傷つけない。その事をまず知ってもらいたい』
『わたくしは騎士ではなく、軍人です。しかし、オリヴィアに信用して貰うにはこれしかないと思い貴女に騎士の誓いをさせて頂きたい』
『決してオリヴィアを傷つけません。オリヴィアを傷つけるもの全てからお守りする事を誓います。わたくしはオリヴィアの剣であり盾です。オリヴィアに一生を賭けて忠誠を誓います』

 イアンは剣を鞘から抜き出して、私にそれを預けた。真剣な眼差しに負けて、剣を受け取った私はイアンから剣の刃を肩に置き、こう言うように、と言葉を伝授される。
 イアンの言う通り、私はイアンの肩に剣を置き、息を吸い込んだ。

『裏切る事なく、誠実であれ──許、します』

 唱え終わるとイアンは向けられた剣の刃に口付をした。口付をしながら流し目で私を見るから、ついドキッとして手が震えてしまった。彼の唇を斬ってしまわないか、怖かったけれど……その姿が神々しくて、私は知らぬうちにその姿に見惚れてた。
 
 
 ──イアンのプロポーズの言葉と私に誓った騎士の誓い。
 お母様やワンちゃんに私が知らない間に逝ってしまって、イアンの「私より先に死なない」というプロポーズは「愛している」という言葉よりも安心出来た。そして、イアンは誰よりも強い軍人だった。命を狙われたしても、自分で対処が出来る程強い男性だ。病気だって簡単に罹らない。
 騎士の誓いは、アンを見ているから、それが決して裏切られない事を私は知っていた。アンは私を傷付けない。私に常に誠実な彼女はが吐いたお母様が月へ行ったという嘘は、私にお母様の亡骸を見せる事を憚った為だった。
 イアンもアンと同じように私に誠実な筈。
 イアンは私に騎士の誓いを誓ったあの日から、ずっと忠誠を誓ってくれている。決して破られる事はない、誓い──……。
 信用に値する、って思った。
 だから、私は彼の手を取った。それから、金に銀と白色金属を組み合わせたホワイトゴールドの指輪をイアンから薬指に嵌めてもらった。白いダイヤモンドの宝石が雪解けのような眩さで、私を照らした。
 
 ──こうして私たちは夫婦になった。
 イアンは私を「愛している」と毎日愛の言葉をくれる。私はそれに応えない。それでもイアンは嫌な顔はせず、愛の言葉を囁いてくれた。
 私は『愛』ではなく、契約で結ばれているだけ。そこに愛はない。彼の傍に居て、安心感や満足感は感じていても、笑った顔が愛らしいと思っていたとしても。彼に触って欲しい、彼に触れたいとか、そういった気持ちは一切なかった。だって、男性が怖かったから。恐怖の対象だったから。それなのに、イアンだけを怖いと思わないのは、イアンとの約束のお陰だからだと思っていた。イアンは騎士の誓いで『貴女を傷付けない』と言ったから、彼は信用できる。大丈夫。
 結婚したと同時に私はアンと共にイアンの屋敷に引っ越してきた。私の部屋は隣の寝室と繋がっていて、本来夫婦は隣の寝室で夜を過ごさなければならない。でも、イアンは私の気持ちを汲み取って「一人で寝ても大丈夫」と言ってくれた。
「オリヴィアが嫌がる事は決してしないから」と彼は言った。
 結婚式初夜、寝室に一人で帰ろうとしたイアンの袖を引っ張って私は呼び止めた。
 
『寂しいから、抱き締めて眠って欲しいの。背後から……ギュッ、って』
『アンは、お母様の役割を奪う訳にはいかない、って言って一緒に寝てくれないの』
『お母様はそうやって一緒に寝てくれたわ』

