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1【妊娠】
1-2 予兆(2)
しおりを挟む朝の忙しない時間帯といえど、次期後継者と共にエレベーターに乗り込む社員はおらず、目的階に着くまで二人きりとなる限られた時間。
通勤カバンを持つ方とは反対の、お互いの身体の間に無造作に伸ばしていた手をギュッと握られる感触に、職場だよ、と目で訴えつつも無理にその手を離すことはしなかった。
社長室と秘書室のある13階フロアへ降り立つと、丁度出くわした同じ秘書室の後輩、花野井くんに盛大に騒がれてしまうのが毎朝の流れといっても過言ではなかった。
「それじゃ、つかささん、またあとで」
「社長待ってるよ、早く行きな」
「はぁい。花ちゃんも、また会議でね~」
「資料持ってくね~」
楓真くんと花野井くんの仲の良さは相変わらずで、三人一緒に秘書室の前まで進むと、さらに奥の部屋へと向かう楓真くんが見えなくなるまでお互い手を振りあっていた。
仲良いねと言えば、先輩ほどではないでぇすと返されてしまう。
静かに笑いあったあと、社長専属秘書室の扉を開き入室すれば、既に出勤していたこの課の長、水嶋さんと、花野井くんの同僚 滝川くんが気だるげに挨拶してくる、そんな変わらない日常。
*****
「―――以上が本日のスケジュールになります」
「はい、わかりました。今日もよろしくねつかさくん」
「はい、社長」
楓真くんと番になる前までは社長である楓珠さんのご自宅まで専属運転手と共にお迎えにあがり、その時間で行っていた朝のスケジュール確認。今では楓珠さんのはからいで、出勤してから社長室で行うようになっていた。
パタンとタブレットを閉じ不意に視線を上げた視界の端に、社長のネームプレートが置かれた立派なデスクに肘をつきにこにこと見つめてくる楓珠さんの笑顔が入ってきた。
デスクの前に立つ僕はそんな楓珠さんを見下ろしている。
「……社長?」
「最愛の嫁と息子が昨夜もラブラブだったみたいでお義父さんは嬉しく思っているところです」
「……?」
トントンと首筋を指しながらそういう楓珠さんの言葉の意図を数秒後、はっと理解した途端ぶわっと顔に熱が集まる。
オメガの首筋には、不幸な事故を防ぐため大事なうなじを守るチョーカーが巻かれていることが多い。けれど僕は楓真くんと番になったタイミングで、それをしなくなった。代わりに一生消えない楓真くんの噛み跡がそこを守っている。
そんな首の右側面。
そこにはおそらく、昨夜の名残がありありと顔を見せてしまっていたのだろう。
「っ!!!楓珠さん!」
「あははっいい事いい事。へんな虫除けには効果抜群さ」
顔を真っ赤にし首筋を覆う僕の手を、後ろから伸びてきた大きな手がそっと剥がしていく。
「父さんつかささんへのセクハラ禁止」
「はいはい申し訳ありません旦那さま。それで、楓真くん、問題なかった?」
「このスケジュールでプログラミングチームは問題なさそう」
僕を腕に抱いたまま、もう片方の手に持ったタブレットで仕事の話を始め出す楓真くんの横顔をそっと下から眺める。
この数年でさらに大人びた楓真くん。
ぼぉっとその姿を眺めながら、不意にふわりと香る惹かれる匂いにつられるように無意識にスリ、とスーツの胸に鼻を擦り寄せていた。
「……つかささん?」
「あまり、おじさんの前で見せつけるのは勘弁してほしいなぁ」
「え、……っぁ、すみませっ」
完全に無意識の行動。
収まった熱がさらに顔に集中するのを感じながら慌てる僕に対して、嬉しそうな表情を浮かべる楓真くんと、優しく笑って許してくれる楓珠さん。
最近、何故かこんな事が増えていた。
無意識に楓真くんのフェロモンを求めて安心している。
番になった時、奇跡が起きて楓真くんの匂いがわかるようになった衝動からか、最初の頃はよくフェロモンを求めにいっていた。それも数年経てば落ち着いたと思っていたのに……
最近の自分の習性に不思議に思いながらも、特に問題視する必要は無いだろう、とその時は気のせいにしていた。
やっぱり変だと思ったのは、それから数日も経たないすぐの事だった。
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