1 / 11
食べてください1 【ラビィ】
しおりを挟む「来い」
ぶっきらぼうにそう言った低い声を、目の前に差し出された大きな手を、未だにはっきりと覚えている。
暗いところで鎖に繋がれ、地下水を啜り生き延びてきた僕にとって、その手はまさしく神の手だった。
✢
軍神アルリエタ。
この国で知らぬものはいない、最強と呼ばれるその人が、僕のお仕えするご主人様だ。
黒く尖った三角の耳と、ふっさりと豊かで艷やかな尻尾。厳しく鋭い金の眼差し。狼の中でも最上級の立派な体躯と、この上なく整ったお顔立ち。そして、それらが霞んでしまうほどの、常人離れした武勇。
富と、名声と、そして優しいお心と。
すべてにおいて完璧なご主人様の、ただ一つの汚点。それが僕だ。
―――…………耳なし……?
―――ほら、あれだよ、軍神様のとこの……、
―――軍神様も人が好い。
―――なんて見苦しいの。
街を歩くとひそひそと聞こえてくる声に、俯きそうになるのを懸命に堪える。
『俯くな』と、昔ご主人様が言ってくださったから。
『男が俯いていいのは、己に恥じるところがあったときだけだ』と。『お前は何か恥じるようなことをしたのか?』と、厳しく教えてくださったから。
「ガザイモとラルベリーを下さい」
「チッ」
外出するときには必ず手袋をしている。穢らわしい『耳なし』が何かに触れたりしたら、それはもう使えなくなってしまうから。
それでもお金を直接手渡すなんてできなくて、指されたところに丁寧に並べる。そうして、ぴったり値段通りの品物を受け取って、よろよろと来た道を引き返す。
僕が買い物をできるのも、ぴったり値段通りの品物が受け取れるのも、ご主人様にお仕えさせて頂いているおかげだ。ご主人様のお腹に入るものだとわかっているから、お店もしぶしぶ売ってくださる。
それを申し訳なく思いながらも、深々とお辞儀をして感謝を示した。
✢
耳なし。
ご主人様や他の人たちと違って、頭に三角の耳のないイキモノ。
その代わりに頭の側面にある、不思議な形の肌色の耳で、僕は音を聞いている。
それを教えてくださったのも、ご主人様だった。
『耳なしは、他国ではニンゲンと呼ばれている。ニンゲンばかりの国もある。そして、獣人とニンゲンが交わると、どちらかの形質を色濃く継いだ仔が生まれる。お前はニンゲンが強く出たということだろう』
口を開けてみろ、と言われて口を開けると、ご主人様が爪でこつこつと牙を叩いた。
ご主人様ほど立派ではない牙だけど、これが獣人の血も入っている証拠だと言う。ニンゲンには存在しないものらしいから。
『それから、ココもだ』
そう言ってご主人様が触ったのは、小さくて不格好な僕の尻尾。お尻からちんまり生えているだけで、ズボンを履くとあるかどうかもわからなくなる。混ざっているのは犬獣人の血らしいのに、うさぎみたいな情けないしっぽだ。
ふっさりと豊かなご主人様の尻尾と違っていて恥ずかしいけど、これもニンゲンには存在しないものらしい。
『つまり、お前はどこもおかしくはない。堂々と胸を張っていればいい。俺の唯一として』
まっすぐに僕を見つめるご主人様に、『はい』と頑張って答えたけれど、涙はぼろぼろとこぼれ落ちた。
ご主人様は、どこまでも立派で、お優しくて。
『耳なし』だからと幽閉され、死を待つばかりの僕を救い出してくださったばかりか、こうして心も救ってくださる。
ぼろぼろと泣く僕の頭を優しく撫でて、抱きしめて、あやすように背中をとんとん叩いてくださる。
たった一人の使用人だから『唯一』と呼んで、大事な家族にするかのように、温かいものを与えてくださる。
これほどに素晴らしいご主人様に、僕は何をお返しできるだろう。
どうしたら、少しでもご恩に報いることができるだろう。
このときからずっと、僕は答えを探している。
応援ありがとうございます!
12
お気に入りに追加
514
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる