13 / 28
13
しおりを挟む
王城での夜会から一夜明けた、公爵邸の朝。
私は優雅にモーニングティーを楽しんでいた……わけではなかった。
目の前には、朝食のオムレツではなく、不機嫌の塊と化したアレクシス様が座っている。
彼はナイフとフォークを握りしめ、皿の上のソーセージを親の仇のように睨みつけていた。
「……旦那様。ソーセージに罪はありません」
「……あいつに見える」
「カイル殿下ですか? 確かに中身が詰まっていないところは似ていますが」
私が軽口を叩いても、アレクシス様の眉間のシワは深まるばかりだ。
昨夜の「壁ドン未遂事件」。
あれ以来、アレクシス様の独占欲スイッチが完全にオンになってしまったらしい。
帰りの馬車の中でも、私の手を消毒用アルコール(医療用)で三回も拭き、「細菌感染の恐れがある」と真顔で言っていた。
「モナ。今日の予定は?」
「えっと、午前中は領地の収支報告の確認、午後は商工会との打ち合わせが……」
「すべてキャンセルだ」
「はい?」
「俺の執務室にいろ。視界の届く範囲から一歩も出るな」
「……それは、いわゆる『監禁』では?」
「『保護』だ」
アレクシス様は言い切った。
「あいつがまた、どこから湧いて出てくるかわからん。壁の隙間か、排水溝か……」
「殿下をゴキブリ扱いするのはやめて差し上げてください。ゴキブリの方が生命力(サバイバル能力)は上です」
「とにかく、俺のそばを離れるな。トイレに行く時も俺がついていく」
「それは断固拒否します!! セクハラで訴えますよ!」
「……扉の前で待機するだけだ」
「それもプレッシャーです!」
やれやれ、と私はため息をついた。
過保護もここまでくると、業務妨害レベルだ。
これでは効率的な仕事ができない。
(どうやって宥めようかしら……。精神安定剤がわりに、膝枕でもしてあげれば落ち着く?)
そんな計算をしていると、執事のセバスチャンが青ざめた顔で食堂に入ってきた。
手には一枚の新聞……いや、ゴシップ紙を持っている。
「だ、旦那様、奥様……。大変でございます」
「どうした? またカイルか?」
「いえ、王都で……とんでもない噂が流れております」
セバスチャンが震える手で紙面を広げた。
そこには、デカデカと見出しが躍っていた。
『悪役令嬢モナ・バーンズの正体! 王太子の金を横領し、公爵家に貢いでいた!?』
「……は?」
私は素っ頓狂な声を上げた。
「横領?」
記事の内容を斜め読みする。
『カイル王太子殿下の証言によると、モナ・バーンズは婚約者時代、王室予算を私的流用していた疑いがある』
『その汚れた金で、ミランド公爵の歓心を買ったのではないか』
『ミランド公爵も、金に目が眩んで彼女を妻にした被害者である可能性が……』
読み進めるうちに、怒りよりも呆れが勝ってきた。
「……なるほど。ファンタジー小説としては三流以下のプロットね」
私は冷ややかに鼻で笑った。
「私が横領? 逆よ、逆。私の私財を王家に『補填』していたのよ。証拠の帳簿も領収書も、全部保管してあるのに」
「こ、これは明らかにリリナ男爵令嬢の差し金かと思われます」
セバスチャンが補足する。
「記事のソース元が『関係者の美少女Lさん』となっておりますので」
「隠す気ゼロね」
昨夜の夜会で恥をかかされた腹いせだろう。
自分たちの浪費を棚に上げ、私を泥棒扱いするとは。
「……面白い」
私はフォークを置き、ニヤリと笑った。
