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「婚約者……? グランディ公爵、君は冗談が過ぎるぞ」
クラーク王太子は、足元に落ちたバラの花束を拾い上げることもせず、引きつった笑みを浮かべた。
「ローゼンは昨日、僕に婚約破棄を言い渡されたばかりだ。それが一晩で、しかも『氷の公爵』と呼ばれる君と婚約? ありえない話だ」
彼は自信満々に首を振る。
その根拠のない自信はどこから湧いてくるのか。ある意味、そのメンタルだけは尊敬に値するかもしれない。
私は内心でため息をつきつつ、アイザック様の背後から顔を覗かせた。
「殿下。残念ながら事実です。先ほど、契約書にサインをいたしました」
「ふっ、ローゼン。強がらなくていいんだよ」
クラーク様は私の言葉を、右から左へと華麗に受け流した。
「僕の気を引くために、あえて他の男と親しくしてみせているのだろう? 『ジェラシー作戦』というやつか。いじらしいじゃないか」
「……」
ジェラシー作戦。
その単語を聞いた瞬間、私の表情筋が死滅した。
なんと非効率的で、生産性のない作戦名だろうか。
私が無言で彼を見つめていると(ゴミを見る目つきで)、クラーク様はそれを「図星を突かれて黙り込んだ」と解釈したらしい。
一歩、こちらへ近づいてくる。
「昨日の今日で、すぐに迎えに来てやったんだ。感謝してほしいな」
「迎え、ですか?」
「ああ。父上……国王陛下にも叱られてな。『優秀なローゼンを手放すとは何事か』と。だから、特別に許してやろうと思う」
彼は恩着せがましく胸を張った。
「婚約破棄は撤回しないが、僕の『側室』としてなら、城に戻ることを許可する。どうだ? 正妃のミーナを支える、実務担当の側室だ。君の得意分野だろう?」
空気が、凍りついた。
物理的に温度が下がった気がして横を見ると、アイザック様が抜刀しそうな殺気を放っていた。
しかし、私が口を開く方が先だった。
「――お断りします」
私の声は、自分でも驚くほど平坦だった。
怒りよりも、呆れが勝っていた。
「側室? 正妃の実務担当? つまり、名前だけの正妃の代わりに、私が裏で全ての公務をこなせ、ということですね?」
「人聞きが悪いな。適材適所だよ。ミーナには華があるが、事務能力はない。君には可愛げはないが、事務能力がある。完璧な布陣じゃないか」
「……労働基準法をご存知ですか?」
「ん? なんだそれは」
だめだ、話にならない。
私はこれ以上、彼にリソースを割くのをやめた。
「殿下。私は公務という名の激務から解放され、非常に清々しい気分なのです。それを、なぜ好き好んで『身分を下げて労働環境を悪化させる』提案に乗らなければならないのです?」
「なっ……愛があるからだろう!?」
「ありません(即答)」
「嘘をつくな! なら、なぜ昨日はあんなに悲しそうな顔で走り去ったんだ!」
「トイレに行きたかったからです(嘘)」
「えっ」
「あるいは、早く帰って本を読みたかったからです(真実)」
クラーク様は口をパクパクさせている。
その隙に、アイザック様が一歩前に出た。
彼は私の腰に手を回し、所有権を主張するようにクラーク様を見下ろした。
「……お聞きになりましたか、殿下。彼女は『嫌だ』と言っている。これ以上、私の婚約者に付きまとうなら、騎士団長として不審者対応をさせていただきますが」
「ふ、不審者!? 僕は王太子だぞ!」
「王太子であろうと、嫌がる女性にしつこく迫ればストーカーです。騎士団の規律に従い、拘束します」
アイザック様の目が、本気だった。
紫色の瞳が、獲物を狩る直前の獣のように細められている。
「それに……殿下。貴殿は大きな勘違いをしている」
「な、なんだ」
「ローゼンは『可愛げがない』とおっしゃいましたね?」
アイザック様は、私の顔を覗き込んだ。
私は今、最高に不機嫌で、最高に冷めた目をしている自覚がある。
けれど、彼はその顔を見て、うっとりと頬を染めたのだ。
「見ろ、この冷徹な眼差しを。元婚約者の戯言を、道端の石ころ以下に見なす、この崇高な無表情を」
「は……?」
