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食べてください3 【ラビィ】

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―――ご主人様が、今も苦しんでいらっしゃる。

あの日から既に二日経つけれど、うめき声は一時も絶えることなく続いている。ご主人様のお部屋はしっかりと閉め切られているのに、離れている僕の部屋まで聞こえてくるのだから、いったいどれほどのお苦しみだろう。
僕に変わって差し上げられたら。
それが無理なら、どうにかして、お苦しみを和らげて差し上げられたら。
この苦しみに満ちたお声を、聞くことしかできないのがもどかしい。
ご主人様は僕を救ってくださったのに、僕はただご主人様に頂くばかりで。それがどうしようもなく、悲しい。

「―――――」

ふいに、ご主人様が僕の名を呼んだ。うめき声に混ざって微かに、けれど確かに『ラビィ』と聞こえた。
弾かれたように立ち上がり、寝間着のままで廊下に出る。『くれぐれも近づくな』『何があっても近寄るな』と、ご主人様は何度も仰っていたけれど。もしかしたら、中で何かあったのかもしれない。
お怪我か、他のお困りごとか―――僕にお手伝いできることがあるのかもしれない。
大慌てでご主人様のお部屋に向かい、急いで扉をノックする

「ご主人様! ラビィが参りました! 開けてください!」

使用人にあるまじき強さで扉を叩き、中に届くように声を上げる。
ときどき耳を澄ませても、中からは聞こえるのは『ぐる、る』という小さなうなりだけ。もしかすると本当に、体調を崩されたのかもしれない。

―――どうしよう、鍵はご主人様がお持ちだし、

窓からなら入れるだろうか、と踵を返しかけた時、背後の扉が大きく開いた。

「! ごしゅ、」

じんさま、と続ける前に、乱暴に部屋に引きずりこまれた。一瞬宙に浮いたような感覚のあと、背中に柔らかなものが触れ、見開いた視界に影が映る。
ピンと尖った二つの耳。夜よりも艷やかな黒の毛並み。ぎらぎらと光る金の瞳。
それらはよく見知ったご主人様のものだけど、そのお顔だけが、全然違う。

「っい、」

ビリッと寝間着が爪で割かれて、痛くないのに悲鳴が漏れた。鋭い爪の生えた右手。それもいつものご主人様とは違う。
顔も、手も、そして胸元も。見える範囲は毛で覆われ、鼻面は長く伸びている。まるで本当の狼のようだ。
…………それも、とくべつ、美しい狼。

初めてのお姿に見惚れていたら、ざらりと首筋を舐め上げられた。熱い吐息がそこにかかり、知らない感覚に身を竦める。それに構わず硬いものがごりごりとお腹に押し当てられて、今度は下穿きが引き裂かれる。
いつも穏やかなご主人様の金の瞳は、今はぎらぎらと光るだけ。喉もぐるぐると鳴り続けている。

―――もしかしたら、僕を食べたいのかもしれない。

発情期には獣の本能が高まると、ご主人様は仰っていた。とても理性では抑えられないほど、欲が高まってしまうのだと。
だから、絶対に近づいてはならないと。
……獣の本能というものが、何を示しているのかはよくわからない。ご主人様は、いつかわかると言うだけで、教えてはくださらなかったから。
けれど、邪魔な服を引き裂いて、頬や首をぞろりと舌で舐めあげる姿は、獲物を前にした獣のようだ。
兎を前にした、狼のようだ。

「……ら、ビィ…………なぜ、」

ひたりと動きを止めたご主人様が、掠れた声で僕を呼んだ。
シーツにぐっと爪を立て、ぎりぎりと歯を食いしばる。その口元は血で汚れていて、ご主人様の苦しみの強さを思わせる。

―――いったい、どれほど、堪えていらっしゃるのか。

狩りたいという本能を、ずっとずっと我慢して。血が滲むほど歯を食いしばり、シーツをぼろぼろになるまで引き裂いて。
発情期が明けて、凄惨な寝室の有り様を目の当たりにするたび、そのお苦しみに思いを馳せてきた。
こんなに素晴らしいご主人様が、これほどまでに苦しまれるほどおつらいなら。どうにかして苦しみを和らげて差し上げられたら、と。
僕にできることであれば、どんなことでもするのにと。

「食べて、ください」
「……な、に…………?」
「食べてください。僕、ご主人様に、食べられたいです!」

金の瞳をしっかりと見つめて、はっきりと自分の気持ちを伝える。ちかちかと明滅するようだった理性の光が、ぶつんと途絶えるのがわかる。
獰猛極まりない狼が、獲物を前に舌なめずりする。

恐ろしいはずのその光景も、これから食べられてしまうことも、不思議とまったく怖くはなかった。

ご主人様なら、怖くなかった。


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