憂鬱採集

菜っぱ

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コーヒーよりも価値のない男

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 紀美子に結婚願望は皆無だった。

 昔は少しくらい存在していたと思う。まだよちよち歩きの幼児だった頃、大きくなったらお嫁さんになりたい、と口走った記憶が薄らと残っている。

 しかし今ではそれはゼロになってしまった。きっかけは以前付き合っていた男の一言だった。

 __物書きは遊びで、家庭に入ったら家事に勤しむんだろう? 

 その一言に身が凍るような思いをした。

 こういう男の存在が許されている現代日本で、自分が結婚相手を探すのはあまりにも無謀な賭けだ、そんな考えが拭えなくなってしまった。

 周りの人間には運が悪かっただけだよ、次探せばいい人が見つかるよ、と慰められたが、紀美子はそれを受け入れることができなかった。

 そんな思いを持っているがために、婚活パーティーなど一切興味がない。
 しかし、機会というものは、時に望んでいなくとも訪れてしまう。




「ねえキミちゃん、私と婚活パーティー行かない?」


 平日、オフィスで仕事中の昼休み。生ハムのバケットサンドにかぶりつこうとした紀美子に、向かって、清香は妙なことを言い出す。

「え? 彼氏さんはどうしたんですか?」
「最近、なんか冷たくてさ~。ま、別れてもいいんだけど別れる前に新しい男見繕っておきたいじゃん? 保険だよ、保険」

 清香の発言に開いた口が塞がらない。バイタリティと精神強度が強すぎる。

 世の中には自分の思いつかないカードの切り方をする人間がごまんといるのだ。

「私は結婚とか考えてないんで、そういうのは、いいかな……」

 その言葉を聞いた清香はさらにカードを切ってくる。

「キミちゃん、最近有給ばっかりとってたじゃん。その時、私キミちゃんの仕事、代わりにやってあげたんだよ」
「……それは申し訳なかったですけど」

 私も、こっちではないですが、仕事をしてました、とは口が裂けても言えない。

 彼女の世界はここだけなのだ。

 ここでNOと言ったら、角が立って仕事がしにくくなってしまうだろう。それがどのくらいの期間なのか検討がつけば断ることも考えたが、自分の想像の範囲を超える考えを持つ清香のことだ。どう転ぶかわからない。


 __本当は婚活パーティーなんて行きたくない
 __でもまあ、取材だと思えば我慢できる。


 清香が紀美子を誘う理由なんて、簡単に推測できる。
 きっと自分よりも見劣りする女を隣に置いておくことで、自分をより良く見せたいのだろう。

 素晴らしい戦略だ。ぐうの音も出ない。

 紀美子は割り切って、婚活パーティー参加することにした。



 会場に着くと、様々な服装の人間が集まっていた。

「清香さん……。気合が入ってますね……」

 会場で待ち合わせした先輩の清香は艶やかさが魅力的な赤いワンピースを着ていた。赤という色は会場の中でも目立つ。ただこの色が浮かずに似合っているところがすごい。
 心なしか化粧もいつもと違う気がする。

