婚約破棄された悪役令嬢なのに、なぜか求婚される?

パリパリかぷちーの

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「……コルセットの締め付けが、法的許容範囲を超えている気がするのですが」

私は鏡の前で、恨めしげに呟いた。

今夜は王城で開かれる夜会。
アイザック様が言うところの「お披露目」の日だ。

私の体は、先日購入したミッドナイトブルーのドレスに包まれている。
「戦闘服」と呼ぶにふさわしい、鋭利で美しいデザイン。
しかし、その下ではハンナの匠の技によって、ウエストが数センチ単位で圧縮されていた。

「我慢してください、お嬢様! これが『氷の公爵夫人』としての初陣なのですから!」

ハンナは鼻息荒く、最後の仕上げにダイヤモンドのネックレスを私の首にかけた。

「完璧です……! 冷たく、美しく、そして触れたら斬られそうな鋭さ! これぞ我が主!」

「……褒め言葉として受け取るには、少し語彙が物騒ね」

私は小さく息を吐き(大きく吸えない)、扇を手にした。

 ***

公爵家の馬車に揺られ、王城へ。
隣に座るアイザック様は、終始ご機嫌だった。

「美しいぞ、ローゼン。そのドレス、やはり最高に似合っている」

「ありがとうございます。ですが、このコルセットのせいで酸素摂取効率が20%低下しています。長時間の会話は不可能です」

「構わない。会話は俺が引き受ける。君は隣で、優雅に微笑んで……いや、いつものように無表情で立っていてくれればいい」

彼は私の手を握り、親指で甲を撫でた。

「君がただそこにいるだけで、周囲の有象無象はひれ伏すだろう」

「……魔王の参列ですか、これは」

馬車が止まる。
王城のエントランスには、すでに多くの貴族たちが到着していた。

係員が扉を開ける。
アイザック様が先に降り、私に手を差し伸べた。

「さあ、行こうか。俺の愛しい共犯者」

「……『婚約者』と言ってください」

私はその手を取り、ゆっくりと降り立った。

その瞬間。
周囲の空気が、ピリリと張り詰めたのがわかった。

「おい、あれを見ろ……」
「グランディ公爵だ……」
「隣にいるのは……まさか、ローゼン様?」
「婚約破棄されたばかりだというのに、堂々と……」

ひそひそ話。好奇の視線。嘲笑の気配。
本来なら、針の筵(むしろ)だろう。
「捨てられた女」が、のこのこと社交の場に出てきたのだから。

けれど、私は背筋を1ミリも曲げなかった。
なぜなら、胸を張っていないとコルセットが食い込んで痛いからだ。

(早く終わらせて帰りたい……)

その切実な願望が、私の表情をより一層、冷たく研ぎ澄ませていたらしい。
私たちが歩き出すと、人垣がモーゼの海割れのように左右に開いていく。

「な、なんだあの迫力は……」
「目が……目が合っただけで石にされそうだ……」
「やはり『悪役令嬢』の噂は本当だったのか……」

勝手なことを言っている。
私はただ、「邪魔だ、退け」という意思を込めて視線を送っているだけだ。
効率的な動線確保のためである。

大広間の入り口。
儀典長が、高らかに私たちの到着を告げた。

「アイザック・グランディ公爵閣下! ならびに、ローゼン・ベルク公爵令嬢!」

重厚な扉が開く。
眩いシャンデリアの光。
数百人の貴族たちの視線が一斉に降り注ぐ。

私たちは腕を組み、レッドカーペットの上を歩き出した。

コツ、コツ、コツ。

ヒールの音が響くたび、会場が静寂に包まれていく。

私の紺碧のドレスは、華やかなパステルカラーのドレスが多い会場内で、異質なほどの存在感を放っていた。
そして隣を歩くアイザック様は、「氷の公爵」の名の通り、冷徹な美貌で周囲を威圧している。

(……視線が痛い)

私は内心でぼやいた。
クラーク王太子派の貴族たちが、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべているのが見える。

