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第一章
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『今年は去年と違う四年目になる!』とか仕事中に訊いてもいないのに、僕に言ってきたよね?
昨日と打って変わって、今日は目が死んでいるのだ。
シェルフは心配になって声をかけるも、聞いているのか聞いていないのか、生返事が返ってくる。恐怖を通り越して、イアンの様子が面白いと感じてきた頃にイアンから話しかけられてシェルフはペンを置いた。
「話したそうなのに、話してくれず、何でもない、って言うのは、それってなんでもあるよな?」
「まぁ、含みがある言い方だから、ある……とは思うぞ」
ブツブツ「そうか」と口の中で呟いていたと思うと、両肩を掴まれシェルフはヒッと悲鳴を上げた。イアンの目が血走っていて、正直怖い。
「妻の様子がおかしいのは、悪い事の前兆か?」
「うぇ、あっ」
「俺は取り返しのない事をしたんだな?」
「うっ、ひっ、あっ」
「そうなんだな? 俺はしでかしたんだな?」
「うっ、うぷっ」
一言も返事をしていないのにイアンは一人で完結して青褪めた。
肩を揺らされて、気持ち悪くなって吐き気を催したシェルフは周囲の人間に助けてもらおうと目を左右に動かすも、全員が瞬時に背を向けて「月末だから忙しいな……」とワザとらしく声を上げて書類整理をするのが見える。
「そろそろ肩から手を退かしてくれ」と訴えようとしたが、イアンの悲痛に歪んだ表情を見てシェルフは何も言えずに口を閉ざした。
「俺はどうしたら……」
昨日の花畑イアンを見ているせいで、目の前のイアンがあまりにも可哀想に見えてきて、シェルフはイアンの話を訊く事にした。
「身に覚えは? その、何かしでかした、っていう」
「犬を飼いたがっていたのに、断った」
「は? それだけ?」
「んな訳あるか」と続けたら、イアンに凄まれた。顔面が男前で彫りが深い分、迫力がある。一瞬怯みはしたが、シェルフは怯えずに話を続けた。
「あのな、普通……駄目なものは駄目って断ったとしても、相手を嫌ったりしないぞ」
「俺は、オリヴィアの意見に一度たりともノーを言った事がない」
「そうなの? 一度も?」
「ない」と断言したイアンを見てシェルフは呆れたように長い息を吐いた。イアンはそれを見てムッと口を曲げるもシェルフに指を差され、目を見開いた。
「なんでもかんでも与えてばかりいるのって、それって愛ではなく、ただの餌付けじゃん」
「えづっ」
「黙って聞いてろって。オリヴィアちゃんは年下だし可愛いから年上のお前は嫌われやしないか心配なんだよな? だから貢ぎ物をたくさん贈るんだろ? 記念日でもなんでもないのに、お前は良く花を買っているし、宝石だって買ってるもんな。でもな、イエスマンばかりでいたら、ただの上辺だけの夫婦だぞ」
オリヴィアの名前を他人の男に呼ばれて、イアンはムッとするもシェルフから再度「黙っとけ」と言われてしまう。
「どうせ、言いたい事を言った事はないんだろ?」
「言いたい事は言っている。綺麗、美しい、可愛い……」
「いや、そういう言いたい事じゃなくてな」
「不満がないのに、なにを言うんだ」
イアンはやっとシェルフの肩から手を退かして、腕を組んだ。心底、分からない、という表情を浮かべる。
「じゃあ、質問を変えよう。オリヴィアちゃんから文句を言われた事は?」
「ない」
「犬を飼わない、って言ったお前にオリヴィアちゃんは自分の意見を主張したか?」
「……何も言われなかった。でも、すごく悲しい顔はした」
(夢にも出てくる程の……)
「そんな顔はしたのに、お前に意見をしなかったのって、オリヴィアちゃんはお前に心を開いていないぞ」
「……」
その通りなので、イアンは何も言えず黙ってしまう。
オリヴィアと再会してからすぐの頃はぎこちなかったし、目も合わせてくれなかった。そんな彼女と少しずつ打ち解けていって、そこまで辿り着くのにシェルフの言う通り、貢ぎ物を沢山贈った。それが功を奏した訳ではないが、ちょっとずつ笑いかけてくれるようになって、プロポーズにまで漕ぎ付けた。
結婚してから「一緒のベッドで私の事を抱き締めて眠って欲しい」って言われた時は、俺は死ぬんじゃないだろうか、と思いもしたが、そう言ってくれたという事は俺の事を信用に値すると認めてくれた、という事だ──嬉しかった。
心は開いてくれている筈だ。だが、それが100%かと言われると、断言出来ないのが現状だ。
オリヴィアは俺と喋ってくれる。食事中やベッドの中で、今日訊いた話や今日の出来事、読んだ本の内容──でも、俺との生活をどう思っているかはオリヴィアの口から語られた事は一度だってない。
オリヴィアは自分の心中をオリヴィアの騎士、アンにだけしか語らないからだ。
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