「売られた喧嘩は、高く買って差し上げましょう。これは『名誉毀損』の損害賠償請求のチャンスよ」
「モナ」
「はい? あ、旦那様、弁護士の手配を……」
私がアレクシス様に声をかけようとして、凍りついた。
アレクシス様の周りの空間が、歪んでいたからだ。
物理的に。
テーブルの上の水差しが、カチン、と音を立てて凍結した。
部屋の温度が急激に下がる。
「……殺す」
低く、もはや人の声とは思えない響き。
アレクシス様の瞳は、深淵のような漆黒に染まっていた。
「俺の妻を……愚弄したな?」
「だ、旦那様!?」
「横領だと? モナが? ……彼女の爪の垢を煎じて飲ませても、貴様らにはその高潔さは理解できまい」
アレクシス様が立ち上がる。
その背後から、氷の魔力が吹雪のように溢れ出した。
「許さん。カイルも、リリナも、この記事を書いた新聞社も……この国から消してやる」
「ちょ、ちょっと待ってください! ストップ! 旦那様、ストップ!」
私は慌てて彼に抱きついた。
「落ち着いて! 屋敷が凍ります! 暖房費が勿体無いです!」
「離せ、モナ。……今すぐ王城へ行き、全てを氷漬けにしてくる」
「なりません! それはテロです! 公爵家取り潰しになります!」
「構わん。君を侮辱する国など、滅ぼしてしまえばいい」
「よくないです! 私の再就職先がなくなります!」
私は必死にアレクシス様の胸に顔を埋め、彼の暴走を止めようとした。
彼の心臓は、怒りで早鐘を打っている。
(……嬉しいけど、重い! 愛が重すぎて国が滅ぶ!)
「旦那様、聞いてください。私は怒っていません」
「……何?」
「むしろ、感謝しています。この記事のおかげで、彼らから堂々と『慰謝料』の上乗せができるのですから」
私は上目遣いで彼を見つめた。
「暴力で解決しては、一銭の得にもなりません。でも、法と証拠で追い詰めれば、彼らの資産を合法的に奪えます。……どちらが『お得』ですか?」
「……」
アレクシス様の魔力が、少しだけ凪いだ。
「……君は、悔しくないのか?」
「悔しい? まさか。事実無根の嘘なんて、痛くも痒くもありません」
私は彼の手を取り、自分の頬に当てた。
「私が大切にしているのは、私の価値を正しく理解してくれる人の評価だけです。……つまり、旦那様の評価があれば、他はどうでもいいのです」
「……モナ」
アレクシス様の瞳から、殺気が消え、代わりに熱い色が宿る。
「……君は、本当に強いな」
「強欲なだけです」
「……愛している」
アレクシス様が、強く私を抱きしめ返した。
ミシミシ、と背骨が鳴る。
「ぐっ……だ、旦那様、苦し……」
「すまない。……だが、俺の気はおさまらない」
彼は私の髪に顔を埋め、深呼吸をした。
「法的な制裁は君に任せる。だが、社会的制裁は……俺がやる」
「社会的制裁?」
「ああ。我が家の総力を挙げて、彼らの『信用』を徹底的に潰す」
アレクシス様は、冷酷な『氷の公爵』の顔に戻って宣言した。
「カイルへの融資引き上げ、リリナの実家への物流停止、新聞社への広告出稿停止……あらゆる手を使って、干上がらせてやる」
(……うわぁ、容赦ない)
経済封鎖だ。
公爵家の権力を使えば、男爵家ひとつくらい、三日で破産に追い込めるだろう。
「お手柔らかにお願いしますね。あまりいじめすぎて、支払い能力がなくなられても困りますから」
「善処する」
こうして、公爵家vs王太子派(というかバカップル)の全面戦争が勃発した。
だが、敵もさるもの。
翌日、さらなる「罠」が仕掛けられた。