『見ろよ、捨てられた女だ』
『よく顔を出せたものだな』
『公爵様も物好きだねぇ、あんな中古品を……』

そんな声が、微かに耳に届いた。

その瞬間。
私の腰に回されたアイザック様の手が、ギリリと力を込めた。

彼が立ち止まる。
そして、声のした方向――とある伯爵家の令息たちがたむろしている一角――を、ゆっくりと見やった。

ニコリ。

アイザック様が、極上の笑みを浮かべた。
だが、その瞳は笑っていないどころか、絶対零度の吹雪が吹き荒れていた。

「……何か、面白い話かな?」

静かな、けれど会場の隅々まで届くような、よく通る声。

「私の最愛の婚約者を『中古品』と呼んだのは、どこのどいつだ?」

ヒュッ。
誰かが息を呑む音が聞こえた。
先ほどまで嘲笑していた令息たちが、顔面蒼白で震え上がる。

「あ、い、いえ……そのようなことは……」

「聞こえたぞ。私の耳は地獄耳でね」

アイザック様は、笑顔のまま一歩踏み出した。

「彼女は中古品ではない。クラーク殿下がその価値を見抜けず、手放してしまった至高の原石だ。それを私が拾い上げ、磨き、こうして世界一の宝石にした」

彼は私の手を持ち上げ、恭しく口付けた。

「それとも、君たちの目は節穴か? この美しさが理解できないほど、美的感覚が腐っているのか?」

「ひっ……!」

「もしそうなら、その無駄な眼球……私が抉り出してやろうか?」

殺気。
物理的な圧力が、会場全体を揺らした(気がした)。
シャンデリアがカチャカチャと震えるほどのプレッシャー。

令息たちは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
周囲の貴族たちも、関わり合いになるのを恐れて一斉に目を逸らす。

