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第二章 欺瞞で顔を作って嘘をつく
7 素直な気持ちは心の奥底に
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「泣いてる姿を見たら心配しますよ。誰だってそうでしょ」
私を一向に見る気配はない。でも、それが私にとって気が楽で。
「余計なお節介かもしれませんが……」
ギシッとパイプ椅子が軋む。
「どうしても放っておけなくて」
彼は私を見ていた。冗談の欠片もない瞳は、私を離さない。
「兎よりも真っ赤に腫れた目を見たら、なにも見なかったフリなんてできないでしょ」
そう言いながら、片眉を寄せて苦笑する。
「だから、ちゃんと言葉に出して教えてください」
「……なにを?」
私はなにも話せない。だから、暫く考えた後そう聞き返すと、福岡くんは柔らかい眼差しで、そっと微笑んだ。
「『助けて』て」
ハッと思い出す。
一人の時に、口から出てしまった言葉。誰にも伝えなかった言葉。
その言葉を訊かれていたことと、そしてそれを言ってしまった自分を再認識すると恥ずかしくて、顔を背ける。顔から火が出るようだ。
「あ、あれは! つい、出ちゃっただけなの。だから」
「それでも良いです。助けてって言いたくなるほど、今がつらいんだって言ってくれなきゃわからないんですよ」
彼は朗らかに笑う。
水が隅々まで染み渡るように、その言葉がすうっと傷だらけの心に入ってくる。ちょっぴり沁みるけど、でも傷の痛みがひいていく。
「ありがとう」
素直な気持ちだった。まだ羞恥心があって、彼と目を合わせることができなかった。
「でも」
——ねえ。
「どうして、そんなに優しくしてくれるの?」
——年上の私に。
「こんな大人が、情けなく見えない?」
——気持ち悪いでしょ。
「三十の女がさぁ、勝手に一人で悩んで、苦しんで、無様に大泣きしてる姿が」
——こんなみっともない泣き顔を見たら。
「『もっと大人になれよ』て、言いたくならない?」
言葉が過去に傷つけられた言葉と重なる。自分で言って更に傷ついて、涙が流れた。自分のトラウマを自分の口で吐き出す。
「『ちょっと怒ったくらいで、すぐに泣くなよ』て」
やめて。
「『少し傷ついたくらいで、すぐに甘えてくるなよ』て、言いたくなるでしょ⁉︎」
やめて。
「優しくしないでよ」
やめてよ。
「もう放っておいて」
やめてッ!
「お願い」
やめてぇぇぇぇぇぇ‼︎‼︎‼︎‼︎
『やっぱりお前が誑かしたんでしょうが! 高校生に手を出すような女なんだから、結婚もしていないんでしょうね! 汚い女! 馬鹿じゃないの! 腐った人間が! どうせこのままバレなければ湊に手を出すんでしょ! ああああああ気持ちが悪い‼︎』
何度も蘇る、福岡くんの母親の言葉。
私は苛立つように立ち上がった。
「二度と話しかけないでッ‼︎」
そう叫んでから、我に返る。
「あ」
違う。
そう言いたかったのではない。そんな酷い言い方をするつもりはなかったのに。
「あ……」
終わった。
これで、春のように穏やかだった関係が終わった。
静かに福岡くんは立ち上がり、ドアに向かっていく。私に言い返すこともなく、殴ろうとすることもなく、ただ一直線に歩く。
「福、おか……くん」
私は彼の顔を見ることはできなかった。どんな顔にさせてしまったのだろうか。
「……福岡くん」
終わってしまった。終わらせてしまった。私が縁を切った。福岡くんは歩み寄ろうとしてくれたのに。私から突き放してしまった。
口を両手で覆う。
「あ、あぁ…………い……ないで……」
馬鹿だ。馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ!
