婚約破棄された悪役令嬢なのに、なぜか求婚される?

パリパリかぷちーの

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「……それで? 王城が『崩壊』したとは、物理的な崩落ですか? それとも比喩ですか?」

私は公爵邸の応接間で、目の前の人物に冷たいお茶を差し出しながら尋ねた。

そこに座っていたのは、王城の文官、スミスだった。
かつて私が王太子妃教育の一環として執務室に出入りしていた頃、私の補佐をしていた真面目な青年だ。

しかし、今の彼にかつての面影はない。
頬はこけ、目の下にはどす黒いクマがあり、髪はボサボサ。
まるで数百年生きたアンデッドのような形相で、震える手でティーカップを握りしめている。

「ひ、比喩……いえ、実質的には物理的崩壊に近いです、ローゼン様……」

スミスは涙目で訴えた。

「ローゼン様がいなくなってから約2週間。……王城の行政機能は、完全に麻痺しました」

「大袈裟ですね。私一人が抜けた程度で傾くような組織運営はしていなかったはずですが」

「いいえ! ローゼン様こそが『要石』だったのです!」

彼は声を荒げ、そして力なく項垂れた。

「……あの日、ローゼン様が去ってから、クラーク殿下が仰ったのです。『あんな女がいなくとも、僕とミーナがいれば十分だ』と」

「ええ、言いそうですね」

「そして殿下は、ローゼン様が処理していた決済書類の山を見て、『これくらい僕にもできる』と豪語し、ミーナ様と共に執務を開始されました」

私は嫌な予感しかしなかった。
私の処理能力は、自慢ではないが常人の5倍はある。
それを、実務経験ゼロの王子と、お花畑令嬢が?

「……結果は?」

「地獄絵図です」

スミスは遠い目をした。

「まず、殿下は書類を読みません。『承認』のハンコを押すのが仕事だと思っておられるようで、中身を確認せずに次々と予算案を通されました」

「……は?」

「その結果、冬の除雪費用が全額『王宮のバラ園の改装費』に回され、北部の代官から暴動寸前の抗議文が届きました」

「馬鹿なのですか?」

「さらに、ミーナ様が『お手伝いしますぅ♡』と言って、外交文書の整理を始めたのですが……」

スミスが頭を抱えた。

「『国ごとに色分けした方が可愛いです!』という謎の基準で、重要度も機密度も無視してファイリングを解体。……現在、隣国との不可侵条約の原本が行方不明です」

「……それは、国際問題に発展しますね」

「はい。外務大臣が白目を剥いて倒れました」

想像以上の惨状だった。
私が長年かけて構築した「超効率的書類処理システム」が、わずか2週間で「おままごとセット」に変わってしまったようだ。

「……それで、私にどうしろと?」

「お、お願いします! 戻ってきてください!」

スミスはテーブルに額を擦り付けて土下座した。

「このままでは国が止まります! 現場の官吏たちは皆、限界です! 『ローゼン様なら3秒で終わる案件が、殿下だと3日経っても返ってこない』と嘆いています!」

「……」

「どうか、一時的でも構いません! 知恵をお貸しください!」

彼の悲痛な叫びは、同情を誘うものだった。
かつての同僚として、彼らが苦しんでいるのは心が痛む。

だが。

「……お断りします」

私は冷徹に告げた。

「えっ……」

「スミス。私はもう、王太子殿下の婚約者ではありません。部外者です。部外者が国の重要書類に触れることは、法律で禁じられています」

「そ、それはそうですが! 特例として……!」

「それに」

私はカップを置き、厳しい口調で言った。

「私が手助けをすれば、どうなると思いますか? 現場は一時的に助かるでしょう。ですが、クラーク殿下はこう思うはずです。『なんだ、やっぱりローゼンは僕のために働きたいんだな』と」

「あっ……」

「そして、自分たちの無能さを棚に上げ、また私に全てを押し付ける。……それでは根本的な解決になりません。組織の新陳代謝を阻害するだけです」

「……」

「一度、完全に崩壊させた方がいいのです。痛みを伴わなければ、あの馬鹿……失礼、殿下たちは学習しませんから」

私の言葉は冷酷に聞こえただろう。
だが、これが最も合理的な判断だ。
私が尻拭いをし続ければ、彼らは一生成長しない。

スミスは絶望的な顔で沈黙した。
私の言っていることが正論だと、彼も理解しているからだ。

その時。
玄関ホールの方から、またしても騒がしい声が聞こえてきた。

「通せ! ローゼンはいるんだろう!」
「お引き取りください! アポイントのない方は……!」

ドカドカという足音と共に、応接間の扉が開かれた。

「ローゼン!!」

現れたのは、話題の主。
クラーク王太子だった。
その後ろにはミーナもいる。

しかし、二人の様子はいつもと違っていた。
クラーク様の自慢の金髪は乱れ、目の下にはスミスと同じようなクマがある。
ミーナのドレスもどこかヨレており、いつもの「ゆるふわ」な雰囲気はなく、余裕のない表情を浮かべている。

