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80.関ケ原

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 翌日、親衛隊の足の速い斥候が到着し皇太子らと別れる。
 私たちは多少の路銀を頂き、一路関ケ原を目指すこととなった。
 
「ハルト、関ケ原とは遠方にあるのかの?」

 煙々羅えんえんらで元来た森の中を進んでいるところで、リリアナが訪ねてくる。
 
「すまない。つい貴君とシャルロットが異国出身であることを忘れていた」
「いいのじゃ。たまには抜けている方が好みじゃ」

 リリアナの趣味嗜好は置いておくとして……関ケ原のことを伝えねばな。
 
「あ、晴斗。俺も『関ケ原』がどこか分かんねえ」

 ボソっと十郎が呟く。
 何も知らぬまま、煙々羅えんえんらに乗ったというのか十郎よ……。
 最初から全て私に任せるつもりだったな。
 
 リリアナが聞いてくれて好都合だ。彼にも知っておいてもらいたいからな。
 
「関ケ原はここ『平城』を南とすれば、北東の山間部に開いたちょっとした平原だ。京からは東になる」
「ほう。十郎が知らぬとなるとそれほど有名な平原ではないのじゃな」
 
 リリアナが思考を巡らすように顎に指先を当てた。
 確かに、関ケ原を訪れる者など変わり者の行商人くらいだと思う。物の流通は海路か平城を経て京か境に至る。
 京と距離的には近いが、間に深い山脈が横たわっており、山間部にポツンと開いた平原である関ケ原の商業的利用価値は非常に低い。

「リリアナの力を借り、煙々羅えんえんらで進めば一日も経たずに到着するだろう」
「ふむ。京や平城は日ノ本の中心的な都市なのじゃよな?」
「その通りだ」
「それほど都から離れておらぬのに、十郎が知らぬ平原……辺境なのじゃな?」
「そうだな。辺境だろう。関ケ原には人も住んでいない。山が深く商人たちはより南の道から平城へ至るのだ」
「ふむ……。ミツヒデは人の世を鑑みて、関ケ原に……いや、違うの」

 さすが大賢者。真面目に考察を行うと鋭い。
 
「リリアナ、貴君の推測は間違っていない」
「ふむ……しばし待て。答えはまだ言うなよ」
「分かった」

 目を瞑り、深い集中状態に入るリリアナ。この時にあってもまだ空が怖いのか、左手でしっかりと私の二の腕を掴んでいる。
 待つこと数十秒。彼女は目を開き、自分の考えを述べ始めた。
 
「ミツヒデと奴の組織に何か関わりがある何かかのお。あ奴は『相応しい地』でと言っておったろう」
「正解だ。関ケ原はノブナガが『天下布武』と称し決起した場所なのだよ」
「なるほどのお。確かにあ奴らにとっては相応しい土地じゃの」
「私たちとしては幸いだ。関ケ原ならばどれほど暴れても、人の世へ被害を与えることはない」
「ふむ。それでよい。世の理を正すには、裏側からひっそりと行うものじゃからの」

 私とリリアナの会話をちゃんと耳をそばだてて聞いていた十郎は、鼻先を指先でさすり一言。
 
「ミツヒデの奴、結構感傷的センチメンタルなんだな」
「十郎……」

 彼にどう突っ込んでいいものやしばし考えたが、触れない方がいいかと結論を出す私であった。
 
 ◇◇◇
 
 ――関ケ原。
 道中は魔の者へ遭遇した程度で、妖魔さえ襲い掛かってくることはなかった。
 むしろ、リリアナが……いや、何も言うまい。
 
「本当に何もない野原なんじゃのお」
「不思議と心が落ち着きます。瘴気は多少漂っていますが」

 煙々羅えんえんらから降りた私たちは、膝下辺りまで草が生えた野原の中にいる。
 リリアナは辺りを見回し、シャルロットは目を瞑り空気を感じ取るように、十郎は頭の後ろで手を組んで前方を見据えていた。
 
 関ケ原は、山と山の間にあるポッカリと空いた平地である。広さはそれほどでもなく、村を作ることはできるだろうが農業を行うほど広くはない。
 交通の便が悪いことから、妖魔が出た場合、討伐隊が駆け付けるのも遅くなるだろうし……この地で居住することは向いていないと思う。
 だからこそなのだろうか、ノブナガはこの地で「天下布武」をはじめたのかもしれない。距離だけで見れば、京と平城には近いのだから。
 
