風のフルーティスト -Canary-

蒼乃悠生

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第五章 『秘密の恋』はお留守番

5 薔薇のように赤いドレスで

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   ■ ■ ■


 二人共ステージに上がると、照明の明かりの熱を肌で感じる。
 衣装が変わった私達を見て、観客席が少し騒つく。ブーイングはないので、恐らく良い意味だろう。
 薔薇のような真っ赤なドレスの女と、ブラックスーツの男——カルメンとドン・ホセだと、クラシック好きならわかる人もいるだろう。
 譜面台に楽譜を置いてから私は、観客を正面に向き直った。
 ひらりと、ドレスの赤い裾が靡く。アシンメトリーのローズレースが飛躍するような味を出してくれた。
 楽器を持っていない右手でドレスを摘み上げ、一礼。まるで自己紹介をするお姫様のように。
 上品な足取りで私はそうくんの横に立ち、そっと手を差し出す。
 突然のことで緊張しながらも、彼は私の手を受け取った。リハーサルで行っていないことなので、その反応は致し方ないだろう。
 その手をギュッと握り締め、エスコートした先は、観客席に最も近いステージの前方。
 彼は胸元に右手を添え、会釈した。王子様のような挨拶に、胸が高鳴る。
 ドン・ホセの自己紹介。この時、ホセの胸ポケットにはなにもない。
 舞台でも始めるかのように、私は右手を大袈裟に差し出した。そうくんにこの手を取れと、言葉なく促す。
 ——カルメンは、一向に興味を示さないホセを誘っているのだ。
 だが、彼は首を横に振った。ただ関心のない顔で、頑なにカルメンの手を拒む。何度誘おうとも結果は変わらない。
 カルメンは面白くなかった。ダンスや歌で男達を魅了してきた彼女にとっては。
 だから、彼を突き放すように左肩を持って、突き放す。
 その際に、私は左肩に乗っていた黒いハンカチを取ると、胸ポケットに入っている黄色い花が姿を見せた。
 ——カルメンは、アカシアの花をホセに投げつけたように。
 黄色い花が出てきた一瞬だけ「お」という短いざわめき声が、ポツリポツリと聞こえた。
 んんんんん……反応が薄い。
 予想より少ない反応で、肩を落とす。即席で考えた演出なんて、こんなもんか。
 アカシアの花を投げつけたシーンをイメージした演出なのだが、あまり理解してもらえなかったようだ。がっかりはするが、引きずるわけにはいかない。
 フラれたと悔しがるような演技をしながら、私は先に譜面台のある位置へと戻った。こっそりと黒いハンカチを譜面台に掛けて、隠す。
 きっとカルメンに悲しみはない。自由の象徴ともいえるカルメンならメソメソ泣かずに、自分の道を歩いていくだろうから。
 お客様の反応に困り顔を見せた私を笑うように、そうくんは口元で薄笑いをした。
 そして、胸元にある黄色い花を大事そうに手を添える。彼も演奏する位置に戻った。
 ——実はホセはカルメンに惚れていた。拾い上げたその黄色い花を、ずっと持っていたのだから。
 これら全て即興の演技。少しでもカルメンの世界観に触れてほしくて。その世界には、女と男がいたということを。
 この演技がステージに入る前に言ったお願いごと。
 本番直前で合わせてくれたそうくんには感謝だ。
「ありがとう」小さな声で彼に感謝の言葉を送り、私はゆっくりと楽器を構える。それに合わせて彼も構えた。

 カルメン幻想曲の冒頭——
 Allegro moderatoアレグロ・モデラート、アレグロとモデラートの中間の速さから始まる。
 最初の旋律はそうくんが奏でる。まだカルメンに惚れていなくても、魅力に気づいているドン・ホセのように。
 その心を更に掻き乱すように、私は途中から同じメロディを低い音で添えた。
 さあ、私と一緒に踊ってよ。歌ってよ。きっと楽しくなるわ。
 まだこの手を取らないの?
 それなら——
 メロディの音域が低く、不穏な空気へと一転。
 私のソロだ。
 彼は伴奏に徹する。
 その間、カルメンがホセに熱い視線を向けるように、私は彼を見つめる。もっと熱く、溶けてしまいそうな程熱く!
 私は何度も目で語りかけると、彼はそれに応えるかのようにニッと笑った。
 メロディを支えるように、彼は伴奏を演奏する。
 そして、テンポがModeratoモデラートになり、一気に明るい雰囲気に変わった。
 軽く、優美にという指示に合わせ、長く続く連符、16分音符に指がもつれそうにならないように、ぐっと堪える。
 意識に意識を重ね、テンポが速くなってしまう前にそうくんを見遣る。
 彼の指、彼の体の動きを見て、伴奏に合わせた。次第に強く音を鳴らし、なかなか答えを出さない彼を急かすように追い立てていく。
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