私は、大馬鹿者だ。
電話の着信音が鳴る。どれだけ無視を決め込んでも、それは鳴り続けた。話を訊くよと、私を気遣うように。
■ ■ ■
あの後、スマートフォンにかかってきた着信は奈良栄先輩だった。所謂、デートのお誘い。コンサートが近いから断った筈なのに、何度も何度も誘ってくる。
先輩にかけ直した方が良いだろうか。
暫くの間、スマートフォンの画面を遠目に眺めながら悩んでいると、別の着信が入った——夏希だった。
おかしいなと思って電話に出てみると、先生に捕まって時間がかかりそうだから、先に帰ってくれとのことだった。
楽器に付着した指紋を拭き取り、曇りのない銀色のフルートを見つめる。楽器はこんなに綺麗なのに、私の心は曇ってる。
「はぁ……」
それを楽器ケースに片付け、シャイニーケースに入れる。そのまま学校を後にした。
夜道を一人で歩きながら、そこで奈良栄先輩に電話をかけ直す。
私達は別に付き合ってはいない。それなのに、先輩はちょっとお茶をすることをデートと呼ぶ。紛らわしいのでやめてほしいと頼んだのだが、軽く流されて終わった。
少しずつ、先輩の存在が大きくなると同時に、重くも感じていた。それに今は福岡くんの件もある。全て捨ててしまえれば楽なのに。
他愛のない話をしながらアパートに着いた。その頃には、気持ちが少し落ち着いていた。
部屋に入ると、長々と話した電話を切り、ベッドに投げる。楽器を木目調のテーブルの上に置き、楽譜が入った黒ファイルは床に投げ置く。そして、身軽になった私は、ベッドに飛び込んだ。
閉じた目を開けると視界に入る、向日葵のケースのスマートフォン。
福岡くんが、このスマートフォンを拾ってくれて、そこから縁ができたんだっけ。
「でも、そんな縁、ない方がいいんだよね」
ゴロンと仰向けになると、ベッドは軋んだ。
「こんなおばさんと話してると、変な噂がたっちゃうし。福岡くんに申し訳ない」
見慣れた白い天井。
「あんな優しい笑顔、なくしたくないなぁ」
福岡くんが私に向けてくれる笑顔は、向日葵のような派手さはないけど、のどかな春のような温もりのようで。そして、咲いてはすぐに散る桜のようでもあって、大切にしたい。
お風呂に入らなきゃ。
そう頭で思っても、体は鉛のように重たい。そして心の底から疲れた。動きたくない。
「福岡くん……ごめん」
あんな言葉を言って。本当にごめん。全部、あなたの為だから。
また涙が流れる。目が痛い。ぎゅっと目を瞑った。
そして、長い時間が経たないうちに、うつらうつらと睡魔が襲ってくる。泣き疲れてしまったようだ。
「……福岡くん……」
メールの受信音が鳴る。ああ、きっとこれは奈良栄先輩だ。
私を一向に見る気配はない。でも、それが私にとって気が楽で。
「余計なお節介かもしれませんが……」
ギシッとパイプ椅子が軋む。
「どうしても放っておけなくて」
彼は私を見ていた。冗談の欠片もない瞳は、私を離さない。
「兎よりも真っ赤に腫れた目を見たら、なにも見なかったフリなんてできないでしょ」
そう言いながら、片眉を寄せて苦笑する。
「だから、ちゃんと言葉に出して教えてください」
「……なにを?」
私はなにも話せない。だから、暫く考えた後そう聞き返すと、福岡くんは柔らかい眼差しで、そっと微笑んだ。
「『助けて』て」
ハッと思い出す。
一人の時に、口から出てしまった言葉。誰にも伝えなかった言葉。
その言葉を訊かれていたことと、そしてそれを言ってしまった自分を再認識すると恥ずかしくて、顔を背ける。顔から火が出るようだ。
「あ、あれは! つい、出ちゃっただけなの。だから」
「それでも良いです。助けてって言いたくなるほど、今がつらいんだって言ってくれなきゃわからないんですよ」
彼は朗らかに笑う。
水が隅々まで染み渡るように、その言葉がすうっと傷だらけの心に入ってくる。ちょっぴり沁みるけど、でも傷の痛みがひいていく。
「ありがとう」
素直な気持ちだった。まだ羞恥心があって、彼と目を合わせることができなかった。
「でも」
——ねえ。
「どうして、そんなに優しくしてくれるの?」
——年上の私に。
「こんな大人が、情けなく見えない?」
——気持ち悪いでしょ。
「三十の女がさぁ、勝手に一人で悩んで、苦しんで、無様に大泣きしてる姿が」
——こんなみっともない泣き顔を見たら。
「『もっと大人になれよ』て、言いたくならない?」
言葉が過去に傷つけられた言葉と重なる。自分で言って更に傷ついて、涙が流れた。自分のトラウマを自分の口で吐き出す。
「『ちょっと怒ったくらいで、すぐに泣くなよ』て」
やめて。
「『少し傷ついたくらいで、すぐに甘えてくるなよ』て、言いたくなるでしょ⁉︎」
やめて。
「優しくしないでよ」
やめてよ。
「もう放っておいて」
やめてッ!