 戸惑っていたイアンに『お母様は』と言うと、イアンは承諾してくれた。

『手は、お腹の上ね。お母様はいつもそうしていたから』

 私の背後で横たわる彼の手を取って、私の腹の上に置かせた。──とても、安心できる。お母様よりも大きな手だけど、何があっても守ってくれる、という安心感は同じ。
『おやすみなさい』と頭上から聞こえる声、その時に髪の毛に当たる静かな吐息──低い声はお母様とは違うけれど、その吐息を感じて「私は一人じゃない」と思えた。心地良い寝息は安らぎを与えてくれる。
 私たちは毎晩欠かさず、二人同じベッドで寝た。私より低い体温、私とは違う同じ石鹸とシャンプーの香り。ホワイトムスクの清潔感のある石鹸の香りが鼻先を掠める。暑い夜でも、イアンは抱き締めて眠ってくれる。夏は汗の香りもするけど、それを一度も不快だと思った事はなかった。結婚記念日の夜はジャスミンの入浴剤に浸かるから、イアンから私と同じ甘い匂いが香る。

 彼から与えられる安心感と満足感、安定感、信頼感、充実感、幸福感──全部、全部、ぜーんぶ、イアンのプロポーズの言葉と騎士の誓いから得られるものだとばかり思っていた。
 でも……自分の気持ちを自覚した時、満足感、安定感、信頼感、充実感、幸福感を得ていたのは、イアンを愛している、からだった。不思議とその言葉はストンと私の胸に落ちてきた。私はイアンと再会してから今日まで、ずっと彼の事を好きだったのだ。

 ──それを二カ月前にやっと気が付いて、オリヴィアはイアンに自分の想いを吐露する事に決めた。

 
 その想いをイアンに告白する為に、オリヴィアは『黒い犬』『花冠』『リンゴ』を欲したのだった。
 この三個をイアンの前に出しながら、あの時どう感じたのかを告白して、今、私はこんな風にイアンを想っている、のだと大告白をする。イアンが毎日欠かさず愛を囁いてくれるから、私もどれだけイアンが大好きかをプレゼンしなきゃ。

 だがしかし。
 オリヴィアの計画は今、頓挫していた。『黒い犬』を手に入れる事が出来なかったからだ。
 まさか、何でも私に買い与えてくれるイアンが断るなんて微塵も思っていなかったのだ。

『犬は粗相をするから、飼わない』

 初めてイアンに拒絶された。
 ショックで、イアンが仕事へ出掛けて一人になってからオリヴィアはベッドへ俯せに倒れて泣きじゃくったのだった。それを冷めた目で「離婚しましょう」と言ったアンの言葉は無視をして、オリヴィアは「我儘を言って嫌われたかも」と思い悩んだ。あんな風にイアンから冷たくあしらわれるのは初めてだった。
 多少大袈裟な気もするが、そう思ってしまう程、イアンはオリヴィアの意見に反対をしないし、彼女に対してイエスマンなのだ。
 イアンはイアンで帰宅したらオリヴィアの目が腫れていて、結婚記念日で犬を贈るサプライズをする為に、あの時犬を飼う事を断ったという自責の念で押し潰されそうになった。己の「オリヴィアの喜んだ顔が見たい!」という欲望とサプライズの為に断ってしまった己を罰する為に、次の日彼は職場の軍本部基地へ馬車を使わずに走って通勤した。
 それを冷めた目で見ていたのはアンだけではなく、グェイン公爵家に勤める使用人一同である。イアンのオリヴィアに対する熱烈な感情は微笑ましさを通り越して、生温かい気持ちにさせられるも、彼女を大切にするがあまり、押しに弱く一線を引こうとしてしまう姿がとても、いじらしい。オリヴィアはオリヴィアでイアンを特別に想っているのに、本人は自分の気持ちに全く気が付いてない。誰が見ても明らかなのに。そんな二人を使用人達は憐れに思いつつも、二人の明るい未来を応援していた。─言っておくが、アンは一ミリも、少したりとも応援していない。

 皮肉な事に──あの思い出を口に出さないせいで「忘れてしまっている」とお互い勘違いをし合っていた。
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