◇
「……招待状?」
午後、執務室で対策を練っていた私の元に、一通の手紙が届いた。
差出人は、リリナ・メルローズ男爵令嬢。
内容は、「お茶会」への招待だった。
「『誤解を解きたいので、私の主催するお茶会にいらしてください。仲直りの印に、手作りクッキーをご用意してお待ちしております』……だそうです」
セバスチャンが呆れたように読み上げる。
「罠ですね」
「ええ、百パーセント罠ね」
私は即断した。
あのリリナが、仲直りなど考えるはずがない。
新聞記事で私を貶め、さらにこのお茶会で何かを仕掛け、決定的に私の評判を落とす気だろう。
「欠席でよろしいですね?」
「いいえ」
私は招待状を奪い取り、不敵に笑った。
「出席するわ」
「はぁっ!? 危険ですよ奥様! 何をされるか……」
「逃げれば、記事の内容を認めたことになるわ。『やましいことがあるから来られないんだ』ってね」
私は立ち上がり、窓の外を見た。
「それに、敵地(アウェー)に乗り込んでこそ、得られる情報もある。……リリナ様がどんな『茶番』を用意しているのか、見物じゃない?」
「し、しかし……旦那様が何と仰るか……」
「アレクシス様には事後報告で。……あの人が行ったら、会場ごと氷漬けにして終わっちゃうから」
私はクローゼットを開け、戦闘服(ドレス)を選び始めた。
「セバスチャン。念のため、解毒剤と録音用の魔道具を用意して。あと、胃薬も」
「い、胃薬ですか?」
「ええ。リリナ様の『手作りクッキー』とやらが、物理的な毒か、味覚的な毒か、どちらにせよ胃には優しくないでしょうから」
◇
当日。
会場となったのは、王都の郊外にあるガーデンカフェ。
リリナ様が貸し切りにしたらしい。
集まっているのは、彼女の取り巻きの令嬢たち数名。
私が姿を現すと、全員が一斉にこちらを見て、扇子で口元を隠しヒソヒソと話し始めた。
「来たわよ、横領犯が……」
「よく顔を出せるわね」
「公爵様を騙している稀代の悪女よ」
完全なる敵地(アウェー)。
針のむしろとはこのことだ。
だが、私は胸を張って歩み寄った。
私のドレスは、シックなモスグリーン。
派手さはないが、生地の質と仕立ての良さは一級品だ。
「ごきげんよう、リリナ様。お招きありがとう」
「あら、モナお姉様! 来てくださったのね!」
リリナ様が、満面の笑みで迎えてくれた。
その笑顔の裏に、どす黒い悪意が見え隠れしている。
「どうぞ、こちらの席へ。……今日は、お姉様のために『特別なクッキー』を焼いてきたの」
テーブルの上には、バスケットに入ったクッキーが置かれていた。
見た目は……少し焦げているが、普通のクッキーに見える。
「さあ、召し上がれ。私の『謝罪の気持ち』よ」
リリナ様が勧めてくる。
周囲の令嬢たちが、固唾を飲んで見守っている。
(……なるほど)
私は瞬時に状況を分析した。
このクッキー。
ただのクッキーではない。
食べれば「腹痛」を起こすか、あるいは……。
「……いただきますわ」
私は躊躇なくクッキーを手に取った。
「えっ……」
リリナ様が一瞬、驚いた顔をする。
まさか本当に食べるとは思わなかったのか、それとも「毒入りだと気づかない馬鹿な女」と思っているのか。
私はクッキーを口に運んだ。
サクッ。
口の中に広がる味。
それは……。
「……っ」
私は眉をひそめた。
毒ではない。
だが、ある意味で毒以上に衝撃的な味だった。
(……この味、市販の激安ショートニングの味……!)
