婚約破棄、あざーす!悪役令嬢は田舎へ飛びたい。

パリパリかぷちーの

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ダンスが終わり、会場は興奮の余韻に包まれていた。

私はその隙を見て、アレクシス様に目配せをした。

「旦那様。少し風に当たってきます」

「……あいつ(カイル)が来るかもしれん。俺も行こう」

「いえ、ここは『隙』を見せて誘き寄せるのが上策です。罠にかかった獲物を、あとから旦那様が回収してください」

「……君は、元婚約者を害獣か何かだと思っているのか?」

「害獣です。作物を食い荒らすイノシシと同じです」

きっぱりと言うと、アレクシス様は「やれやれ」と苦笑し、送り出してくれた。

私はグラス片手に、大広間から続くバルコニーへと出た。

夜風が心地よい。

そして、予想通り。

背後から、荒い足音が近づいてきた。

「……待て、モナ!」

来た。

カイル王太子殿下だ。

私はゆっくりと振り返り、冷ややかな視線を向けた。

「何か御用でしょうか、殿下。私の時給は高いですよ?」

「金の話はやめろ! ……さっきのダンス、あれはなんだ!」

カイル殿下は顔を紅潮させ、私に詰め寄ってきた。

「見せつけるような真似をしやがって! 俺を嫉妬させるためか? そうなんだろう!?」

「……自意識過剰もそこまでいくと、ある種の才能ですね」

私はため息をついた。

「あれは公爵家の広報活動です。殿下の感情など、ポートフォリオの隅にも入っておりません」

「嘘をつけ! お前の目は俺を見ていた!」

「見ていません。見ていたのは殿下の後ろにいた、カフスボタンのメッキが剥がれている伯爵様の袖口です」

「言い訳は聞きたくない!」

カイル殿下が、さらに一歩踏み込んでくる。

私は背後の手すりに追い詰められた。

(……ふむ。典型的な『追い込み』の手口ね)

逃げ場はない。

普通なら恐怖を感じる場面かもしれない。

だが、私は冷静に懐(ドレスの隠しポケット)の感触を確かめていた。

「モナ。お前はまだ、俺を愛しているんだ」

カイル殿下の目が、怪しく光る。

「強がらなくていい。あの冷徹な氷の公爵に脅されているんだろう? 『借金を肩代わりしてやったから言うことを聞け』と」

「……いいえ、極めて健全な労使関係ですが」

「可哀想に……! 俺が救ってやる。だから、素直になれ!」

ダンッ!!

カイル殿下の右手が、私の顔の横の壁(柱)に叩きつけられた。

いわゆる、「壁ドン」である。

至近距離に迫るカイル殿下の顔。

整ってはいるが、知性の欠片も感じられない瞳。

「……さあ、言えよ。『助けて、カイル様』と」

彼は甘い声(のつもり)で囁いた。

私は、壁に叩きつけられた彼の手を見つめ、静かに口を開いた。

「……殿下」

「なんだ? やっと素直になる気になったか?」

「その柱、樹齢三百年の一枚板を使った国宝級の彫刻が施されています」

「は?」

「今の手形、脂がつきましたね。修復費用、金貨五枚です」

「……はぁ!?」

カイル殿下の顔が引きつる。

ムードもへったくれもない。

私はすかさず、ドレスのポケットから「あるもの」を取り出した。

四つ折りにした羊皮紙だ。

「な、なんだそれは……ラブレターか?」

カイル殿下が期待に目を輝かせる。

「いいえ。……これです」

ペシッ!!