「……アイザック様」

私は扇で彼の腕を軽く叩いた。
やりすぎだ。
これでは「社交」ではなく「恐喝」である。

「公衆の面前での脅迫は、品位を損ないます。それに、眼球の摘出など衛生的にも法的にも問題があります」

「おっと、すまない。つい虫を駆除したくなってしまって」

彼は何食わぬ顔で戻ってきた。

「だが、これで静かになっただろう?」

確かに。
会場は水を打ったように静まり返り、もはや誰も私たちを嘲笑しようとする者はいなかった。
恐怖による支配。
極めて非民主的だが、効果的ではある。

「……行きましょう。立ち止まっていると邪魔になります」

私は彼を促し、会場の奥へと進んだ。

「ローゼン、ダンスはどうだ?」

「お断りします。コルセットがきついので、激しい運動は命に関わります」

「では、壁際でドリンクでも?」

「それがいいです。壁の花として、背景と同化するのが私の希望です」

私たちは壁際の目立たない(はずの)場所を確保し、グラスを手に取った。
これでやっと一息つける。

そう思ったのも束の間。

「……やあ。随分と派手な登場だったね」

聞き覚えのある、無駄に甘ったるい声。
ため息をつきながら振り返ると、そこには案の定、クラーク王太子が立っていた。
隣には、今日も今日とてミーナが張り付いている。

「クラーク様。ごきげんよう」

私は最低限の礼をした。

「ローゼン。そのドレス……随分と地味な色じゃないか。まるで喪服だね」

クラーク様は鼻で笑った。

「僕との婚約破棄が、それほどショックだったのかな? 世界が終わったような顔をしているよ」

「いいえ。これは『夜明け前の空の色』です」

私は即答した。

「貴方という太陽(自称)が沈み、静寂と平穏が訪れたことを表現しております」

「……へりくつを!」

クラーク様が顔を赤くする横で、ミーナが一歩前に出てきた。

「ローゼン様ぁ、お久しぶりですぅ! あ、足のお怪我は大丈夫ですかぁ?」

ミーナは心配そうな顔で、とんでもないことを言い出した。
先日の「当たり屋事件」を、記憶の中で改ざんしているらしい。

「私、あの時ローゼン様に突き飛ばされて……でも、ローゼン様もよろけていらしたから、心配で心配で!」

「……記憶の捏造はおやめください。私の足腰は盤石です」

「もう、強がらないで! ……あ、そうだわ。せっかくだから、皆さんに『真実』をお話ししてもよろしくて?」

ミーナは邪悪な笑みを浮かべ、声を張り上げた。

「皆様ぁ! 聞いてくださいまし! 実はローゼン様、公爵家に監禁されていらっしゃるんですって!」

会場がざわつく。

「借金のカタに売られて……毎日、泣いて暮らしているそうですの! 先ほどの公爵様の脅しも、ローゼン様を逃さないための束縛なんですわ!」

なんという脚本力。
三流小説家になれる才能がある。

「だから私たちが、ローゼン様を救い出さなきゃいけないんです! そうでしょ、クラーク様!」

「ああ、その通りだ! ローゼン、怖がらなくていい! 今すぐこっちへ来い!」

クラーク様が手を伸ばしてくる。
周囲の貴族たちは、「え、そうなの?」「やっぱり無理やりだったのか……」「可哀想に」と、再び同情ムードに流され始める。

(……面倒くさい)

私はグラスの中の炭酸水を飲み干し、決断した。
言葉で否定しても、彼らの脳内フィルターには届かない。
ならば、行動で示すしかない。

「……アイザック様」

「なんだい?」

「追加料金、10万ゴールド。ツケておいてください」

「ん?」

私はグラスを置き、アイザック様の胸倉を掴んだ。
そして、彼を強引に引き寄せ――背伸びをした。

チュッ。

一瞬の静寂。
私はアイザック様の頬に、リップ音を立ててキスをした。

「!!??」

会場中が凍りついた。
クラーク様は目玉が飛び出そうになり、ミーナは絶句している。
そして何より、アイザック様自身が石像のように固まっていた。

私はすっと離れ、ハンカチで口元を拭いながら、クラーク様たちに向かって冷ややかに言い放った。

「……見ての通りです。監禁されている人間が、看守にキスをするでしょうか?」

「な、ななな……」

「それに、毎日泣いて暮らしている? いいえ、私は毎日、彼の用意する極上のスイーツと書物に囲まれ、これ以上ないほど甘やかされています」

私はアイザック様の腕に、自ら絡みついた。

「この方は、貴方たちのように騒がしくなく、私の安眠を妨害せず、何より『金払い』がいい。……最高の優良物件です。お返しするつもりは毛頭ありません」

「ろ、ろーぜん……!?」

クラーク様がわなわなと震える。

その時。
石化していたアイザック様が、再起動した。

「……ローゼン」

彼の顔は、かつてないほど赤く染まり、目はトロンと潤んでいた。

「今……自分から、したな?」

「はい。効率的な反証のためです」

「……契約外だ。だが……ボーナスステージか?」

彼は震える手で頬を押さえた。

「ああ、もうダメだ。理性が焼き切れた」

「え?」

次の瞬間。
アイザック様は私の腰を抱き寄せ、今度は私の唇を塞いだ。
頬ではない。唇だ。
しかも、フレンチではない。濃厚なやつだ。

「んっ!? むぐっ……!?」

会場のど真ん中で。
衆人環視の中で。
公爵と元悪役令嬢の、熱烈な接吻ショーが開催された。

数秒後(体感では数分後)、ようやく解放された私は、酸欠でふらついた。
顔が熱い。今度こそ、怒りだけでなく羞恥心で爆発しそうだ。

「……つ、追加料金……500万ゴールド……!!」

私が息も絶え絶えに請求すると、アイザック様は肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。

「安いものだ。……さあ、殿下。これでわかっただろう?」

彼は腰の抜けたクラーク様を見下ろした。

「彼女は俺のものだ。……二度と、近づくな」

決定的な敗北。
クラーク様とミーナは、もはや言葉もなく、その場から逃げ出すことすらできずに立ち尽くしていた。

周囲からは、いつの間にか拍手が巻き起こっていた。
「すごい……」「あんな熱烈な……」「やはり愛し合っていたのか」
誤解は解けたが、代わりに「バカップル」という新たなレッテルが貼られた気がする。

私はアイザック様の胸に顔を埋め(顔を見られたくなくて)、深く後悔した。

(……効率を求めた結果、最大の自爆をしてしまったわ)

私の「壁の花になりたい」という願いは、木っ端微塵に砕け散ったのである。
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