婚約破棄、あざーす!悪役令嬢は田舎へ飛びたい。

パリパリかぷちーの

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王城の大広間は、私たちが入場した瞬間、水を打ったように静まり返っていた。

シャンデリアの輝きよりも、何よりも。

周囲の視線は、私の隣に立つアレクシス様と、その腕に手を添える私に釘付けになっていた。

「……あれが、氷の公爵?」

「なんて美しい所作だ……」

「隣の女性は誰だ? あのドレス、見たこともない光沢だが」

「モナ・バーンズ嬢よ。……でも、雰囲気が全然違う」

ささやき声が波紋のように広がる。

私はその視線のシャワーを浴びながら、内心で冷静に分析していた。

(ふむ。注目度100%。これなら広告効果は抜群ね)

私は営業用の「完璧な淑女の微笑み」を浮かべ、アレクシス様に小声で話しかけた。

「旦那様。皆様、私たちの『経営状態』に興味津々のようです」

「……ただ見惚れているだけだと思うが」

「いいえ。あそこの伯爵夫人は私のネックレスのカラット数を計算していますし、向こうの商人は旦那様の礼服の生地を見て仕入れ値を推測しています。……同業者(プロ)の目ですわ」

「君には全員が商談相手に見えるのか」

アレクシス様は呆れつつも、私の腰に回した手に少し力を込めた。

「離れるなよ。虫が寄ってくる」

「殺虫剤(辛辣な言葉)なら用意してありますので、ご心配なく」

私たちは優雅にホールを進んだ。

すると、早速「虫」ではなく、獲物……もとい、高位貴族たちが挨拶にやってきた。

「やあ、ミランド公爵。お久しぶりですな」

恰幅の良い老紳士。

財務大臣のボルテール侯爵だ。

以前、予算委員会でカイル殿下の無茶な要求を却下してくれた、話のわかる御仁である。

「ボルテール侯。久しいな」

「本日は美しい同伴者とご一緒で。……噂のモナ嬢ですかな?」

侯爵が興味深げに私を見る。

私はスカートをつまみ、完璧なカーテシー(お辞儀)を披露した。

「お初にお目にかかります、閣下。モナ・バーンズ改め、現在はミランド公爵家の『資産管理責任者』を務めております」

「し、資産管理……?」

侯爵が目を丸くする。

「妻、だ」

アレクシス様がすかさず訂正を入れる。

「妻のモナだ。……我が家の財務全般を任せている、私の右腕だ」

「ほう! あの公爵家の財務を! それは頼もしい」

侯爵は感心したように頷いた。

「実は最近、我が国の税収管理についても悩んでおりましてな……」

「あら、でしたら徴税システムのデジタル化……いえ、魔道具による自動集計の導入をご検討されては? 初期投資はかかりますが、人件費を三年で回収できます」

「ほうほう?」

「さらに、未納者への督促状送付を自動化すれば、回収率が二割は向上します。我が家では、カイル殿下への請求書発行を自動化しておりますが、効果は絶大です」

「なんと! ぜひ詳しく聞きたい!」

侯爵が身を乗り出す。

私はニッコリと笑った。

「後ほど、企画書(コンサルティングプラン)を送らせていただきます。……もちろん、相談料は初回無料サービスということで」

「はっはっは! これは手厳しい! 公爵、面白い奥方を貰われましたな!」

財務大臣との商談(コネ作り)は成功だ。

その後も、私は次々と挨拶に来る貴族たちを「ビジネスライク」に捌いていった。

「まあ、奥様。そのネックレス、素敵ですわ」

「ありがとうございます。現在の市場価格で金貨五百枚、年利3%の上昇が見込める優良資産です」

「えっ(やだ、生々しい……)」

「そのドレスの刺繍、素晴らしい技術ですこと」

「ええ。これは東方の職人に直接発注し、中間マージンをカットして制作させました。原価率は驚異の40%です」

「ま、まあ(お買い物上手なのね……)」

私の独特な切り返しに、貴族たちは最初こそ面食らっていたが、次第にその「理知的で無駄のない会話」に引き込まれていった。

「彼女、ただの飾りじゃないぞ」

「数字に強い公爵夫人か……新しいな」

「あの氷の公爵が全幅の信頼を置くのも頷ける」

評価(株価)が、うなぎ登りに上がっていくのを感じる。

(よし。順調ね)