私はその紙を、カイル殿下の顔面に叩きつけた。

「ぶべっ!?」

「再発行した『請求書』です」

紙がひらひらと床に落ちる。

そこには、以前渡した金額に、さらに赤い数字が上書きされていた。

「な、なんだこれは……き、金額が増えている!?」

「当然です。支払い期限を過ぎていますから、遅延損害金が発生しております。年利14・6%、日割り計算です」

私はニッコリと笑った。

「さらに、今回のストーカー行為に対する『精神的苦痛への慰謝料』、及び今しがたの『壁ドンによる威圧行為への迷惑料』を加算しました」

「へ、壁ドン税だと……!?」

「ええ。私のパーソナルスペースを無断で侵害した場合、一秒につき銀貨一枚の課金システムとなっております。……現在、十秒経過しましたので、銀貨十枚追加です」

「き、貴様……!」

カイル殿下が震えながら後退る。

壁ドンが解除された。

「金か……! やはり金なのか! 俺の愛を、金で計るのか!」

「愛は見えませんが、金は数字で見えますから。確実な方を選ぶのが経営の鉄則です」

私は床に落ちた請求書を拾い上げ、埃を払ってカイル殿下の胸ポケットにねじ込んだ。

「来週までにお振込がない場合、法的手続きに入ります。……王太子の給与口座、差し押さえさせていただきますので」

「ふ、ふざけるなああああ!!」

カイル殿下が激昂した。

「そんなものが通用するか! 俺は王太子だぞ! お前ごときが……力ずくでも言うことを聞かせてやる!」

彼は理性を失い、私に掴みかかろうとした。

その腕が伸びてくる。

(……おっと、交渉決裂ね)

私は護身用の小型スタンガン(魔道具・自作)を取り出そうとした。

だが、その必要はなかった。

「……誰に、力ずくだと?」

絶対零度の声が、バルコニーの空気を凍らせた。

「ひっ……!?」

カイル殿下の動きが止まる。

闇の中から現れたのは、アレクシス様だった。

その全身から、青白い魔力がゆらゆらと立ち昇っている。

怒りゲージが限界突破している証拠だ。

「お、叔父上……!?」

「私の妻に『壁ドン』をしたそうだな」

アレクシス様が、一歩、また一歩と近づく。

「壁ドンとは、求愛の行動。……つまり、私の目の届かぬところで、人妻に不義を迫ったということか?」

「ち、違います! これは、その、指導で……!」

「問答無用」

アレクシス様の手が、カイル殿下の胸倉を掴み上げた。

軽々と、子供のように持ち上げる。

「うわぁぁっ!?」

カイル殿下の足が宙に浮く。

バルコニーの手すりの外、その下は王城の庭園(池)だ。

「頭を冷やせ」

「や、やめ……!」

ドボォォォォン!!

盛大な水音が響き渡った。

「……あーあ」

私は下を覗き込んだ。

池の中で、カイル殿下が「ぶくぶく」と沈んでいる。

幸い、浅い池なので溺れることはないだろうが、あの高いスーツは全損だ。

「……クリーニング代、請求してくるかしら」

私が呟くと、アレクシス様が隣に立った。

「させない。正当防衛だ」

彼はハンカチで手を拭きながら、不機嫌そうに言った。

「汚いものを触った」

「旦那様、ナイスシュートです」

「……見ていたか?」

「ええ。素晴らしい投擲フォームでした」

私が拍手すると、アレクシス様は少しだけ表情を緩めた。

だが、すぐに私の顔を覗き込み、眉を寄せた。

「……あいつ、君に触れたか?」

「いえ、壁に手をついただけです」

「そうか。……なら、壁を消毒しておけばいいか」

アレクシス様は本気で壁を睨んでいる。

「それより、モナ」

「はい?」

「さっきの……壁ドン、というやつ」

アレクシス様が、少しもじもじしている。

「……俺なら、してもいいか?」

「はい?」

「いや、その……流行りなのだろう? 君が喜ぶなら……」

彼は顔を赤らめ、視線を泳がせている。

どうやら、カイル殿下の真似をして、私をときめかせたいらしい。

(……可愛いかよ)

私は思わず噴き出しそうになった。

「旦那様。壁ドンは『ときめき』よりも『威圧感』の方が強いので、心臓に悪いです。お勧めしません」

「……そうか」

彼は残念そうに肩を落とした。

「ですが」

私は一歩近づき、彼の手を取った。

そして、その手を自分の頬に当てた。

「こうして触れていただく方が、私は安心します」

「……モナ」

アレクシス様の瞳が揺れる。

彼は私の腰を引き寄せ、今度は優しく、壊れ物を扱うように抱きしめた。

「……二度と、あんな男に近づけさせない。君は俺だけのものだ」

独占欲たっぷりの言葉。

いつもなら「私は私のものです」と反論するところだが、今夜だけは、その温もりに甘んじることにした。

「……はい、ボス。貴方の資産として、大切に運用してくださいね」

「資産じゃない。妻だと言っているだろう」

バルコニーの下から、這い上がってきたカイル殿下の「くしゃみ」が聞こえてきたが、私たちは無視して、月明かりの下で寄り添っていた。

しかし。

この一件で、カイル殿下のプライドは完全に粉砕されたわけではなかった。

むしろ、逆恨みによる「暴走」は、ここからが本番だったのだ。

翌日。

王都中に「ある噂」が流れることになる。

『ミランド公爵夫人は、王太子の金を横領している』

という、とんでもないデマが。
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