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前編
しおりを挟むある日、可愛い可愛い婚約者が突然言い出した。
「貴方はいつか私を捨てて別の人と婚約するの、そして私は婚約者に捨てられた惨めな女として一生を過ごすのよ」
「……………………はい?」
冗談か?
冗談にしては瞳が本気だし彼女はこんな冗談は言わない。
何かの物語でも読んでそれに影響されたのだろうか。
影響されたにしても余りにも突拍子がなさすぎる。
だって今、まさに今、初めてのキスをしたところなんだぞ?
一目惚れした幼い頃から何度も何度も何度も口説いて念願叶って想いを確かめ合ってレベッカの父親も口説き落として婚約まで漕ぎ着けて、何年も何年も触れたいのを我慢して我慢して我慢して悶々とし続けてやっっっっっと今日初めてキスを出来たんだ。
ここは喜びを噛み締め恥ずかしさもありつつ嬉しさを爆発させたいところだったというのに、突然すぎる彼女のセリフに喜びも恥ずかしさも嬉しさも全部が一旦飛んでいった。
「あの、レベッカさん??何で今?そんなありえない話を??」
「ありえない話じゃないわ。今、キスをして思い出したの」
「思い出したって、何を?」
「貴方が私を捨てる事を」
「ありえないから!!!」
「ありえるのよ」
「そもそも未来に起こる……起こらないけど!その話を思い出したってどういう事?訳がわからないんだけど」
「それは……」
そして次に言われたセリフも俺の予想を超えていた。
「私、前世の記憶があるみたいなの」
「……………………は???」
前世?
前世とは???
生まれる前の世界とかいう、あれか?
彼女は更に続ける。
「わかってる、頭がおかしくなったかと思うわよね?でも正気なのよ悲しいことに。私だって混乱してるけどこれは前世の記憶で間違いないと思う」
とても混乱しているようには見えないけれど、冷静そうに見えても内心では色々と渦巻いているのだろう。
昔から平静を装うのが得意だからな、レベッカは。
色々と隠してしまうからレベッカの気持ちを推測するのに慣れてしまっている。
だから巷では冷たいだの感情がないだの言われているが、実際は感情豊かだし優しいし他人の感情に敏感だ。
(それはそれとして……)
突拍子もないことだが、レベッカが前世を思い出したのは良いとして何故俺が可愛い可愛い婚約者を捨てて他の女に走らなければならないのだ?
素朴な疑問をぶつけると、レベッカは淡々と語り始めた。
「前世では乙女ゲームというのがあってね、私達はその中の登場人物なの」
曰く、その『乙女ゲーム』とやらは『ヒロイン』の元平民の男爵令嬢が慣れない学園生活を送っていく中で、生粋の貴族連中からの嫌がらせにも負けず健気に過ごし、色んな『攻略対象』と出会い恋に落ちていくというストーリーらしい。
最終的に一人を選ぶか、または全員が『ヒロイン』に恋をして逆ハーレムとやらを築くゲームのようだ。
よくわからないけれど。
攻略対象は五人、我が国の王子と隣国からの留学生である王太子殿下、宰相の長男と近衛隊隊長の次男、そして何故か俺だ。
勝ち目がなさすぎるだろうその人選。
何の罰ゲームなんだその中に俺がいるだなんて。
「あら、貴方は素敵だもの。気付いていなかったの?私、貴方と婚約しているからって随分とやっかまれているのよ?」
「んッ、そ、そうなの?」
思いがけず褒められて照れる。
いや照れてる場合じゃない。
「そうよ。貴方は公爵家の三男だけどお兄様達と同じくらい優秀だし、黒髪も綺麗だし緑の瞳は深い森のようで癒されるし何より優しいし少し頼りない所もあるけれどしっかりと自分自身を持っている素敵な人だわ」
「んんっ、あ、ありがとう」
重ねて褒められて嬉しい。
そんな風に思っていてくれていたのか。
とはいえ俺はしがない三男だ。
いくら公爵家とはいえども後を継ぐ訳でもないし、将来はレベッカの実家である侯爵家へと婿入りすることになっている。
「貴方はね、優秀なのにどうやってもお兄様達には敵わない事にずっと悩んでいて、私との『愛のない結婚』を強いられて苦しんでいるところを彼女に出会って救われるのよ」
「待って待って、最初から最後まで誰の話?」
確かに長男はいずれ公爵家を継ぐ事も決まっているし、在学中から頭角を現し非常に優秀で嫡男であるにも関わらず他国の王女の婿にどうかと誘われる程の逸材だ。
二番目の兄も似たようなもので、こちらは長男よりも少しちゃらちゃらしているがいつも笑顔の裏で弛まない努力をしているのを毎日目撃している。
どちらも自慢の兄で、さっき言われた兄達と同じくらい優秀だというのが純粋に嬉しいくらいで悩みなどない。
むしろ父に続いて俺が尊敬してやまないのが二人の兄達だ。
「それに『愛のない結婚』って何!?レベッカをこんなに愛してるのに!?」
「……そういう設定なのよ」
「もう一度設定を練り直すべきだな」
ふんと鼻息荒く腕を組み言い切ると、レベッカが心なしか照れているように見えた。
というかこれは確実に照れている。
俺の『愛している』というセリフに照れているのだろう。
ああ可愛い。
俺の婚約者はやはり可愛い。
傍目には冷たく言い放っているようにしか見えないだろうけど。
「俺が攻略対象?だとして、レベッカは?」
「私は……」
レベッカは『悪役令嬢』で主人公である『ヒロイン』の敵役で、彼女にありとあらゆる嫌がらせをする役所のようだ。
悪役令嬢?嫌がらせ?