「これのどこが可愛げがないというのだ? 最高にキュートで、ゾクゾクするほど美しいではないか!」
「…………」
クラーク様が、ドン引きして後ずさった。
私も正直、少し引いている。
だが、この変態公爵の勢いは止まらない。
「彼女の価値を理解できない貴殿に、彼女を語る資格はない。……さあ、帰った帰った! ここは私の妻の実家だ!」
アイザック様は手をシッシッと振り、王太子を追い払う仕草をした。
「き、貴様ら……! 後悔するぞ! ローゼン、君は必ず泣いて僕に縋ってくるはずだ! その時になって謝っても知らないからな!」
クラーク様は顔を真っ赤にして、捨て台詞を吐きながら去っていった。
バタン、と玄関の扉が閉まる。
ようやく、静寂が戻ってきた。
私は深いため息をついた。
「……はぁ。朝から高カロリーな消費でした」
「よくやった、ローゼン。あの『労働基準法』の下り、最高に痺れたぞ」
「そうですか。……ところで公爵様、いつまで腰に手を?」
「一生」
「追加料金が発生しますよ」
「ツケておいてくれ。言い値で払おう」
アイザック様は楽しそうに笑い、それから私の両親に向き直った。
父と母は、王太子を追い返した事実に震え上がり、互いに抱き合ってガタガタしていた。
「ベルク公爵。先ほどの話通り、借金は私が全額返済する。その代わり、ローゼンは今すぐ私が連れて帰る」
「は、はいぃぃ……! 娘を、どうぞよろしくお願いいたしますぅぅ……!」
父は涙目で即諾した。
娘を売ったようにも見えるが、借金取りに追われるよりはマシだという判断だろう。
「ローゼン、荷造りは済んだか?」
「ええ、ハンナが優秀ですので」
私の視線の先には、すでにトランクの山を築いたハンナが待機していた。
彼女はなぜか、私の「お気に入りの枕」と「厳選した魔導書100選」だけは、手持ちのカバンにしっかりと詰め込んでいた。
「準備万端です、お嬢様! さあ、愛の逃避行へ!」
「……だから、再就職よ」
私は訂正しつつ、住み慣れた実家を見渡した。
少し寂しい気もするが、ここには「平穏」がない。
借金取りか、王太子か、どちらかが扉を叩く日々なのだ。
ならば、変態公爵の屋敷の方が、セキュリティ面では安全だろう。
「行きましょう、アイザック様。私の安眠できる寝床へ」
「ああ。最高のベッドと、最高の図書室を用意して待っている」
彼は私の手を取り、エスコートした。
その手は大きく、温かかった。
性格に難はあるが、この手厚い福利厚生だけは評価に値する。
私は公爵家の馬車に乗り込んだ。
目指すは、アイザック・グランディの屋敷。
そこが私の、新たな引きこもり拠点(予定)である。
***
馬車に揺られること三十分。
到着したグランディ公爵邸は、予想を遥かに超える規模だった。
「……城塞ですか?」
私は窓の外を見て呟いた。
高い塀。厳重な警備。
そして、無駄に広く手入れされた庭園。
「気に入ったか? 警備は万全だ。クラーク殿下も、ネズミ一匹入れない」
「素晴らしいです。これなら安心して昼寝ができます」
馬車が止まり、玄関ホールへ。
そこには、ズラリと並んだ使用人たちが待ち構えていた。
「おかえりなさいませ、旦那様! そして……ようこそお越しくださいました、未来の奥様!」
一糸乱れぬ挨拶。
しかし、彼らの表情はどこか引きつっていた。
それもそうだろう。
悪名高い「悪役令嬢ローゼン」が、突然女主人としてやって来るのだ。
『すぐにクビにされるんじゃないか』
『いびられるんじゃないか』
そんな恐怖心が、空気を通して伝わってくる。
アイザック様が私の横に立ち、使用人たちに向けて言った。
「紹介しよう。私の婚約者、ローゼン・ベルク嬢だ。これからは彼女がこの屋敷のルールだ。彼女の言葉は私の言葉と思え」
その瞬間、使用人たちがビクリと震えた。
私は彼らをゆっくりと見回した。
無表情で。
じっと。
(……人数が多いわね。これだけの人数を効率的に動かすには、シフト管理の見直しが必要かしら)
私が業務改善の視点で彼らを観察していると、彼らはそれを「値踏みされている」と勘違いしたようだ。
最前列にいたメイド長らしき年配の女性が、震える声で言った。
