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本物の証明
しおりを挟む原作を担当した映画は無事に完成し、紀美子は試写会に招かれていた。
関係者席に案内され席に着き、しばらくすると映像がスクリーンに映し出される。
美しい女優、美しいカットワーク。自分の文字たちが、セリフとなって、素晴らしい才能で補填されるように彩られていく。
それは目を瞠るほど素晴らしい体験のはずなのに、なぜか紀美子はそれに身が入らない。
私が自分に自信を失い始めたのはいつからなのだろう。
そんなことが頭をよぎってしまうのだ。
多分、自分は今、それを思い出すべきではない。今私がやるべきなのは完成した映画に集中することで、自分のことを考える時間ではないのだ。
しかし、一度考え始めると止まらない。
紀美子は昔の記憶を思い出し始める。
*
最初のきっかけは幼なじみの一言だった。
「お前んち、妹の美和子は可愛いけど、紀美子はなんか地味だよな!」
幼い子供の、何気ない一言だったのだ。
妹は目がくりっとしていて、可愛らしい雰囲気を子供の頃から持っていた。
それに比べて、紀美子は目が細く、華やかな雰囲気は持っていなかった。
私は……。可愛くないんだ。
妹より劣った存在で、残念な子で……。
紀美子はその日、初めて劣等感というものを抱く。
両親はもちろん、その二人を比べたり、差をつけるような育て方はせず、平等に可愛がってくれたとは思う。
しかし家族以外の第三者からの糾弾に近い評価は紀美子のまだ幼く、柔らかい心をぐさりとえぐり、自分自身の価値を軽んじる原体験となった。
何をやっても、自分はダメだ。人より劣っている。
そんな自身の無さが、自分を覆い込むように、いつも付き纏っていた。
そんな紀美子が自信を取り戻し始めたのは大学時代に文学賞をとった頃だった。
賞を受賞した、その連絡の電話を受けた時、紀美子はこの世のヒロインになったような錯覚を覚えた。
その文学賞は授賞式があった。そこで、壇上の真ん中に案内された時の感動は今でも忘れられない。
自分のために用意された、授賞式。壇上……。
誰もが自分に注目をしている。そんな初めての経験に、紀美子は酔いしれてしまった。
大学中、どこを見渡しても同じ年代で、本を執筆した人間なんていない。
自分は特別な人間だ。ヒエラルキーの天辺、誰もが目指したいと願う頂点に私はいる。
肥大した自意識は留まるところを知らない。
その感覚を紀美子はいつまでも味わっていたかった。これを二度と手放したくない。
そんな思いに囚われて、紀美子は書いて、書いて、書いた。
文章の書きすぎで、今までにキーボードは二台壊れてしまったし、有料クラウドサービスのストレージも二百ギガが文章でいっぱいになった。
それでも努力は足りない。読めるだけの本は読み尽くし、世の中で好ましいされる傾向と対策を調べ尽くしそれを自分の言葉で、作り出していった。
本屋で自分の書いた本を見ると、自分の居場所があるような気がして酷く安心してしまう。
自分の見た目なんて、どうでもいい。私は自分の作ったものが評価されればそれで十分だ。
それさえできていれば、自分は誰よりも優れていることを証明できる。自分が本物であることを、誰よりも価値があることを。
そんな苛烈な思い出を頭の中で引き出していると、映画はエンドロールを迎えていた。
原作者部分には、瀬堂紀美子と自分の名前が書かれている。
私が作った物語が、収まるところに収まって、消費されていく。
紀美子はその様をぼんやりと見つめていた。
*
「よお。紀美子」
試写会が終わり、帰ろうとしていると、プロデューサーに声をかけられる。
以前、紀美子を見下していた、いけ好かない男だ。
今日はブランド物の背広に黒黒と光るディアドロップ型のサングラスをして、まるでマフィア映画に出てくる、どこぞのドンのような風貌をしていた。
紀美子はその男の登場に顔を歪めそうになる。
「下の名前で呼ばないでください。私たちそれほど仲がいいわけではないでしょう?」
もうこれは終わった仕事だ。悪意が伝わってしまってもどうでもいい。そんなことを思いながら紀美子は呟く。
「……俺は気に入ったオンナは下の名前で呼ぶ主義なんだよ」
男はいけしゃあしゃあと言い放つ。
こんな男に好かれても何もうれしくなんかない。紀美子は汚いものを見たかのように顔を歪ませた。
「いいねえ。その顔。最高に感情が浮き出ていて、女優向きだ」
「私は物書きであって、女優ではありません」
短く、切り捨てるように言い切ると、男はにやりと口の左の端だけをあげて歪に笑う。
「そうか? そうやって目立たない服を着て、何にも取り柄のないOLに擬態して普通を演じているお前は、このスタジオにいる誰よりも女優を気取ってると思うけどな」
紀美子はその言葉に驚く。自分がOLをやっていることはこの映画の関係者には話していなかったはずだ。編集者に尋ねたのだろうか。紀美子は混乱する。
男は紀美子をサングラス越しでもわかるくらいの強い視線で見据えて言った。そして言葉を続ける。
「この作品を気に入って、映像化しようと言ったのは俺だ」
意外な言葉に紀美子は目を見開く。
「どうして……、私の話を?」
紀美子は震える声で問う。
その答えは、酷くシンプルだ。
「本物のマウンティング女子が書く話は本物だと思ったからだよ」
「本物……?」
その言葉を受けて、紀美子は上手く言葉が出てこなかった。
「気がついていないのか?
マウンティング女子を馬鹿にして、消費して、そうやって生きてるお前が一番、この世の人間をマウンティングしてるんだよ」
__息が止まる。
紀美子はそれに気がついていた。
誰にマウントを取られても、受け流せたのは自分の方が優れていると思っていたからだ。
自分は誰よりも優れている。そんなガラスのように弱い殻が、紀美子の柔らかい心を、有刺鉄線のように守っていた。
「そうやって、自分が一番だ、一番偉いって思って死んでいくとか惨めじゃねえ?」
紀美子はその言葉に揺さぶられるように強い衝撃と、眩暈を覚えた。
平衡感覚がつかめない、背中に冷や汗をかいている。心拍数がおかしい。
不調の中で、倒れないようになんとか地面を踏み締めることしかできない。
その場を離れ、帰路に着くまで、男の怜悧で悪魔のような笑い方が、紀美子の脳裏にべったりと張り付いていた。
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