婚約破棄、あざーす!悪役令嬢は田舎へ飛びたい。

パリパリかぷちーの

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「……エラー。計算不能。再試行します」

公爵邸の私室。

私は机に向かい、ブツブツと呟きながらペンを回していた。

手元にあるのは、昨日アレクシス様から渡された「隠し金庫の鍵」と、その目録(概算)。

記載されている資産額は、天文学的な数字だった。

本来なら、私の脳内電卓が高速回転し、「この資金でどこの鉱山を買収するか」「どこの国債を買い占めるか」という完璧なポートフォリオが完成しているはずだった。

だが。

「……進まない」

ペンが止まる。

数字が頭に入ってこない。

代わりに脳裏をよぎるのは、昨日の庭でのアレクシス様の言葉だ。

『俺は、ただの「アレクシス」として、ただの「モナ」を求めているんだ』

『一文無しになっても、君は俺の隣にいてくれるか?』

あの時の、真っ直ぐな瞳。

震える手。

そして、私の返事を聞いた時の、世界が溶けるような笑顔。

(……調子が狂う)

私は机に突っ伏した。

これまで私は、すべての事象を「損得」で判断してきた。

アレクシス様との結婚も、最初は「優良物件の確保」だった。

彼への愛情も、「優秀な経営者への敬意」や「高額納税者への感謝」というラベルを貼って整理していたはずだ。

なのに。

今、私の胸にあるこの感情は、どの勘定科目にも当てはまらない。

「……雑所得? 特別利益? ……いいえ、分類不能(エラー)よ」

胸が苦しい。

顔が熱い。

数字を見ているのに、あのアレクシス様の顔が浮かんできて邪魔をする。

「……モナ」

不意に、背後から声をかけられた。

「ひゃいっ!?」

私は変な声を上げて飛び上がった。

振り返ると、アレクシス様が心配そうに立っていた。

「だ、旦那様! ノックしてください! 心停止リスクが高まります!」

「したぞ。三回も。……君が上の空だったんだ」

アレクシス様が近づいてくる。

「顔が赤いぞ。熱か? 医者を呼ぶか? それとも冷やすか?」

彼の手が私の額に伸びてくる。

その手が触れた瞬間。

ビクンッ!

体に電流が走った。

「っ……!」

私は反射的に身を引いてしまった。

アレクシス様の手が空を切る。

「……モナ?」

彼が傷ついたような顔をする。

「……嫌、だったか?」

「ち、違います! 嫌じゃありません!」

私は慌てて否定した。

「ただ、その……今、私のセキュリティシステムが誤作動を起こしていて、外部からの接触に対して過剰反応を……」

「セキュリティ?」

アレクシス様は首を傾げ、私の机の上の目録を見た。

「ああ、資産の計算に夢中だったのか。……やはり君には、俺より金の方が魅力的か」

彼が寂しげに笑う。

「いいんだ。わかっている。君はそういう女性だ。……俺は、君が俺の金を使って楽しそうにしているのを見るだけで幸せだ」

彼はそう言って、部屋を出て行こうとした。

その背中が、ひどく小さく見えた。

「……」

ズキン。

胸が痛んだ。

違う。

そんなんじゃない。

私は、貴方の金だけを見ているわけじゃない。

貴方が一文無しになったら稼ぐと言ったのは、嘘じゃない。

でも、それをどう伝えればいい?

『貴方の顔が好きです』? 浅い。

『貴方の魔力が好きです』? 機能的すぎる。

『貴方の……』

(……ああもう! 言葉が出てこない! 計算できない!)