「あ、あの……ローゼン様。至らぬ点も多いかと存じますが、どうかご慈悲を……」
「ご慈悲?」
私は首を傾げた。
「何を言っているのです? 私は貴方たちをいじめる暇などありません」
「えっ?」
「私が貴方たちに求めるのは、たった三つです」
私は指を三本立てた。
「一、私の睡眠を妨げないこと。
二、食事は美味しく、かつ栄養バランスを考慮すること。
三、屋敷内の清掃は徹底すること。特に図書室の埃は許しません」
「は、はい……?」
「以上です。それ以外の時間は、好きにしなさい。私の世話も最低限で結構。お茶も自分で淹れますので」
しーん、と静まり返るホール。
メイド長が恐る恐る尋ねる。
「あ、あの……理不尽な言いがかりをつけて、ドレスを切り裂いたりは……?」
「しません。資源の無駄です」
「熱い紅茶を頭からかけたりは……?」
「しません。火傷の治療費と、カーペットのクリーニング代が勿体無いです」
私はきっぱりと言い切った。
「私は合理的であることを好みます。無意味な虐めなど、時間の浪費でしかありません。……以上、解散」
私がそう告げると、使用人たちは呆気にとられた顔を見合わせた。
そして次の瞬間。
「……か、神だ」
誰かが呟いた。
「なんて合理的なんだ……!」
「今まで噂では『稀代の悪女』と聞いていたけど、めちゃくちゃ話が通じる方じゃないか!?」
「しかも『お茶は自分で淹れる』とおっしゃったぞ!?」
空気が一変した。
恐怖の対象から、一気に「崇拝の対象」へと評価が切り替わっていくのを感じる。
アイザック様が、私の耳元で囁いた。
「さすがだ、ローゼン。着いて早々、彼らの心を掌握するとは」
「……ただの手抜き宣言をしただけなのですが」
「その飾らない姿勢が、彼らにはカリスマに見えるのだろう。……俺と同じようにな」
彼は満足げに頷くと、私の腰を抱き寄せた。
「さあ、案内しよう。君の城へ」
こうして、私の公爵邸での生活が始まった。
波乱含みの予感しかしなかったが、意外にも、ここでの生活は「快適」そのものだった。
――そう、あの男(クラーク)と、あの女(ミーナ)が、余計なことをしでかすまでは。
クラーク王太子は、足元に落ちたバラの花束を拾い上げることもせず、引きつった笑みを浮かべた。
「ローゼンは昨日、僕に婚約破棄を言い渡されたばかりだ。それが一晩で、しかも『氷の公爵』と呼ばれる君と婚約? ありえない話だ」
彼は自信満々に首を振る。
その根拠のない自信はどこから湧いてくるのか。ある意味、そのメンタルだけは尊敬に値するかもしれない。
私は内心でため息をつきつつ、アイザック様の背後から顔を覗かせた。
「殿下。残念ながら事実です。先ほど、契約書にサインをいたしました」
「ふっ、ローゼン。強がらなくていいんだよ」
クラーク様は私の言葉を、右から左へと華麗に受け流した。
「僕の気を引くために、あえて他の男と親しくしてみせているのだろう? 『ジェラシー作戦』というやつか。いじらしいじゃないか」
「……」
ジェラシー作戦。
その単語を聞いた瞬間、私の表情筋が死滅した。
なんと非効率的で、生産性のない作戦名だろうか。
私が無言で彼を見つめていると(ゴミを見る目つきで)、クラーク様はそれを「図星を突かれて黙り込んだ」と解釈したらしい。
一歩、こちらへ近づいてくる。
「昨日の今日で、すぐに迎えに来てやったんだ。感謝してほしいな」
「迎え、ですか?」
「ああ。父上……国王陛下にも叱られてな。『優秀なローゼンを手放すとは何事か』と。だから、特別に許してやろうと思う」
彼は恩着せがましく胸を張った。
「婚約破棄は撤回しないが、僕の『側室』としてなら、城に戻ることを許可する。どうだ? 正妃のミーナを支える、実務担当の側室だ。君の得意分野だろう?」
空気が、凍りついた。
物理的に温度が下がった気がして横を見ると、アイザック様が抜刀しそうな殺気を放っていた。
しかし、私が口を開く方が先だった。
「――お断りします」
私の声は、自分でも驚くほど平坦だった。
怒りよりも、呆れが勝っていた。