「お願い」
やめてぇぇぇぇぇぇ‼︎‼︎‼︎‼︎
『やっぱりお前が誑かしたんでしょうが! 高校生に手を出すような女なんだから、結婚もしていないんでしょうね! 汚い女! 馬鹿じゃないの! 腐った人間が! どうせこのままバレなければ湊に手を出すんでしょ! ああああああ気持ちが悪い‼︎』
何度も蘇る、福岡くんの母親の言葉。
私は苛立つように立ち上がった。
「二度と話しかけないでッ‼︎」
そう叫んでから、我に返る。
「あ」
違う。
そう言いたかったのではない。そんな酷い言い方をするつもりはなかったのに。
「あ……」
終わった。
これで、春のように穏やかだった関係が終わった。
静かに福岡くんは立ち上がり、ドアに向かっていく。私に言い返すこともなく、殴ろうとすることもなく、ただ一直線に歩く。
「福、おか……くん」
私は彼の顔を見ることはできなかった。どんな顔にさせてしまったのだろうか。
「……福岡くん」
終わってしまった。終わらせてしまった。私が縁を切った。福岡くんは歩み寄ろうとしてくれたのに。私から突き放してしまった。
口を両手で覆う。
「あ、あぁ…………い……ないで……」
馬鹿だ。馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ!
私は、大馬鹿者だ。
電話の着信音が鳴る。どれだけ無視を決め込んでも、それは鳴り続けた。話を訊くよと、私を気遣うように。
■ ■ ■
あの後、スマートフォンにかかってきた着信は奈良栄先輩だった。所謂、デートのお誘い。コンサートが近いから断った筈なのに、何度も何度も誘ってくる。
先輩にかけ直した方が良いだろうか。
暫くの間、スマートフォンの画面を遠目に眺めながら悩んでいると、別の着信が入った——夏希だった。
おかしいなと思って電話に出てみると、先生に捕まって時間がかかりそうだから、先に帰ってくれとのことだった。
楽器に付着した指紋を拭き取り、曇りのない銀色のフルートを見つめる。楽器はこんなに綺麗なのに、私の心は曇ってる。
「はぁ……」
それを楽器ケースに片付け、シャイニーケースに入れる。そのまま学校を後にした。
夜道を一人で歩きながら、そこで奈良栄先輩に電話をかけ直す。
私達は別に付き合ってはいない。それなのに、先輩はちょっとお茶をすることをデートと呼ぶ。紛らわしいのでやめてほしいと頼んだのだが、軽く流されて終わった。
少しずつ、先輩の存在が大きくなると同時に、重くも感じていた。それに今は福岡くんの件もある。全て捨ててしまえれば楽なのに。
他愛のない話をしながらアパートに着いた。その頃には、気持ちが少し落ち着いていた。
部屋に入ると、長々と話した電話を切り、ベッドに投げる。楽器を木目調のテーブルの上に置き、楽譜が入った黒ファイルは床に投げ置く。そして、身軽になった私は、ベッドに飛び込んだ。
閉じた目を開けると視界に入る、向日葵のケースのスマートフォン。
福岡くんが、このスマートフォンを拾ってくれて、そこから縁ができたんだっけ。
「でも、そんな縁、ない方がいいんだよね」
ゴロンと仰向けになると、ベッドは軋んだ。
「こんなおばさんと話してると、変な噂がたっちゃうし。福岡くんに申し訳ない」
見慣れた白い天井。
「あんな優しい笑顔、なくしたくないなぁ」
福岡くんが私に向けてくれる笑顔は、向日葵のような派手さはないけど、のどかな春のような温もりのようで。そして、咲いてはすぐに散る桜のようでもあって、大切にしたい。
お風呂に入らなきゃ。
そう頭で思っても、体は鉛のように重たい。そして心の底から疲れた。動きたくない。
「福岡くん……ごめん」
あんな言葉を言って。本当にごめん。全部、あなたの為だから。
また涙が流れる。目が痛い。ぎゅっと目を瞑った。
そして、長い時間が経たないうちに、うつらうつらと睡魔が襲ってくる。泣き疲れてしまったようだ。
「……福岡くん……」
メールの受信音が鳴る。ああ、きっとこれは奈良栄先輩だ。
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