10 / 28
10
「……もう、黙って見ていられないわ」
私は公爵家の馬車に揺られながら、窓の外を険しい目で見つめていた。
前回の「黒革の手帳」事件以来、私の評判は「人知れず善行を積む、つつましき聖女」という、吐き気のするような方向へ爆走している。
マリアさんが勝手に私の名前で行っていた寄付のせいで、街を歩けば「ルト様、ありがとうございます!」と拝まれる始末。
このままでは、婚約破棄どころか、将来の国母として銅像が立ちかねない。
「お嬢様、そんなに殺気立ってどちらへ? 今日はアラリック殿下との刺繍教室があったはずですが」
アンナが、馬車の揺れに合わせながら冷静に尋ねた。
「刺繍なんてやってる場合じゃないわ! マリアさんが勝手に寄付していたっていう、あの孤児院に行くのよ!」
「……まさか、寄付金を取り返しに行くのですか?」
「失礼ね、そこまで落ちぶれてないわよ。私は、彼らに『本当の絶望』を教えに行くの! 聖女ルト様なんて幻想を、根底からぶち壊してやるわ!」
私は馬車の座席に置いた、ずっしりと重い袋を叩いた。
中には、私が用意した「子供たちが嫌がるもの」が詰まっている。
孤児院に着くと、マリアさんがエプロン姿で子供たちに囲まれていた。
「あ、ルト様! 見てください、子供たちがこんなに元気に……!」
「どきなさい、マリアさん。今日の主役は私よ」
私はマリアさんを突き飛ばす勢いで(実際には、マリアさんが『ああ、ルト様の手の感触……!』とうっとりしながら自分から避けただけだが)中央に立った。
子供たちが、期待に満ちた目で私を見上げてくる。
ふふ……。今にその顔が絶望に染まるわよ。
「いい、子供たち! 私は、あなたたちが思っているような優しい人間ではないわ。さあ、これを受け取りなさい!」
私は袋から、一つ目の「絶望」を取り出した。
「これは、最高級の、ものすごく甘い砂糖菓子よ! これでもかというほど砂糖を使った、体に悪いお菓子なんだから! さあ、食べて虫歯になりなさい!」
私は山のようなお菓子をテーブルにぶちまけた。
子供たちは一瞬静まり返り——……。
「……わあああああ!!」
「お菓子だ! こんなにたくさん、見たことないよ!」
「ルト様、大好き!」
歓喜の嵐が巻き起こった。
子供たちは、虫歯の恐怖などどこへやら、幸せそうにお菓子に食らいついている。
「(……おかしいわね。甘すぎるお菓子は、子供への嫌がらせの定番のはずなのに)」
私は焦って、二つ目の「絶望」を取り出した。
「喜ぶのはまだ早いわよ! 次はこれよ! 難解で、ちっとも面白くない、分厚い教科書! これでお勉強地獄を味わせてやるわ!」
私は、私が学生時代に一番嫌いだった、古い歴史書や算術の本を叩きつけた。
「……っ!!」
一人の少年が、その本を震える手で取った。
よし、泣きなさい! 勉強の苦しさに悶絶しなさい!