「側室? 正妃の実務担当? つまり、名前だけの正妃の代わりに、私が裏で全ての公務をこなせ、ということですね?」
「人聞きが悪いな。適材適所だよ。ミーナには華があるが、事務能力はない。君には可愛げはないが、事務能力がある。完璧な布陣じゃないか」
「……労働基準法をご存知ですか?」
「ん? なんだそれは」
だめだ、話にならない。
私はこれ以上、彼にリソースを割くのをやめた。
「殿下。私は公務という名の激務から解放され、非常に清々しい気分なのです。それを、なぜ好き好んで『身分を下げて労働環境を悪化させる』提案に乗らなければならないのです?」
「なっ……愛があるからだろう!?」
「ありません(即答)」
「嘘をつくな! なら、なぜ昨日はあんなに悲しそうな顔で走り去ったんだ!」
「トイレに行きたかったからです(嘘)」
「えっ」
「あるいは、早く帰って本を読みたかったからです(真実)」
クラーク様は口をパクパクさせている。
その隙に、アイザック様が一歩前に出た。
彼は私の腰に手を回し、所有権を主張するようにクラーク様を見下ろした。
「……お聞きになりましたか、殿下。彼女は『嫌だ』と言っている。これ以上、私の婚約者に付きまとうなら、騎士団長として不審者対応をさせていただきますが」
「ふ、不審者!? 僕は王太子だぞ!」
「王太子であろうと、嫌がる女性にしつこく迫ればストーカーです。騎士団の規律に従い、拘束します」
アイザック様の目が、本気だった。
紫色の瞳が、獲物を狩る直前の獣のように細められている。
「それに……殿下。貴殿は大きな勘違いをしている」
「な、なんだ」
「ローゼンは『可愛げがない』とおっしゃいましたね?」
アイザック様は、私の顔を覗き込んだ。
私は今、最高に不機嫌で、最高に冷めた目をしている自覚がある。
けれど、彼はその顔を見て、うっとりと頬を染めたのだ。
「見ろ、この冷徹な眼差しを。元婚約者の戯言を、道端の石ころ以下に見なす、この崇高な無表情を」
「は……?」
「これのどこが可愛げがないというのだ? 最高にキュートで、ゾクゾクするほど美しいではないか!」
「…………」
クラーク様が、ドン引きして後ずさった。
私も正直、少し引いている。
だが、この変態公爵の勢いは止まらない。
「彼女の価値を理解できない貴殿に、彼女を語る資格はない。……さあ、帰った帰った! ここは私の妻の実家だ!」
アイザック様は手をシッシッと振り、王太子を追い払う仕草をした。
「き、貴様ら……! 後悔するぞ! ローゼン、君は必ず泣いて僕に縋ってくるはずだ! その時になって謝っても知らないからな!」
クラーク様は顔を真っ赤にして、捨て台詞を吐きながら去っていった。
バタン、と玄関の扉が閉まる。
ようやく、静寂が戻ってきた。
私は深いため息をついた。
「……はぁ。朝から高カロリーな消費でした」
「よくやった、ローゼン。あの『労働基準法』の下り、最高に痺れたぞ」
「そうですか。……ところで公爵様、いつまで腰に手を?」
「一生」
「追加料金が発生しますよ」
「ツケておいてくれ。言い値で払おう」
アイザック様は楽しそうに笑い、それから私の両親に向き直った。
父と母は、王太子を追い返した事実に震え上がり、互いに抱き合ってガタガタしていた。
「ベルク公爵。先ほどの話通り、借金は私が全額返済する。その代わり、ローゼンは今すぐ私が連れて帰る」
「は、はいぃぃ……! 娘を、どうぞよろしくお願いいたしますぅぅ……!」
父は涙目で即諾した。
娘を売ったようにも見えるが、借金取りに追われるよりはマシだという判断だろう。
「ローゼン、荷造りは済んだか?」
「ええ、ハンナが優秀ですので」
私の視線の先には、すでにトランクの山を築いたハンナが待機していた。
彼女はなぜか、私の「お気に入りの枕」と「厳選した魔導書100選」だけは、手持ちのカバンにしっかりと詰め込んでいた。
「準備万端です、お嬢様! さあ、愛の逃避行へ!」
「……だから、再就職よ」
私は訂正しつつ、住み慣れた実家を見渡した。
少し寂しい気もするが、ここには「平穏」がない。
借金取りか、王太子か、どちらかが扉を叩く日々なのだ。