「私はいつだって本気だよ? ここでイイオトコ、捕まえなくっちゃ!」

 ……そのやる気、仕事に生かしてください。
 その言葉は心の中に留めておくことにした。

 婚活パーティーの流れは、二人一組になって席につき、女性陣は座ったままで、男性がその席を回っていくことで話す相手が変わる方式らしい。

 紀美子と清香は指定された席につく。
 ソワソワと待っていると目の前に、ラフな格好の男性が座った。

「なんの仕事をしてるの~?」
「OLです」

 間違っても小説家だなんて、口には出さない。
 とりあえず、その場で取り繕って会話を続ける。

 隣にいる清香は自分の持ち前の美貌を生かしつつ、代わる代わる入れ替わる男性たちの情報を次々に引き出している。しかし、紀美子は何一つ楽しくなかった。

 __何これ、接待業務みたい。

 そう感じてしまったら、もう最後だ。紀美子はそのまま会が終わるまで、憂鬱な時間を過ごすことになる。



 何組かとの会話が終わり、会がお開きになる。

 やったー、これで帰れる。そう思った紀美子は男性に声をかけられる。
 その男性は会の中で、最後に話した男性だった。

「よかったら、そこのカフェでコーヒーでも飲みませんか?」
「え?」

 紀美子は思っても見なかった提案に目を丸くした。地味で華がない自分に声がかかるなんて思っても見なかったのだ。

「やったじゃん! キミちゃん。行ってきなって!」

 清香はニヤッと笑って、肘で紀美子を小突く。

「え……。でも……」
「私もさっき違う人に誘われたから。その人とこれからご飯に行ってくる!」

 あ、清香さんは体良く私と別行動したいだけか。
 ……まあ、これも取材だと思ってついていくのもアリかもしれない。

 そう思った紀美子は大人しく彼についていくことにした。



 紀美子は婚活パーティー会場からそう離れていない駅前のカフェに先ほど声をかけられた男と二人で入る。

 カフェは非チェーン店で、クラシックがかかる感じのいい店だった。席に座り、二人はお互いの情報を開示するように、話を始める。

 男と話していくうちに、なぜ男が紀美子を選んで声をかけたのか、謎が解けていく。

 彼は自分に自信がなく、自分でもいけそうな外見の紀美子に声をかけたのだ。

「いやあ、君の隣にいた子は美人すぎて、緊張しちゃう感じだったから……。ああいう子ってすぐ浮気しそうじゃん? 俺は君くらいのこの方がいいかなって」

 ……それは褒めてるつもりだろうか。

 きっと彼は素朴なことはいいことだ、という趣旨のことを言いたいんだろう。だがそれを伝えるには語彙力が足りなすぎる。

 その言い方ではいかにもモテなそうな外見の紀美子は浮気ができるほど器量良しではない、というふうにしか聞こえない。


 この人は……無いかな。
 紀美子は心のシャッターを素早く締めた。


 その後もなんとなく話が盛り上がらない。

 ふわふわとつかみどころのない話に向かって、つかみどころのない会話を返す。

 それは緩すぎるゴムボールの球をガットがビヨビヨにのびたテニスラケットで打ち返しているような、不快さがあった。

 私の書くものよりも、面白い話をしなさいよ。
 ……ああ、この程度の男だから仕方ないか。

 紀美子は心の中でなら容赦なく毒づく。

 そんな微妙な時間を過ごしている中で、ああこの男はないな、と思った決定的な一言があった。


「コーヒー八百円ってたっか! 詐欺じゃん!」


 会計前になって、彼はコーヒーの値段を初めて目にしたようだ。 
 その言葉を紀美子はニコニコとしながら聞いていた。

 もちろん、賛同なんかこれっぽっちもしていない。

 コーヒー八百円、それは一般的にいうと高い金額なのかもしれない。

 しかし、ここの店のコーヒーは素晴らしい味わいだった。きっと、この店の主人は多くの時間を修行に費やしたのだろうと紀美子は想像する。

 その時間以外にも、コーヒーの原材料、人件費、駅前の人通りの多い立地に店を構えるための家賃、全てがこの一杯にこもっている。

 それがわからないあなたはこのコーヒーより価値のない男ですね。
 そう紀美子は思ったが口には出さなかった。



 男と別れる頃には、日はもう落ちかけていた。

 雨が降ってきそう……。
 空を見上げると雲が黒く厚い。どんよりとした雲は今にも雨を降らせそうだ。

 紀美子は足早に駅へと急ぐ。

「ねえ、お姉さん~。今から飲みに行きませんか~?」

 こんな時にナンパ……? 紀美子はナンパに会うなんて初めてだった。
 婚活パーティー用に、適度に綺麗な格好をしていたからかもしれない。

「行きません」

 紀美子は毅然とした態度を貫き、早歩きで通り過ぎようとする。

 すると、ナンパ男は仕返しとでも言おうか、汚い言葉で罵りごえをあげた。

「調子乗ってんじゃねえよ! ブス!」

 え? ブス? 私に言ったの?

 紀美子は唖然としてしまう。

 ナンパ男から距離をとった後も、心臓がバクバクとけたたましく音を立てていた。

 これは……。貰い事故のようなものだ、気にするな、気にするな、気にするな……。
 そう何度も暗示をかけようとする。なのに上手くいかない。

 先ほどのカフェの男との会話で、心に綻びが出ていたからだろう。

 刺された人間が血を流すように、心を刺された紀美子は、通り魔に襲われたように心の中で血を流す。

 それは次第に涙へと形を変えた。

 こんなちっぽけなことで泣くなんて惨めだ。泣くな……。

 __大丈夫。私は価値がある。私は小説家だ。見た目が優れなくても、作り出すものには、ファンがついているし、他の人にはないものが作れる……。私は劣ってなんかいない。私生きていることには意味がある! 私は! 私は! 私は!

 そう念じれば念じるほど、溢れるように涙が流れ出てしまう。

 紀美子の荒れた気持ちを表すように、天気が崩れていく。しとしとと降っていた雨は、次第に雨脚を強めていく。

 雨に感謝しちゃいそう。泣いていることが隠せるから。
 紀美子は雨に打たれながら、そんなことを思う。

 もう今日は最悪の日だ。自尊心が信じられないほどに低下している。

 紀美子はボロボロと涙を流しながら帰路についた。



「最後の人、よかったじゃん! その後どうなった⁉︎」

 週明け、オフィスで清香は興味深々という様子で近づいてきた。
 そっか、私婚活パーティーに行ったんだった。紀美子はそのことを今になって思い出す。帰り道のナンパ野郎に言われた言葉に傷つきすぎてその前の出来事を失念していた。

「うーん、私にはちょっと難しいかなって思って……」

 全てを話すのは野暮なので、オブラートに包んで話す。

「でも連絡先くらいは交換したんでしょ?」
「してません」
「えー! それで連絡先も交換せずに帰ってきちゃったの⁉︎」
「そうなんですよ。ご縁がなかったんですね」

 できるだけドライに、気にしてない風を装って言葉にしていく。
 もしかしたら、もう少し凹んだ風を装った方が清香の自尊心をくすぐれたかもしれない。
 話すことは難しい。書くことは後から修正できるのに、会話というのはそれを許してはくれない。

「じゃあ、私だけいい思いしちゃったのかな~? 私めっちゃスペックの高い人引いちゃった!」
「それはよかったですね」

 紀美子が調整しなくとも、清香の自尊心は満たされたようだ。

 __その日本当に調整するべきだったのは自分自身の自尊心だったのかもしれない。

 紀美子は曖昧で、不器用に笑みを返した。



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