『未来郵便局』

月影 朔

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第三章:言えなかった「ごめんね」

第二十一話:未来への一歩

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 智也からの手紙、そして部屋に飾られた一輪のガーベラは、玲子の日常に静かな変化をもたらしていた。

 玲子は、以前と同じように仕事に打ち込んでいたが、その表情は、どこか穏やかで、柔らかな印象になっていた。

 ある日の午後、玲子は休憩中にスマートフォンを手に取った。

 これまでは、仕事関係のニュースや資料を読むことしかなかった玲子だが、この日は、なんとなく、検索窓に「ガーベラ 育て方」と打ち込んでいた。

 画面には、水やりの頻度や、日光の当て方、剪定の仕方など、様々な情報が表示される。

 玲子は、真剣な表情でそれらの記事を読み込んだ。

 智也が遺してくれた「希望」の花を、大切に育てたい。
玲子の心には、そんなささやかな願いが芽生えていた。

 玲子の変化は、周囲の人間も感じ取っていた。

「玲子さん、最近、なんだか雰囲気が柔らかくなりましたね」

 部下の一人が、休憩室で玲子に声をかけた。

 玲子は、一瞬戸惑ったが、すぐに小さく微笑んだ。

「そうかしら。自分ではよく分からないけれど」

「ええ、前よりも、話しかけやすくなったというか……」

 部下は、言葉を選びながらそう言った。

 玲子は、自分のこれまでの振る舞いを思い出した。

 仕事の効率を重視し、部下にも厳しい態度で接してきた。
それが、チーム全体の生産性を高めるためだと信じていたからだ。

 しかし、もしかしたら、部下たちは玲子のことを恐れていたのかもしれない。

 玲子は、コーヒーを一口飲み、窓の外に目を向けた。

 空には、穏やかな陽光が降り注いでいる。
玲子の心にも、その光が差し込んでいるかのようだった。

「そうね……
少し、変わったのかもしれないわ」

 玲子は、素直にそう認めた。

 部下は、少し驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうな笑顔を見せた。

 その笑顔を見て、玲子の心は、じんわりと温かくなった。

 週末、玲子は久しぶりに料理をした。

 これまでも、栄養バランスを考えて自炊はしていたが、それはあくまで「義務」のようなものだった。
だが、この日は、智也との思い出のメニューを作ろうと決めていた。

「智也のポルチーニ茸のクリームパスタ」。

 スーパーで材料を買い込み、玲子はキッチンに立った。

 智也がいつも使っていた、少し年季の入ったフライパン。
二人で選んだ、お揃いのシンプルな食器。

 それらを目にするたび、玲子の心は、温かい記憶で満たされていく。

 レシピを見ながら、玲子は丁寧にパスタを作っていく。
ポルチーニ茸の香りが、部屋中に広がる。

 智也が、いつも玲子に作ってくれていた、あの懐かしい香りだ。

 完成したパスタを前に、玲子は一人、食卓に着いた。

 温かいパスタを口に運ぶと、あのレストランで食べた時と同じように、涙が溢れてきた。

 だが、その涙は、もう悲しみの涙ではなかった。
智也への感謝と、そして、彼が自分に残してくれた愛情への感動の涙だった。

 玲子は、自分の幸せを、もっと大切にしようと心に誓った。

 仕事への情熱は、玲子にとって生きがいの一部だ。
それはこれからも変わらないだろう。

 だが、それだけが玲子の人生のすべてではない。

 智也が教えてくれた、心の豊かさ、人との繋がり、そして、日常の中に潜むささやかな幸せ。
それらを大切にしながら生きていくこと。

 玲子は、リビングのガーベラに目をやった。

 オレンジ色の花が、玲子の部屋を優しく照らしている。
智也が遺してくれた希望は、玲子の心の中で、確かに芽吹いていた。

 翌朝、玲子は出かける前に、ガーベラにそっと触れた。
花びらの感触が、玲子の指先に伝わる。

「ありがとう、智也」

 玲子は、心の中で呟いた。

 彼の愛情を受け入れ、過去との和解を果たした玲子の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 玲子は、新しい自分として、未来への一歩を踏み出すことを決意した。
その一歩は、これまでよりも、ずっと軽やかで、確かなものだった。
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