バターを使っていない。
砂糖も、精製されていない安物だ。
粉っぽいし、何より後味が油っぽい。
「どう? 美味しい?」
リリナ様が目を輝かせて聞いてくる。
「……ええ、とても」
私はニッコリと笑って、飲み込んだ。
「とても……『懐かしい味』がしますわ」
「懐かしい?」
「ええ。下町のディスカウントストアで売っている、大袋入りの『徳用クッキー』にそっくりですもの」
「なっ……!?」
リリナ様の顔が引きつる。
「て、手作りよ! 最高級のバターをふんだんに使ったのよ!」
「あら、そうですの? 私の舌がおかしいのかしら」
私はもう一枚、クッキーを手に取った。
そして、わざとらしく断面を見つめた。
「でも不思議ね。手作りにしては、気泡の入り方が均一すぎるし、裏面の焼き目が工場のベルトコンベア特有の網目模様に見えるけれど……」
「……っ!」
「まさかとは思いますけど、市販の安物を詰め替えて『手作り』と偽装したりなんて、なさらないですよね? それは『産地偽装』という立派な詐欺罪になりますから」
私は畳み掛けた。
「材料費をケチって、私の好感度(株価)を上げようとするその姿勢……嫌いじゃありませんよ。コストカットの精神としては」
「ち、違うもん! 手作りだもん!」
リリナ様が涙目で叫ぶ。
周囲の令嬢たちが、「え、あれ市販品なの?」「しかも安物?」とざわつき始める。
作戦第一段階、クリア。
相手の「誠意」の化けの皮を剥がした。
だが、リリナ様の本命の罠は、ここからだった。
「……う、ううっ! 酷い!」
突然、リリナ様が泣き出した。
「せっかくお姉様のために……一生懸命焼いたのに! そんな言いがかりをつけて! ……やっぱり、お姉様は『私を虐めるのが趣味』なのね!」
彼女が合図を送ると、カフェの裏手から、数人の男たちが現れた。
衛兵だ。
「……あちらのご婦人か?」
「ああ。男爵令嬢への暴言、および『毒物混入』の疑いがある」
「は?」
衛兵の言葉に、私は耳を疑った。
「毒物混入?」
「とぼけないで!」
リリナ様が叫んだ。
「そのクッキー! お姉様が持ってきた手土産でしょう!? 私に食べさせようとして、間違って自分で食べたのよ!」
「……はい?」
捏造だ。
あまりにも強引な、事実の書き換え。
「このクッキーには毒が入っているのよ! 私が調べたんだから!」
リリナ様が自爆覚悟(?)の発言をする。
どうやら、「モナが持ってきた毒入りクッキーを、モナ自身が食べて自滅した」というシナリオにしたいらしい。
(……無理があるでしょう、その設定)
しかし、衛兵たちは完全にリリナ様側に買収されているようだった。
「モナ・バーンズ。署まで同行願おうか」
衛兵が私の腕を掴もうとする。
絶体絶命?
いいえ。
私は、懐から「あるもの」を取り出そうとした。
録音用の魔道具だ。
今の会話、すべて録音済みである。
だが、それを出す前に。
パリンッ!!
カフェの窓ガラスが、盛大に割れた。
「……俺の妻に、触れるなと言ったはずだ」
吹雪と共に、黒い影が舞い降りた。
「……アレクシス様!?」
まさかの窓からのエントリー。
私の旦那様は、いつだって登場の仕方が派手すぎる。
「ち、遅刻ですよ、ヒーロー」
私が苦笑すると、アレクシス様は私の前に立ち、衛兵たちを氷の瞳で射抜いた。
「……貴様ら。誰の許可を得て、公爵夫人に手錠をかけようとした?」
カフェの中が、一瞬にして冷凍庫へと変わった。
私は優雅にモーニングティーを楽しんでいた……わけではなかった。
目の前には、朝食のオムレツではなく、不機嫌の塊と化したアレクシス様が座っている。
彼はナイフとフォークを握りしめ、皿の上のソーセージを親の仇のように睨みつけていた。
「……旦那様。ソーセージに罪はありません」
「……あいつに見える」
「カイル殿下ですか? 確かに中身が詰まっていないところは似ていますが」
私が軽口を叩いても、アレクシス様の眉間のシワは深まるばかりだ。
昨夜の「壁ドン未遂事件」。
あれ以来、アレクシス様の独占欲スイッチが完全にオンになってしまったらしい。
帰りの馬車の中でも、私の手を消毒用アルコール(医療用)で三回も拭き、「細菌感染の恐れがある」と真顔で言っていた。
「モナ。今日の予定は?」
「えっと、午前中は領地の収支報告の確認、午後は商工会との打ち合わせが……」
「すべてキャンセルだ」
「はい?」
「俺の執務室にいろ。視界の届く範囲から一歩も出るな」
「……それは、いわゆる『監禁』では?」
「『保護』だ」
アレクシス様は言い切った。
「あいつがまた、どこから湧いて出てくるかわからん。壁の隙間か、排水溝か……」
「殿下をゴキブリ扱いするのはやめて差し上げてください。ゴキブリの方が生命力(サバイバル能力)は上です」
「とにかく、俺のそばを離れるな。トイレに行く時も俺がついていく」
「それは断固拒否します!! セクハラで訴えますよ!」
「……扉の前で待機するだけだ」
「それもプレッシャーです!」
やれやれ、と私はため息をついた。
過保護もここまでくると、業務妨害レベルだ。
これでは効率的な仕事ができない。
(どうやって宥めようかしら……。精神安定剤がわりに、膝枕でもしてあげれば落ち着く?)