私が手応えを感じていた、その時だった。

「……モナ」

背後から、ねっとりとした声が聞こえた。

会場の空気が、一瞬で澱む。

振り返るまでもない。

この無駄に芝居がかった声色は、あの方しかいない。

「……ごきげんよう、カイル殿下」

私がゆっくりと振り返ると、そこには予想通り、カイル王太子が立っていた。

隣には、例のピンク色のドレスを着たリリナ様が腕を組んでいる。

カイル殿下は、今日の主役であるはずの自分より注目を集めている私を見て、呆然としていた。

その瞳が、私のドレス姿を上から下まで嘗め回す。

「……モナ、か? 本当に?」

「はい。本人確認書類が必要でしたら、後ほど提出しますが」

「いや、違う……。なんだ、その格好は」

カイル殿下は、ふらふらと一歩近づいてきた。

「美しい……。以前とは、まるで別人だ」

「お褒めにあずかり光栄です。予算(投資額)が違いますので」

「……そうか。そうだったのか」

カイル殿下の中で、何かが勝手に完結したらしい。

彼の顔に、急激に恍惚とした色が浮かぶ。

「わかったぞ、モナ。お前……俺のために、そこまで自分を磨き上げたんだな?」

「……はい?」

「俺に『婚約破棄』を突きつけられ、焦ったのだろう? 俺を振り向かせるために、必死で美しくなった。そのドレスも、宝石も、すべて俺に見せるため……そうだろう!?」

会場中の貴族が「えっ……」と絶句する。

リリナ様ですら「は?」と口を開けている。

(……すごい。このポジティブシンキング、ある意味才能だわ。この思考回路を『失敗した事業の損切り』に使えれば、国庫も安泰なのに)

私は呆れるのを通り越して感心してしまった。

しかし、ここで否定しないと業務に支障が出る。

「殿下。恐れながら訂正させていただきます」

「照れるな! いじらしい奴め!」

カイル殿下は私の手を取ろうと手を伸ばした。

「さあ、こっちへ来い。叔父上(アレクシス)との契約など、俺が破棄させてやる。やはりお前には、王太子の隣が似合う!」

その手が私に触れる直前。

バシッ!!

鋭い音が響いた。

カイル殿下の手が、横から払いのけられたのだ。

「……私の妻に、気安く触れるな」

アレクシス様だった。

その声は低く、地獄の底から響くような冷気を纏っていた。

「お、叔父上……! 痛いじゃないですか!」

「痛い? 心が痛いか? それとも懐が痛いか? ……モナを侮辱された私の『堪忍袋』の方が、よほど痛んでいるが」

アレクシス様がカイル殿下を一睨みする。

その迫力に、カイル殿下は「ひぃっ」と後退った。

「そ、それに! モナは俺のために……!」

「お前のためではない」

アレクシス様は断言した。

そして、私の肩を抱き寄せ、見せつけるように宣言した。

「このドレスも、宝石も、そして今の彼女の輝きも。……すべて、私が彼女に与え、彼女が私のために纏ったものだ」

「な、なんだと……?」

「彼女は私の誇りであり、最愛の妻だ。過去の男(おまえ)ごときが、入り込む隙間など1ミリもない」

アレクシス様の言葉に、会場から「おお……」と感嘆の声が漏れる。

「氷の公爵があんな熱い言葉を!」

「完全に溺愛じゃないか」

「王太子様、完全に負けてるわ……」

カイル殿下の顔が、屈辱で真っ赤に染まる。

それを見たリリナ様が、キーッとなって噛み付いてきた。

「酷いですわ! カイル様を侮辱するなんて! それに、そのドレスだって……どうせ公爵家のお金で買ったんでしょう!? 自分のお金じゃないくせに、偉そうに!」

リリナ様が私のドレスを指差す。

「私のこのドレスは、カイル様が『愛の証』として選んでくださったものです! お姉様のような『買われた女』とは違います!」

彼女は胸を張った。

あの、「交織(安物)」で「ボッタクリ価格」のピンクドレスで。

周囲の貴族たちが、微妙な顔をしてヒソヒソし始める。

「あれ、例のマダム・ボヴァリーの売れ残りじゃ……」

「プッ、あのデザイン、三年前の流行だよな」

「しかもサイズ合ってなくない?」

嘲笑の空気を感じ取れないリリナ様は、勝ち誇った顔のままだ。

私はため息をついた。

(……やれやれ。教育的指導が必要ね)