「……すごい。これ、欲しかったんだ。……僕、字を覚えて、いつかルト様みたいに立派な人になりたいって思ってたんだ。……ありがとう、ルト様!」
少年はボロボロと涙を流し、本を抱きしめて私の足元に跪いた。
周りの子供たちも、「ルト様、僕たちを教育してくださるんだね!」と目を輝かせている。
「(……は? 教育? 教科書って、普通は嫌がらせでしょう!?)」
「ルト様……。なんて、なんて深い慈悲を。お菓子で子供たちの心を解きほぐし、その上で未来のための知識を授ける……。これこそ真の教育者ですわ!」
マリアさんが、私の背後で滝のような涙を流していた。
そこへ、なぜか騎士団を引き連れたアラリック様が現れた。
彼は私の姿を見るなり、神々しいものを見たかのように片膝をついた。
「ルト……。君がここにいると聞いて駆けつけたが。……まさか、自ら孤児院に足を運び、物資だけでなく『希望』まで配っていたとは」
「殿下、違います。私はただ、彼らを堕落させ、勉強地獄に突き落とそうと——」
「わかっている。君は、彼らを『自立した国民』に育て上げようとしているんだね。君のその遠大な国家計画、僕も全責任を持って支援しよう。今すぐ、この孤児院を国立の教育機関に格上げする!」
「……は?」
「ルト様万歳!」
「聖女ルト様、万歳!!」
子供たちとマリアさん、そして騎士たちの歓声が、孤児院の庭に響き渡った。
私は、空になった袋を握りしめたまま、その場に棒立ちになった。
お菓子を配れば「慈母」と呼ばれ、嫌な教科書を渡せば「教育の父(母)」と呼ばれ……。
私の「悪の救世主」作戦は、孤児院の子供たちを救い、王子の信頼を不動のものにし、私の評判を伝説の域へと押し上げるという、最悪の成功を収めてしまった。
「(……ねえ、誰か。誰か一人くらい、私を『嫌な女』って言ってよ……!)」
私の切実な願いは、誰にも届くことなく、幸せな歌声にかき消されていった。
私は公爵家の馬車に揺られながら、窓の外を険しい目で見つめていた。
前回の「黒革の手帳」事件以来、私の評判は「人知れず善行を積む、つつましき聖女」という、吐き気のするような方向へ爆走している。
マリアさんが勝手に私の名前で行っていた寄付のせいで、街を歩けば「ルト様、ありがとうございます!」と拝まれる始末。
このままでは、婚約破棄どころか、将来の国母として銅像が立ちかねない。
「お嬢様、そんなに殺気立ってどちらへ? 今日はアラリック殿下との刺繍教室があったはずですが」
アンナが、馬車の揺れに合わせながら冷静に尋ねた。
「刺繍なんてやってる場合じゃないわ! マリアさんが勝手に寄付していたっていう、あの孤児院に行くのよ!」
「……まさか、寄付金を取り返しに行くのですか?」
「失礼ね、そこまで落ちぶれてないわよ。私は、彼らに『本当の絶望』を教えに行くの! 聖女ルト様なんて幻想を、根底からぶち壊してやるわ!」
私は馬車の座席に置いた、ずっしりと重い袋を叩いた。
中には、私が用意した「子供たちが嫌がるもの」が詰まっている。
孤児院に着くと、マリアさんがエプロン姿で子供たちに囲まれていた。
「あ、ルト様! 見てください、子供たちがこんなに元気に……!」
「どきなさい、マリアさん。今日の主役は私よ」
私はマリアさんを突き飛ばす勢いで(実際には、マリアさんが『ああ、ルト様の手の感触……!』とうっとりしながら自分から避けただけだが)中央に立った。
子供たちが、期待に満ちた目で私を見上げてくる。
ふふ……。今にその顔が絶望に染まるわよ。
「いい、子供たち! 私は、あなたたちが思っているような優しい人間ではないわ。さあ、これを受け取りなさい!」
私は袋から、一つ目の「絶望」を取り出した。
「これは、最高級の、ものすごく甘い砂糖菓子よ! これでもかというほど砂糖を使った、体に悪いお菓子なんだから! さあ、食べて虫歯になりなさい!」
私は山のようなお菓子をテーブルにぶちまけた。
子供たちは一瞬静まり返り——……。
「……わあああああ!!」
「お菓子だ! こんなにたくさん、見たことないよ!」
「ルト様、大好き!」
歓喜の嵐が巻き起こった。
子供たちは、虫歯の恐怖などどこへやら、幸せそうにお菓子に食らいついている。
「(……おかしいわね。甘すぎるお菓子は、子供への嫌がらせの定番のはずなのに)」
私は焦って、二つ目の「絶望」を取り出した。
「喜ぶのはまだ早いわよ! 次はこれよ! 難解で、ちっとも面白くない、分厚い教科書! これでお勉強地獄を味わせてやるわ!」
私は、私が学生時代に一番嫌いだった、古い歴史書や算術の本を叩きつけた。
「……っ!!」
一人の少年が、その本を震える手で取った。
よし、泣きなさい! 勉強の苦しさに悶絶しなさい!