そんな計算をしていると、執事のセバスチャンが青ざめた顔で食堂に入ってきた。
手には一枚の新聞……いや、ゴシップ紙を持っている。
「だ、旦那様、奥様……。大変でございます」
「どうした? またカイルか?」
「いえ、王都で……とんでもない噂が流れております」
セバスチャンが震える手で紙面を広げた。
そこには、デカデカと見出しが躍っていた。
『悪役令嬢モナ・バーンズの正体! 王太子の金を横領し、公爵家に貢いでいた!?』
「……は?」
私は素っ頓狂な声を上げた。
「横領?」
記事の内容を斜め読みする。
『カイル王太子殿下の証言によると、モナ・バーンズは婚約者時代、王室予算を私的流用していた疑いがある』
『その汚れた金で、ミランド公爵の歓心を買ったのではないか』
『ミランド公爵も、金に目が眩んで彼女を妻にした被害者である可能性が……』
読み進めるうちに、怒りよりも呆れが勝ってきた。
「……なるほど。ファンタジー小説としては三流以下のプロットね」
私は冷ややかに鼻で笑った。
「私が横領? 逆よ、逆。私の私財を王家に『補填』していたのよ。証拠の帳簿も領収書も、全部保管してあるのに」
「こ、これは明らかにリリナ男爵令嬢の差し金かと思われます」
セバスチャンが補足する。
「記事のソース元が『関係者の美少女Lさん』となっておりますので」
「隠す気ゼロね」
昨夜の夜会で恥をかかされた腹いせだろう。
自分たちの浪費を棚に上げ、私を泥棒扱いするとは。
「……面白い」
私はフォークを置き、ニヤリと笑った。
「売られた喧嘩は、高く買って差し上げましょう。これは『名誉毀損』の損害賠償請求のチャンスよ」
「モナ」
「はい? あ、旦那様、弁護士の手配を……」
私がアレクシス様に声をかけようとして、凍りついた。
アレクシス様の周りの空間が、歪んでいたからだ。
物理的に。
テーブルの上の水差しが、カチン、と音を立てて凍結した。
部屋の温度が急激に下がる。
「……殺す」
低く、もはや人の声とは思えない響き。
アレクシス様の瞳は、深淵のような漆黒に染まっていた。
「俺の妻を……愚弄したな?」
「だ、旦那様!?」
「横領だと? モナが? ……彼女の爪の垢を煎じて飲ませても、貴様らにはその高潔さは理解できまい」
アレクシス様が立ち上がる。
その背後から、氷の魔力が吹雪のように溢れ出した。
「許さん。カイルも、リリナも、この記事を書いた新聞社も……この国から消してやる」
「ちょ、ちょっと待ってください! ストップ! 旦那様、ストップ!」
私は慌てて彼に抱きついた。
「落ち着いて! 屋敷が凍ります! 暖房費が勿体無いです!」
「離せ、モナ。……今すぐ王城へ行き、全てを氷漬けにしてくる」
「なりません! それはテロです! 公爵家取り潰しになります!」
「構わん。君を侮辱する国など、滅ぼしてしまえばいい」
「よくないです! 私の再就職先がなくなります!」
私は必死にアレクシス様の胸に顔を埋め、彼の暴走を止めようとした。
彼の心臓は、怒りで早鐘を打っている。
(……嬉しいけど、重い! 愛が重すぎて国が滅ぶ!)