私は扇子を口元に当て、優しく、諭すように言った。

「リリナ様。……『減価償却』という言葉をご存知?」

「は? げんか……?」

「物の価値は、時間とともに下がります。特に流行品はね。貴女のそのドレス、資産価値としてはすでにゼロ……いえ、廃棄コストがかかる分、マイナスです」

「な、何を……!」

「対して、私のこのドレスは『ヴィンテージ』になり得る品質。十年後でも価値が落ちません。……カイル殿下の『愛』も、もう少し『資産価値』のあるものを選ばれた方がよろしいのでは?」

「きぃぃぃっ!! なによ! お金、お金って! 貧乏臭い!!」

「貧乏臭いのは、どちらでしょうね?」

私はチラリと、カイル殿下の袖口を見た。

「殿下。そのカフスボタン、メッキが剥がれていますよ」

「えっ!?」

カイル殿下が慌てて袖を見る。

「王族が身につけるものが劣化しているとは……。王室予算、そんなに逼迫しているのですか? ああ、私が抜けたせいで、財務管理が杜撰になっているのですね。可哀想に」

「ぐぬぬ……!」

「もしよろしければ、我が公爵家から『低金利』で融資しましょうか? 担保は……そうですね、王太子の位継承権あたりで」

「き、貴様ぁ……!」

カイル殿下はわなわなと震え、言葉も出ないようだった。

リリナ様は顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいる。

完全勝利だ。

(よし。これで借金(慰謝料)の取り立てもスムーズにいくはず)

私が満足して手帳を取り出そうとした時、音楽が始まった。

ワルツの調べ。

ファーストダンスの時間だ。

通常なら王太子カップルが踊る場面だが、今の空気は完全に私たちに向いていた。

「……踊ろうか、モナ」

アレクシス様が手を差し出す。

「この場の『主役』が誰か、教えてやろう」

「はい、旦那様。……追加料金はいただきませんが、最高のステップを提供します」

私はその手を取った。

私たちはホールの中央へと進み出た。

カイル殿下とリリナ様が、悔しそうに端へと追いやられていく。

アレクシス様の手が、私の腰をしっかりとホールドする。

「……準備はいいか?」

「いつでも」

次の瞬間、私たちは踊り出した。

練習通り、いや、それ以上に完璧なコンビネーションだった。

夜空色のドレスが翻り、銀糸が流星のように煌めく。

アレクシス様のリードは力強く、私はその流れに身を任せるだけで、羽が生えたように軽やかに舞うことができた。

「……すごい」

「息がぴったりだ」

「まるで一つの生き物みたいだ……」

会場中からため息が漏れる。

私は回転しながら、アレクシス様の目を見つめた。

その瞳には、私だけが映っている。

「……モナ。今夜の君は、世界で一番美しい」

踊りながら、彼が耳元で囁く。

「……照明効果とドレスの補正です」

「素直じゃないな。……だが、そんなところも好きだ」

「……っ」

不意打ちの言葉に、ステップが一瞬乱れそうになる。

でも、アレクシス様はそれを逃さず、強く抱きしめて修正してくれた。

その力強さに、私の胸がまた高鳴る。

(……おかしい。計算機が、またエラーを起こしてる)

カイル殿下の視線も、リリナ様の嫉妬も、今はどうでもよかった。

ただ、この人の腕の中で踊ることが、こんなにも心地よいなんて。

音楽が終わるその瞬間まで、私たちは誰よりも輝いていた。

そして、曲の終わりのポーズで、アレクシス様は皆に見せつけるように、私の手の甲に口付けた。

割れんばかりの拍手が巻き起こる。

その中、端の方でカイル殿下が何やら不穏な動きをしているのが、視界の端に見えた。

(……ん? まだ懲りてないの?)

壁際で、カイル殿下がリリナ様の手を振り払い、こちらに向かって突進してこようとしていた。

その目は血走っている。

「……まずいわね。暴走モード突入かしら」

私が呟いた瞬間、アレクシス様が私の視界を塞ぐように立った。

「……モナ。君は下がっていろ」

「旦那様?」

「あいつの相手は、俺がする」

夜会は、まだ終わらない。
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