「……すごい。これ、欲しかったんだ。……僕、字を覚えて、いつかルト様みたいに立派な人になりたいって思ってたんだ。……ありがとう、ルト様!」
少年はボロボロと涙を流し、本を抱きしめて私の足元に跪いた。
周りの子供たちも、「ルト様、僕たちを教育してくださるんだね!」と目を輝かせている。
「(……は? 教育? 教科書って、普通は嫌がらせでしょう!?)」
「ルト様……。なんて、なんて深い慈悲を。お菓子で子供たちの心を解きほぐし、その上で未来のための知識を授ける……。これこそ真の教育者ですわ!」
マリアさんが、私の背後で滝のような涙を流していた。
そこへ、なぜか騎士団を引き連れたアラリック様が現れた。
彼は私の姿を見るなり、神々しいものを見たかのように片膝をついた。
「ルト……。君がここにいると聞いて駆けつけたが。……まさか、自ら孤児院に足を運び、物資だけでなく『希望』まで配っていたとは」
「殿下、違います。私はただ、彼らを堕落させ、勉強地獄に突き落とそうと——」
「わかっている。君は、彼らを『自立した国民』に育て上げようとしているんだね。君のその遠大な国家計画、僕も全責任を持って支援しよう。今すぐ、この孤児院を国立の教育機関に格上げする!」
「……は?」
「ルト様万歳!」
「聖女ルト様、万歳!!」
子供たちとマリアさん、そして騎士たちの歓声が、孤児院の庭に響き渡った。
私は、空になった袋を握りしめたまま、その場に棒立ちになった。
お菓子を配れば「慈母」と呼ばれ、嫌な教科書を渡せば「教育の父(母)」と呼ばれ……。
私の「悪の救世主」作戦は、孤児院の子供たちを救い、王子の信頼を不動のものにし、私の評判を伝説の域へと押し上げるという、最悪の成功を収めてしまった。
「(……ねえ、誰か。誰か一人くらい、私を『嫌な女』って言ってよ……!)」
私の切実な願いは、誰にも届くことなく、幸せな歌声にかき消されていった。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
良いものは全部ヒトのもの
猫枕
恋愛
会うたびにミリアム容姿のことを貶しまくる婚約者のクロード。
ある日我慢の限界に達したミリアムはクロードを顔面グーパンして婚約破棄となる。
翌日からは学園でブスゴリラと渾名されるようになる。
一人っ子のミリアムは婿養子を探さなければならない。
『またすぐ別の婚約者候補が現れて、私の顔を見た瞬間にがっかりされるんだろうな』
憂鬱な気分のミリアムに両親は無理に結婚しなくても好きに生きていい、と言う。
自分の望む人生のあり方を模索しはじめるミリアムであったが。
10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定
悪女と呼ばれた王妃
アズやっこ
恋愛
私はこの国の王妃だった。悪女と呼ばれ処刑される。
処刑台へ向かうと先に処刑された私の幼馴染み、私の護衛騎士、私の従者達、胴体と頭が離れた状態で捨て置かれている。
まるで屑物のように足で蹴られぞんざいな扱いをされている。
私一人処刑すれば済む話なのに。
それでも仕方がないわね。私は心がない悪女、今までの行いの結果よね。
目の前には私の夫、この国の国王陛下が座っている。
私はただ、
貴方を愛して、貴方を護りたかっただけだったの。
貴方のこの国を、貴方の地位を、貴方の政務を…、
ただ護りたかっただけ…。
だから私は泣かない。悪女らしく最後は笑ってこの世を去るわ。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ ゆるい設定です。
❈ 処刑エンドなのでバットエンドです。
「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして
東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。
破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。