「旦那様、聞いてください。私は怒っていません」
「……何?」
「むしろ、感謝しています。この記事のおかげで、彼らから堂々と『慰謝料』の上乗せができるのですから」
私は上目遣いで彼を見つめた。
「暴力で解決しては、一銭の得にもなりません。でも、法と証拠で追い詰めれば、彼らの資産を合法的に奪えます。……どちらが『お得』ですか?」
「……」
アレクシス様の魔力が、少しだけ凪いだ。
「……君は、悔しくないのか?」
「悔しい? まさか。事実無根の嘘なんて、痛くも痒くもありません」
私は彼の手を取り、自分の頬に当てた。
「私が大切にしているのは、私の価値を正しく理解してくれる人の評価だけです。……つまり、旦那様の評価があれば、他はどうでもいいのです」
「……モナ」
アレクシス様の瞳から、殺気が消え、代わりに熱い色が宿る。
「……君は、本当に強いな」
「強欲なだけです」
「……愛している」
アレクシス様が、強く私を抱きしめ返した。
ミシミシ、と背骨が鳴る。
「ぐっ……だ、旦那様、苦し……」
「すまない。……だが、俺の気はおさまらない」
彼は私の髪に顔を埋め、深呼吸をした。
「法的な制裁は君に任せる。だが、社会的制裁は……俺がやる」
「社会的制裁?」
「ああ。我が家の総力を挙げて、彼らの『信用』を徹底的に潰す」
アレクシス様は、冷酷な『氷の公爵』の顔に戻って宣言した。
「カイルへの融資引き上げ、リリナの実家への物流停止、新聞社への広告出稿停止……あらゆる手を使って、干上がらせてやる」
(……うわぁ、容赦ない)
経済封鎖だ。
公爵家の権力を使えば、男爵家ひとつくらい、三日で破産に追い込めるだろう。
「お手柔らかにお願いしますね。あまりいじめすぎて、支払い能力がなくなられても困りますから」
「善処する」
こうして、公爵家vs王太子派(というかバカップル)の全面戦争が勃発した。
だが、敵もさるもの。
翌日、さらなる「罠」が仕掛けられた。
◇
「……招待状?」
午後、執務室で対策を練っていた私の元に、一通の手紙が届いた。
差出人は、リリナ・メルローズ男爵令嬢。
内容は、「お茶会」への招待だった。
「『誤解を解きたいので、私の主催するお茶会にいらしてください。仲直りの印に、手作りクッキーをご用意してお待ちしております』……だそうです」
セバスチャンが呆れたように読み上げる。
「罠ですね」
「ええ、百パーセント罠ね」
私は即断した。
あのリリナが、仲直りなど考えるはずがない。
新聞記事で私を貶め、さらにこのお茶会で何かを仕掛け、決定的に私の評判を落とす気だろう。
「欠席でよろしいですね?」
「いいえ」
私は招待状を奪い取り、不敵に笑った。
「出席するわ」
「はぁっ!? 危険ですよ奥様! 何をされるか……」
「逃げれば、記事の内容を認めたことになるわ。『やましいことがあるから来られないんだ』ってね」
私は立ち上がり、窓の外を見た。
「それに、敵地(アウェー)に乗り込んでこそ、得られる情報もある。……リリナ様がどんな『茶番』を用意しているのか、見物じゃない?」
「し、しかし……旦那様が何と仰るか……」
「アレクシス様には事後報告で。……あの人が行ったら、会場ごと氷漬けにして終わっちゃうから」
私はクローゼットを開け、戦闘服(ドレス)を選び始めた。
「セバスチャン。念のため、解毒剤と録音用の魔道具を用意して。あと、胃薬も」
「い、胃薬ですか?」
「ええ。リリナ様の『手作りクッキー』とやらが、物理的な毒か、味覚的な毒か、どちらにせよ胃には優しくないでしょうから」
◇
当日。
会場となったのは、王都の郊外にあるガーデンカフェ。
リリナ様が貸し切りにしたらしい。
集まっているのは、彼女の取り巻きの令嬢たち数名。
私が姿を現すと、全員が一斉にこちらを見て、扇子で口元を隠しヒソヒソと話し始めた。
「来たわよ、横領犯が……」
「よく顔を出せるわね」
「公爵様を騙している稀代の悪女よ」
完全なる敵地(アウェー)。
針のむしろとはこのことだ。
だが、私は胸を張って歩み寄った。
私のドレスは、シックなモスグリーン。