 私もリリアナに習い、野原を見渡しながら前へ進んで行く。
 
「お、いたな」
「うむ。石碑? のところに二人いるの」

 目のいい二人が揃って前方を指さす。
 残念ながら、私の目では石碑さえまだ確認できない。
 
「『いる』というのはミツヒデと宗玄で間違いないか?」
「ああ、そうだぜ」
「魔の気配をまるで感じないが……」
「大方、左大臣らが懐に忍ばせていたのと同じ札を持ってんじゃねえか?」
「なるほどな」

 十郎の言う通りだ。姿隠しも魔の気配を消す札も左大臣が自ら準備できるわけがない。
 私も知らぬ陰陽術の技を知っているとなれば……ミツヒデが準備したと考えるのが自然だろう。
 となれば、この地で彼らが気配を消す札を持っていることは当然と言えよう。
 
 ゆっくりと、ゆっくりと歩いて行く。
 石碑が見えて来た。
 しかしあれは石碑なのだろうか? 自然のままの黒曜石が元からそこにあっただけと言われても不思議ではない。
 黒曜石に加工された跡は見受けられず、高さは二メートル程度とそれほど大きくもない。中央部分から斜めに幅が狭くなっていて頂点は尖っていた。

「お待ちしておりましたよ」

 ミツヒデは口元だけに冷笑を浮かべ、私たちを迎え入れる。
 
「ミツヒデ。貴君らの目的は何だ?」

 彼らはいたずらに世を乱したりするとは思えぬのだ。いや、妖魔の世界を作るだの、人の世を滅ぼすなどの目的を持つとしたら彼らの行ってきたことがどうもしっくりこない。
 ミツヒデは非常に切れる。彼が理屈に合わず、効率的ではない行動を起こすことは考え辛い。
 私たちが邪魔なら、ここに至るまでに滅することはできたはず。彼は転移術を使いこなすことができるのだから、私たちが魔将との戦いで疲弊したところを突けばいいだけ。
 しかし、これまで二度……いや三度も私たちは見逃されている。

「天下布武ですよ」

 ミツヒデは、記念碑とするには余りに無骨な黒曜石の塊へ手のひらを当てる。
 その時、石碑の後から影が見えた。人影は石碑の尖端部に両足を乗せて、こちらを見下ろす。
 リリアナとはまた違った形で煽情的な紫の衣服へ身を包んだその人物は……ゼノビアか。
 彼女は胸だけを覆う薄紫の布と太ももの上まで切れ目が入ったスカート(リュートに教えてもらった語彙)に素足といった姿だった。

「ああああ。十郎くん! 気配で分かったよおお!」

 十郎を指さすや、彼女は石碑から飛び降りそのまま十郎の元へ駆ける。

「ゼノビア!」

 ぎょっとしたように戸惑う十郎へ、腰を落とした姿勢でゼノビアは突進。

「はぐー」
「おっと」

 ヒラリとゼノビアを回避する十郎である。
 
「もううう! はぐー」
「お前さんはミツヒデの仲間じゃねえのかよ」
「違うよおお。あたしはいつも十郎くん一筋なんだから!」
「……お前さんと斬り合うことを覚悟して来た俺の気持ちをどうすれば……」
「はぐー!」

 弱ったとばかりに頭をボリボリかく十郎の隙を見逃すゼノビアではなかった。
 素早く体勢を整えると、後ろから十郎へ抱きつこうと手を伸ばす。
 
「おっと」
「もううう!」
「ゼノビア。お前さんはどうするんだ? この戦い」
「見守るよ。十郎くんと戦うことなんてあたしはしない。だからといってみっちーの天下布武の気持ちも分かるの」
「そっか。お前さんが決めたのなら、もう何も言わねえ。好きにしな」
「うん。だから、はぐー」
「……」

 何だろう。十郎とゼノビアの様子を見ているとどこか既視感があるのだが……。
 っと目が合った。
 
「なんじゃ?」
「いや、何でもない」
「妾はあの仮想敵のように下品ではないがの?」
「そうだな」

 同意はしないが、言葉だけは適当に返答しておくとしよう。
 
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