「……何の用ですか? 不法侵入ですよ」

私が冷たく言い放つと、クラーク様は肩で息をしながら叫んだ。

「嫌がらせはやめろ!!」

「はい?」

「とぼけるな! 王城の業務が滞っているのは、君が仕掛けた罠のせいだろう!」

「罠?」

「そうだ! 君がわざと複雑なファイル管理をしたり、暗号のような分類法を使っていたせいで、僕たちがどれだけ苦労しているか!」

クラーク様は被害者面で捲し立てた。

「あれは『サボタージュ』だ! 君がいなくなった後に業務が回らなくなるよう、意図的に仕組みを複雑化させていたんだろう! なんて陰湿な女だ!」

「……」

私は呆れて言葉が出なかった。
あれは「複雑」なのではない。「高度に効率化」されていたのだ。
検索インデックスを作り、優先度をタグ付けし、クロスリファレンスで参照できるようにした最新のシステムだ。
彼らがそれを理解できる知能を持っていなかっただけである。

「ローゼン様、ひどいですぅ!」

ミーナも涙目で加勢してきた。

「私、一生懸命やったのに、みんな『これじゃダメだ』って怒るんです! ローゼン様のやり方が難しすぎるのが悪いのに!」

「……私のシステムにはマニュアルを残してありますが?」

「読みましたけど、文字ばっかりで頭が痛くなりましたぁ! もっと絵本みたいに書いてくれないとわかりません!」

「……」

私は深呼吸をした。
ここで怒鳴り散らすのはカロリーの無駄だ。
冷静に、事実だけを突きつける。

「つまり、貴方たちは『自分たちの能力不足』を『私のせい』にして、私に謝罪と業務復帰を要求しに来た、ということですか?」

「能力不足ではない! 君の引き継ぎが不十分だったんだ!」

クラーク様は机を叩いた。

「命令だ、ローゼン! 今すぐ城に来て、この混乱を収拾しろ! そして皆の前で『私が悪うございました』と土下座して謝罪するんだ!」

「そうすれば、今回の件は水に流して、また側室候補に入れてあげてもよろしくてよ?」

狂っている。
自分たちが火をつけて回った火事の消火を、放火犯扱いした相手に命じているようなものだ。
しかも「消火させてやるから感謝しろ」と言っている。

スミスが震える声で言った。
「で、殿下……それはあまりにも……」

「黙れスミス! お前もローゼンの味方をするのか!」

「ひぃっ!」

私はスミスを庇うように立ち上がった。

「……お断りします」

「なんだと?」

「私はグランディ公爵の婚約者であり、次期公爵夫人です。貴殿の命令に従う義務はありません」

私は真っ直ぐにクラーク様を見据えた。

「それに、今回の混乱の原因は明白です。……貴方がたが、『上に立つ者の責任』を軽視し、実務を侮っていたからです」

「なっ……!」

「王太子とは、ただ玉座に座って笑っていればいい飾り物ではありません。国を動かすエンジンであるべきです。……ご自分で撒いた種は、ご自分で刈り取ってください」

「き、貴様……!」

クラーク様の顔が怒りで歪む。
プライドを傷つけられた彼は、ついに禁断の一言を口にした。

「……いいだろう。そこまで言うなら、容赦はしない」

彼はニヤリと、卑劣な笑みを浮かべた。

「ローゼン・ベルク。貴様を『国家反逆罪』の容疑で拘束する」

「……は?」

「王城の公務を意図的に妨害し、国家に損害を与えた罪だ。……衛兵! こいつを捕らえろ!」

クラーク様の合図で、外に待機していた王宮衛兵たちが雪崩れ込んできた。
どうやら、最初からそのつもりだったらしい。
私を犯罪者として連行し、牢屋に閉じ込め、そこで無理やり仕事をさせる気か。
あるいは、脅して言いなりにさせるつもりか。

「抵抗すれば、公爵家そのものを取り潰すぞ!」

「……ッ!」

実家や、アイザック様の家を人質に取られては、私も手が出せない。
ここで私が暴れれば、アイザック様の留守中に公爵家に傷がつく。

私は瞬時に計算した。
今、ここで拘束されるリスク。
そして、その後の展開。

(……待てよ)

アイザック様は遠征中。
私が牢屋に入れば、少なくともクラーク様のストーカー行為からは隔離される。
王城の地下牢は、私が設計に関わったため、空調完備で静寂性に優れている。
読書灯もある。

(……悪くない)

さらに、私が不当に拘束されたとなれば、帰ってきたアイザック様が黙っていないだろう。
彼がブチ切れて王城に乗り込めば、クラーク様の破滅は確定的になる。
これは、「肉を切らせて骨を断つ」絶好のチャンスではないか?

私は扇を閉じ、ふっと微笑んだ。
冷たく、余裕に満ちた笑みを。

「……よろしいでしょう」

「えっ?」

予想外の反応に、クラーク様がたじろぐ。

「その拘束、受け入れます。……ですが、覚えておいてくださいね」

私は両手を差し出し、衛兵に手錠をかけさせながら言った。

「私が牢屋に入っている間、王城の業務は誰がやるのですか? ……貴方たちですよ」

「ぐっ……!」

「私は牢屋の中で、ゆっくりと読書を楽しませていただきます。……せいぜい、書類の山に埋もれて窒息しないよう、頑張ってくださいませ」

「こ、こいつ……!」

「連れて行け! 地下牢へぶち込め!」

衛兵たちに囲まれ、私は部屋を出ていく。
スミスが「ローゼン様ぁぁ!」と泣き叫び、ハンナとセバスチャンが蒼白な顔で見送る中。

私は心の中で、遠征中の彼に呼びかけた。

(アイザック様。……最高の舞台を整えておきましたよ)

(貴方が帰ってきた時が、この国の王太子の終わりの時です)

私は優雅に背筋を伸ばし、自ら囚われの身となる道を選んだ。
これが、私の反撃の狼煙だった。
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