派手さはないが、生地の質と仕立ての良さは一級品だ。
「ごきげんよう、リリナ様。お招きありがとう」
「あら、モナお姉様! 来てくださったのね!」
リリナ様が、満面の笑みで迎えてくれた。
その笑顔の裏に、どす黒い悪意が見え隠れしている。
「どうぞ、こちらの席へ。……今日は、お姉様のために『特別なクッキー』を焼いてきたの」
テーブルの上には、バスケットに入ったクッキーが置かれていた。
見た目は……少し焦げているが、普通のクッキーに見える。
「さあ、召し上がれ。私の『謝罪の気持ち』よ」
リリナ様が勧めてくる。
周囲の令嬢たちが、固唾を飲んで見守っている。
(……なるほど)
私は瞬時に状況を分析した。
このクッキー。
ただのクッキーではない。
食べれば「腹痛」を起こすか、あるいは……。
「……いただきますわ」
私は躊躇なくクッキーを手に取った。
「えっ……」
リリナ様が一瞬、驚いた顔をする。
まさか本当に食べるとは思わなかったのか、それとも「毒入りだと気づかない馬鹿な女」と思っているのか。
私はクッキーを口に運んだ。
サクッ。
口の中に広がる味。
それは……。
「……っ」
私は眉をひそめた。
毒ではない。
だが、ある意味で毒以上に衝撃的な味だった。
(……この味、市販の激安ショートニングの味……!)
バターを使っていない。
砂糖も、精製されていない安物だ。
粉っぽいし、何より後味が油っぽい。
「どう? 美味しい?」
リリナ様が目を輝かせて聞いてくる。
「……ええ、とても」
私はニッコリと笑って、飲み込んだ。
「とても……『懐かしい味』がしますわ」
「懐かしい?」
「ええ。下町のディスカウントストアで売っている、大袋入りの『徳用クッキー』にそっくりですもの」
「なっ……!?」
リリナ様の顔が引きつる。
「て、手作りよ! 最高級のバターをふんだんに使ったのよ!」
「あら、そうですの? 私の舌がおかしいのかしら」
私はもう一枚、クッキーを手に取った。
そして、わざとらしく断面を見つめた。
「でも不思議ね。手作りにしては、気泡の入り方が均一すぎるし、裏面の焼き目が工場のベルトコンベア特有の網目模様に見えるけれど……」
「……っ!」
「まさかとは思いますけど、市販の安物を詰め替えて『手作り』と偽装したりなんて、なさらないですよね? それは『産地偽装』という立派な詐欺罪になりますから」
私は畳み掛けた。
「材料費をケチって、私の好感度(株価)を上げようとするその姿勢……嫌いじゃありませんよ。コストカットの精神としては」
「ち、違うもん! 手作りだもん!」
リリナ様が涙目で叫ぶ。
周囲の令嬢たちが、「え、あれ市販品なの?」「しかも安物?」とざわつき始める。
作戦第一段階、クリア。
相手の「誠意」の化けの皮を剥がした。
だが、リリナ様の本命の罠は、ここからだった。
「……う、ううっ! 酷い!」
突然、リリナ様が泣き出した。
「せっかくお姉様のために……一生懸命焼いたのに! そんな言いがかりをつけて! ……やっぱり、お姉様は『私を虐めるのが趣味』なのね!」
彼女が合図を送ると、カフェの裏手から、数人の男たちが現れた。
衛兵だ。
「……あちらのご婦人か?」
「ああ。男爵令嬢への暴言、および『毒物混入』の疑いがある」
「は?」
衛兵の言葉に、私は耳を疑った。
「毒物混入?」
「とぼけないで!」
リリナ様が叫んだ。
「そのクッキー! お姉様が持ってきた手土産でしょう!? 私に食べさせようとして、間違って自分で食べたのよ!」
「……はい?」
捏造だ。
あまりにも強引な、事実の書き換え。
「このクッキーには毒が入っているのよ! 私が調べたんだから!」
リリナ様が自爆覚悟(?)の発言をする。
どうやら、「モナが持ってきた毒入りクッキーを、モナ自身が食べて自滅した」というシナリオにしたいらしい。
(……無理があるでしょう、その設定)
しかし、衛兵たちは完全にリリナ様側に買収されているようだった。
「モナ・バーンズ。署まで同行願おうか」
衛兵が私の腕を掴もうとする。
絶体絶命?