この虫も殺せないレベッカが嫌がらせなんてするはずがないのに。
「私はね、貴方を取られると思って嫌がらせをするの。他の攻略対象の婚約者達も色んな嫌がらせをしていたけれど、私は犯罪まがいの事までしていたわ」
「犯罪?例えば?」
「……人を雇って彼女を襲わせたり、攫って他国に売ろうとしたり」
「わーお」
レベッカの家は他国との繋がりが強いからやろうと思えば出来るだろうけど、レベッカがそんな事をするはずがないというのはわかる。
というか『ヒロイン』とやらに取られたくないからって俺の為にそこまでしてくれるくらい俺を愛してくれているのかと、思わずにやけてしまう。
ここでにやけてしまう辺り俺も大概だ。
まあ良い。
ここが仮にそのゲームの世界だとして、その『ヒロイン』とやらが現れて攻略対象の面々と恋に落ちるのだとしよう。
「でもその『ヒロイン』とやらが俺を選ぶとは限らないんじゃない?」
他にも魅力的な人達ばかりがいるのだから、その中でも一番パッとしない俺を選ぶとは思えない。
そもそも出会ったとしても俺が恋に落ちる可能性はゼロどころかマイナスだし。
俺にはレベッカがいるからな!
「わからないじゃない。彼女はとても可愛くて健気で頑張り屋で貴族にはない自由さもあって表情も豊かで、みんな彼女の優しさにすぐに惹かれていってたもの。ルイスだって、彼女に会えば……」
「いやいやいやありえないから!愛してるって言ってるよね!?」
不安そうに瞳に影を落とすレベッカのセリフに被せてそう言う。
いくら可愛くても健気でも自由でも表情が豊かでも優しくてもレベッカには敵わない。
「レベッカだって可愛いし優しいし健気だし何より一途じゃないか。まだ会った事はないけど俺にとってはレベッカが誰より一番だよ」
「……っ、そんなことを言うのは貴方だけよ」
「俺だけで良いよ、他の奴がレベッカに惚れたら困るし」
「もう、何言ってるのよ」
はい可愛い。
「ところで貴方、私が前世だなんだと言っても否定しないのね」
「ん?まあ突拍子もない話だなあとは思うけど……」
「けど?」
「レベッカがそんな嘘吐く意味がないし、作り話っていう訳でもなさそうだし、まあ本当の事なのかなって」
「……っ」
自慢じゃないが俺はレベッカの嘘だけは100%見抜ける自信がある。
さっきも言ったけどずっと彼女の感情の機微を推測してきたからね、こんな大きな嘘吐いたらすぐに嘘だとわかる。
それにレベッカはずっとどこか不安そうな瞳をしている。
突然前世とやらを思い出した事もそうだが、それによって俺と別れる未来があるかもしれないという事への不安に一気に襲われているのだろう。
「大丈夫だよ、俺は何があってもレベッカから離れない。レベッカが嫌だって言っても離れるつもりはないんだから」
「本当に?」
「当たり前だろ?俺がレベッカと結婚するのをどれだけ待ち望んでると思ってるの?」
「婚約、破棄しない?」
「する訳ない!絶対しない!死んでもしがみつく!」
「死んだらしがみつけないじゃない」
セリフの通りにレベッカの肩を抱き寄せ反対の手の指を絡めると、くすりと微笑まれる。
(ああああああああ可愛い!本当に可愛い!!!)
はにかむようなその微笑みに語彙力が崩壊し、すりすりとレベッカに擦り寄った。
「それでその、レベッカさん」
「何?」
「さっきの、もう一度しても?」
「……そんなの聞かないでちょうだい」
レベッカの前世の話で中断されてしまったが、改めて余韻に浸るべく、俺は抱き寄せた彼女の唇に再びそっと自分のそれを重ねた。
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