ならば、変態公爵の屋敷の方が、セキュリティ面では安全だろう。
「行きましょう、アイザック様。私の安眠できる寝床へ」
「ああ。最高のベッドと、最高の図書室を用意して待っている」
彼は私の手を取り、エスコートした。
その手は大きく、温かかった。
性格に難はあるが、この手厚い福利厚生だけは評価に値する。
私は公爵家の馬車に乗り込んだ。
目指すは、アイザック・グランディの屋敷。
そこが私の、新たな引きこもり拠点(予定)である。
***
馬車に揺られること三十分。
到着したグランディ公爵邸は、予想を遥かに超える規模だった。
「……城塞ですか?」
私は窓の外を見て呟いた。
高い塀。厳重な警備。
そして、無駄に広く手入れされた庭園。
「気に入ったか? 警備は万全だ。クラーク殿下も、ネズミ一匹入れない」
「素晴らしいです。これなら安心して昼寝ができます」
馬車が止まり、玄関ホールへ。
そこには、ズラリと並んだ使用人たちが待ち構えていた。
「おかえりなさいませ、旦那様! そして……ようこそお越しくださいました、未来の奥様!」
一糸乱れぬ挨拶。
しかし、彼らの表情はどこか引きつっていた。
それもそうだろう。
悪名高い「悪役令嬢ローゼン」が、突然女主人としてやって来るのだ。
『すぐにクビにされるんじゃないか』
『いびられるんじゃないか』
そんな恐怖心が、空気を通して伝わってくる。
アイザック様が私の横に立ち、使用人たちに向けて言った。
「紹介しよう。私の婚約者、ローゼン・ベルク嬢だ。これからは彼女がこの屋敷のルールだ。彼女の言葉は私の言葉と思え」
その瞬間、使用人たちがビクリと震えた。
私は彼らをゆっくりと見回した。
無表情で。
じっと。
(……人数が多いわね。これだけの人数を効率的に動かすには、シフト管理の見直しが必要かしら)
私が業務改善の視点で彼らを観察していると、彼らはそれを「値踏みされている」と勘違いしたようだ。
最前列にいたメイド長らしき年配の女性が、震える声で言った。
「あ、あの……ローゼン様。至らぬ点も多いかと存じますが、どうかご慈悲を……」
「ご慈悲?」
私は首を傾げた。
「何を言っているのです? 私は貴方たちをいじめる暇などありません」
「えっ?」
「私が貴方たちに求めるのは、たった三つです」
私は指を三本立てた。
「一、私の睡眠を妨げないこと。
二、食事は美味しく、かつ栄養バランスを考慮すること。
三、屋敷内の清掃は徹底すること。特に図書室の埃は許しません」
「は、はい……?」
「以上です。それ以外の時間は、好きにしなさい。私の世話も最低限で結構。お茶も自分で淹れますので」
しーん、と静まり返るホール。
メイド長が恐る恐る尋ねる。
「あ、あの……理不尽な言いがかりをつけて、ドレスを切り裂いたりは……?」
「しません。資源の無駄です」
「熱い紅茶を頭からかけたりは……?」
「しません。火傷の治療費と、カーペットのクリーニング代が勿体無いです」
私はきっぱりと言い切った。
「私は合理的であることを好みます。無意味な虐めなど、時間の浪費でしかありません。……以上、解散」
私がそう告げると、使用人たちは呆気にとられた顔を見合わせた。
そして次の瞬間。
「……か、神だ」
誰かが呟いた。
「なんて合理的なんだ……!」
「今まで噂では『稀代の悪女』と聞いていたけど、めちゃくちゃ話が通じる方じゃないか!?」
「しかも『お茶は自分で淹れる』とおっしゃったぞ!?」
空気が一変した。
恐怖の対象から、一気に「崇拝の対象」へと評価が切り替わっていくのを感じる。
アイザック様が、私の耳元で囁いた。
「さすがだ、ローゼン。着いて早々、彼らの心を掌握するとは」
「……ただの手抜き宣言をしただけなのですが」
「その飾らない姿勢が、彼らにはカリスマに見えるのだろう。……俺と同じようにな」
彼は満足げに頷くと、私の腰を抱き寄せた。
「さあ、案内しよう。君の城へ」
こうして、私の公爵邸での生活が始まった。
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