論理的思考が崩壊していく。

私は椅子を蹴って立ち上がった。

「待ってください!!」

「え?」

アレクシス様が振り返る。

私は彼に向かって突進し、その背中に抱きついた。

ドスッ。

「モ、モナ!?」

「行かないでください! 計算間違いです!」

私は彼の背中に顔を押し付けたまま叫んだ。

「貴方は間違っています! 私は……私は、金が好きです! ダイヤも好きだし、権利書も大好きです!」

「……う、うん(知ってる)」

「でも! それら全てを積み上げても、貴方一人との交換レートには釣り合いません!」

「……!」

「たとえ王家の宝物庫と交換だと言われても、世界の半分をくれると言われても! 私は貴方を選びます!」

私は必死だった。

恥ずかしさで耳まで熱い。

でも、言わなきゃ。

この鈍感で、愛が重いくせに自己肯定感の低い旦那様に、私の「正解」を叩き込まなきゃ。

「なぜなら……貴方がいないと、私の世界は『赤字』だからです!」

「……赤字?」

アレクシス様がゆっくりと振り返る。

私は彼を見上げた。

「貴方がいないと、広いベッドが寒くて光熱費が無駄になります。貴方がいないと、美味しいご飯も味がしなくて食費の無駄になります。貴方がいないと……」

私は言葉を詰まらせた。

「貴方がいないと、私は……笑えないんです」

「……モナ」

「精神的充足度がマイナスになります。生きるモチベーションが暴落します。……だから、貴方が必要なんです!」

私は彼の胸倉を掴んで引き寄せた。

「これは論理的帰結です! 経済合理性に基づいた判断です! ……あーもう、違います!」

私は頭を振った。

「そんな理屈はどうでもいいんです!」

私の脳内で、長年稼働してきた「ドケチ計算機」が、プツンと音を立ててショートした。

黒煙を上げて停止する理性。

残ったのは、剥き出しの感情だけ。

「……大好きなんです! 貴方のことが!」

「……!」

「不器用なところも、朝四時に胎教しちゃうお馬鹿なところも、私のために国を滅ぼそうとする物騒なところも! 全部ひっくるめて、どうしようもなく好きなんです!」

言ってしまった。

計算抜きの、ただの告白。

私は顔を真っ赤にして、うつむいた。

「……以上、報告終わりです。……笑いたければ笑ってください」

沈黙。

長い沈黙。

(……引かれた? やっぱり、いきなりキャラ崩壊しすぎた?)

不安になって、恐る恐る顔を上げると。

そこには、今まで見たこともないほど崩れた顔で泣いている、アレクシス様がいた。

「……う、うぅ……っ!」

「だ、旦那様!?」

「モナ……! 俺もだ! 俺も大好きだぁぁぁ!」

アレクシス様は雄叫びを上げると、私を壊れるほど強く抱きしめた。

「ぐぇっ……苦し……!」

「嬉しい……! やっと……やっと計算抜きで言ってくれた……!」

彼は私の髪に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。

「ずっと待ってた……。君が、俺という人間を見てくれるのを……」

「……見てましたよ。最初から」

「もっと言ってくれ。何度でも言ってくれ」

「一回につき金貨一枚です」

「全財産払う!」

「……バカですね」

私は彼の背中に腕を回し、優しく撫でた。

「……愛しています、アレクシス」

「……モナ」

アレクシス様が顔を上げる。

涙で濡れた瞳が、キラキラと輝いている。

彼は震える手で私の頬を包み込んだ。

「キスしても、いいか?」

「許可制ですか?」

「君が嫌がらないか、確認しないと……」

「嫌なら、抱きついていません」

私は背伸びをした。

「……タダでいいですよ。特別サービスです」

「……ありがとう」

アレクシス様が、ゆっくりと顔を寄せる。

触れ合う唇。

それは、いつものような「契約のキス」でも、「独占欲のキス」でもなかった。

優しくて、甘くて、溶けるような。

ただ互いの体温を確かめ合うだけの、愛のキス。

(……ああ)

私は目を閉じて、その感覚に浸った。

計算機は壊れたままだ。

損得なんてわからない。

ただ、この瞬間が永遠に続けばいいと思う。

これこそが、この世で最も価値のある「プライスレス」なのだと、今の私ならわかる。

「……ん」

唇が離れる。

アレクシス様は、とろけるような笑顔で私を見つめていた。

「……最高だ」

「……お粗末様でした」

私は照れ隠しにそっぽを向いたが、彼の手が顎を掴んで戻させた。

「まだだ。……特別サービスなんだろう?」

「え?」

「一回じゃ足りない。……『在庫』がある限り、全部もらう」

彼の目が、また怪しく光り始めた。

「ちょ、旦那様? 今は朝ですよ? 仕事が……」

「今日は休みだと言ったはずだ」

「でも、資産の計算が……」

「俺が手伝う。……ベッドの上でな」

「意味がわかりません!」

アレクシス様は私を軽々と抱き上げ、ベッドへと運んでいった。

「モナ。……覚悟しろ。今日は君の計算機が再起動できなくなるくらい、愛してやる」

「もう壊れてますってば!」

抵抗も虚しく、私は朝から甘い地獄(天国)へと連行された。

窓の外では、小鳥たちがさえずり、朝日が二人を祝福していた。

机の上に放置された「隠し金庫の鍵」と「莫大な資産目録」だけが、主人の不在を寂しそうに見守っていた。

こうして、私は完全に「陥落」した。

悪役令嬢としての冷徹な仮面は砕け散り、ただの「幸せな公爵夫人」が誕生した瞬間だった。

そして、物語はいよいよエピローグへ。

数年後。

私たちの愛の結晶と、さらに繁栄した公爵家の姿。

幸せな計算は、まだ終わらない。
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