いいえ。
私は、懐から「あるもの」を取り出そうとした。
録音用の魔道具だ。
今の会話、すべて録音済みである。
だが、それを出す前に。
パリンッ!!
カフェの窓ガラスが、盛大に割れた。
「……俺の妻に、触れるなと言ったはずだ」
吹雪と共に、黒い影が舞い降りた。
「……アレクシス様!?」
まさかの窓からのエントリー。
私の旦那様は、いつだって登場の仕方が派手すぎる。
「ち、遅刻ですよ、ヒーロー」
私が苦笑すると、アレクシス様は私の前に立ち、衛兵たちを氷の瞳で射抜いた。
「……貴様ら。誰の許可を得て、公爵夫人に手錠をかけようとした?」
カフェの中が、一瞬にして冷凍庫へと変わった。
39
あなたにおすすめの小説
君といるのは疲れると言われたので、婚約者を追いかけるのはやめてみました
水谷繭
恋愛
メイベル・ホワイトは目立たない平凡な少女で、美人な姉といつも比べられてきた。
求婚者の殺到する姉とは反対に、全く縁談のなかったメイベル。
そんなある日、ブラッドという美少年が婚約を持ちかけてくる。姉より自分を選んでくれたブラッドに感謝したメイベルは、彼のために何でもしようとひたすら努力する。
しかしそんな態度を重いと告げられ、君といると疲れると言われてしまう。
ショックを受けたメイベルは、ブラッドばかりの生活を改め、好きだった魔法に打ち込むために魔術院に入ることを決意するが……
◆なろうにも掲載しています
公爵令嬢の辿る道
ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。
家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。
それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。
これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。
※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。
追記
六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。
金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。
前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう?
私の願い通り滅びたのだろうか?
前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。
緩い世界観の緩いお話しです。
ご都合主義です。
*タイトル変更しました。すみません。
『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』
鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」
幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された
公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。
その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、
彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。
目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。
だが、中身は何ひとつ変わっていない。
にもかかわらず、
かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、
「やり直したい」とすり寄ってくる。
「見かけが変わっても、中身は同じです。
それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」
静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。
やがて彼女に興味を示したのは、
隣国ノルディアの王太子エドワルド。
彼が見ていたのは、美貌ではなく――
対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。
これは、
外見で価値を決められた令嬢が、
「選ばれる人生」をやめ、
自分の意思で未来を選び直す物語。
静かなざまぁと、
対等な関係から始まる大人の恋。
そして――
自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。
---
そんなに妹が好きなら死んであげます。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』
フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。
それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。
そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。
イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。
異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。
何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……
結婚十年目の夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。彼は「送り間違えた」というけれど、それはそれで問題なのでは?
ぽんた
恋愛
レミ・マカリスター侯爵夫人は、夫と政略結婚をして十周年。侯爵夫人として、義父母の介護や領地経営その他もろもろを完ぺきにこなしている。そんなある日、王都に住む夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。義弟を通じ、夫を追求するも夫は「送り間違えた。ほんとうは金を送れというメモを送りたかった」という。レミは、心から思った。「それはそれで問題なのでは?」、と。そして、彼女の夫にたいするざまぁがはじまる。
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる