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第一章
(20)叶えられた願い
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「はい、はーい!質問いいですか?」
「………こら、ミル。あなたの授業じゃないのよ」
「えー、でも気になっちゃってー」
元気よく手を挙げたのに、怒られてぷくっと頬を膨らませたミルが可愛くて、私はクスクスと笑ってしまった。
「私もミルの質問が気になるので聞きたいです」
私がミルの味方に付くと、神官のレナリアは困ったように眉を下げた。
ミルが途中で何度も質問するので、全然授業が進まなくて困っているのだろう。
レナリアは分厚い辞書を机に置いた後、小さくため息をついて、答えるのはあと一回きりですとミルに向かって言った。
「はぁい! それじゃ、男女の営みについて詳しく教えてください!」
にこにこと満面の笑みでミルが質問すると、レナリアは頭を押さえて声にならない声を上げた。
神殿での一般常識についての授業がスタートした。
担当してくれるのは、レナリアという神官で、薄紫の長い髪をした色白の美しい女性だった。神殿にいる子供達の教育をしているらしく、世話係のミルとも仲が良かった。
女神イシスを中心とした世界の成り立ちや、国の歴史を学んだ後、帝国の貴族の暮らしや、一般庶民の暮らしについて、レナリアは根気よく丁寧に教えてくれた。
途中でなぜかミルも授業に参加し始めて、いつの間にか生徒が二人になってしまった。
私としてはその方が楽しいし気が楽だから嬉しかった。
ベルトランは私が授業を受けている間はいつも猫になって日向で転がって寝ている。
今日の授業のテーマは生命のあり方というもので、男女の営みについて、レナリアがサラッと流したところ、ミルは逃さないというように突っ込んで質問を投げかけた。
自身も二人の子持ちだというレナリアは、私の手前ごまかすのはよくないと思ったのだろう。しばらく考えるように下を向いていたが、仕方ないと腹をくくったようにバッと勢いよく顔を上げた。
「男女の営みとはつまり、セックスのことです! 愛撫をして男性器を勃起状態にした後、女性器に挿入して摩擦によって射精を促し、男性が膣内に射精をする! ここまで分かりますか!?」
「はっ…はい」
「はい……」
ミルは揶揄うつもりでレナリアを質問責めにしていたが、予想を超えるリアルな回答に驚いていた。私もレナリアついにキレたなと思いながらミルと同じタイミングで返事をした。
「膣内に吐精をすることにより子を得る権利を得ますが、一度だけなので子をいつ得るかはよく話し合って決めることです」
「ん?」
ミルはうんうんと頷いていたが、私の世界の知識だと違和感のある説明に私は首を傾げた。
「レナリア神官、権利を得るとか一度だけというのはどういうことですか? 女性側の準備が出来ていれば、行為をすることで上手く受精できたら妊娠するわけなのでは…?」
私だって経験があるわけではないので、それなりにかき集めた知識を伝えてみたが、レナリアは首を横に振った。
「アリサ様、こちらの世界では人が子を成すというのは全て女神の祝福によるものなのです。愛の行為によってその権利を得る、そして男女で共にイシスに願うことで生命樹と呼ばれる木に魂が宿るのです。そして生命樹の息吹きを受けて魂は人の形となり、番いとなった夫婦が生命樹から子を貰い受ける、これが生命の誕生です。女性は何度も得ることができますが、男性側にはその機会は一度だけと決められています。ただし、例外はあります。子が先に亡くなった場合と、オールドブラッドについては、制約がありません」
レナリアは淡々と説明してくれたが、言っていることが異次元過ぎて私は口を開けたまま固まっていた。
「アリサが驚くのも無理はありません。かつて聖女様達が残した書がありますが、異世界では女性が自らのお腹で子を育てて産むと書かれています。この世界では人間以外の多くの動物はその方法で産まれていますので知識はあります。ちなみに、召喚された時点で体の仕組みも変わるようですので、聖女様や転移者様もこちらの世界の仕組みに沿って生命を繋ぐことになるようです」
「あ…あの、つまり、赤ちゃんが木から生まれて夫婦でそれを貰うことが授かること? ですか? そして一般的な男性は自分の子を一人しかもてない……」
「ええ、概ねそういうことです。その代わり自分で決めた段階でイシスの祝福を得られれば確実に授かることができます」
なるほどと口にしたものの、まったく理解できていなくて、それが良いものか悪いものなのかもよく分からない。私は自分の頭が大丈夫なのか心配になってきてしまった。
「ですので、男女の営みについては、夫婦になるための条件としてみんな積極的に行った後、正式に結婚するのが普通です。それと男性の方が多いので男性については結婚せずとも子を持つための制度がある、とだけお伝えしておきます」
「は……はあ……」
もう驚くを通り越して、拍手をしそうな気持ちになった。完全に感覚がおかしくなってしまった。
「あれ? でも…レナリア神官は、お子様が二人います…よね?」
私は口にしてから聞いてはいけなかったことかもしれないと焦りだした。
私の心配をよそにリナリアはニッコリと嬉しそうに微笑んで頬を赤くした。
「あら、だって夫が二人いて、二人とも子を望んだのだからそうなるでしょう」
またまた衝撃の発言に私は震えた。確かにハーレムなんて言葉が出てくるくらいだし、女性の数が少ないとは聞いていた。どのカップルも子が一人だけなら国を支える人口的な問題も関わってくる。
多夫制があっても不思議ではない。
……ないのだが、実際当たり前ですけどという顔で語られると、なかなか心臓にくるものがあった。
スルッと肌を撫でられる感覚がして目をやると、転がって寝ていたベルトランがニャーと鳴きながら私の腕に背中を当てて絡みついてきた。
「あ…レナリア神官、そろそろ……」
「ええ、分かりました。今日はここまでにしましょう。ミル、荷物を持って一緒に来てください」
ミルが手早く本を片付けて、レナリア神官と共に部屋から出て行った。
先程までの和やかで明るい雰囲気から一気に部屋の中が、濃厚な重い空気に変わった。
「アリサ、痛みだしてどのくらいだ?」
「っっ…一時間前……、せっかく教えてくれてるのを中断できなくて……」
「このバカ……自分の体の方が大事だろう」
ベルトランは猫の姿から大人の姿に変わり、私を椅子から持ち上げて寝台へに運んだ。
「……ごめん」
いつも饒舌な男も言葉を発する余裕がないのか、私を寝台に横たえたら、すぐに上に重なって唇を奪ってきた。
「…ぁ……んっ……ん……はっ……ぅぅ……」
ぴちゃぴちゃと音を立てながら唇を舐められた後、ベルトランは静かに私の口内に侵入してくる。
同時に魔力を吸い取られていく感覚に私の体は歓喜に震えた。
以前はもっと、間隔があったがここのところ毎日ベルトランに魔力を吸ってもらっている。自分の体の内部が明らかに変わってきているのを感じるようになった。
ぐるぐるとお腹の奥で渦巻く黒い力、そして胸の辺りで沁みるように流れているのが白い力、相反する力は磁石のように体の中で離れようとするので、頭痛以外に胸の痛みも感じるようになってしまった。
「はぁ…はぁ…ベ…ルトラン」
ベルトランは何でもないという顔をして魔力を吸い終わると私から離れていく。散らせばいいはずなのに、わざわざ吸うのはその方が大量に放出することができるからだそうだ。
しかし、もともと一人が対応するのは厳しいと言われていたのに、毎日吸い続けているベルトランは私には見せないが絶対負担がきていると感じていた。
フラフラと歩いていたベルトランだったが、足に力が入らなくなったように、フラリと揺れてから床に崩れ落ちてしまった。
「ベルトラン!!」
すぐに駆け寄って抱き起こしたが、顔面蒼白でひどい顔色だった。
「やはりこうなりましたね。これでも何度も声をかけたのですが、よほどアリサを私に取られるのが癪だったようですね」
「くっ……お前は……っっ」
魔法で移動してきたのか、背中にかけられた声はヨハネスのものだった。
その声に反応したベルトランだったが、か細くて弱い声しか出せなかった。
音もなく近寄ってきたヨハネスは、優雅な身のこなしでベルトランの横にしゃがんだ。
「まさか、その状態で吸血までしようとされていたのですか?いくらなんでも無理です。まったくあなたは変わりないですね。いつも見ている方はひとりだ」
「……ヨハネス。アリサの白魔力は…もうすぐ完全に……」
「ええ、分かっています」
「くっ……、アリサを……傷つけるな……」
「もちろんです」
「……とりあえず、一回だけは許す……二回目は必ず俺が……」
「…………早く寝なさい」
ヨハネスが人差し指でベルトランの鼻を押すと、まるでスイッチが入ったみたいにベルトランの体は猫になってしまった。
しかしいつもの様子ではなく、ぐったりとして力が抜けて目を閉じていた。
「べ…ベルトラン…! 大丈夫? ヨハネス様、ベルトランは!?」
まるで死んでしまったかのようにぐったりとしたベルトランを抱えながら、私は半泣きでヨハネスにすがりついたが、大丈夫だと言われて背中をぽんぽんと軽く叩かれてしまった。
「寝ているだけです」
「ね…ねて…、それはそうですけど、すごく力が入っていなくて、呼吸も……」
「ディープスリープと呼ばれる魔導士が自分の体に負荷がかかり過ぎた時に、身を守るために深い睡眠状態に入るものです。その間は何も摂取することなく、長期にわたって眠り続けます。意地でも自分であなたを助けたかったのでしょうね」
「どのくらいで起きるのですか?」
「長い時だと何年も眠りますが、この程度なら半年以内……いや、この男のことですから二、三ヶ月以内には起きるでしょう」
そう言われても本当に起きてくれるか分からない。試しにベルトランの名前を呼んでみたがやはり反応はなかった。
ベルトランは猫の姿のまま、神殿に作られた魔法の部屋に移されて、そこに用意されたベッドで眠らせることになった。
その部屋はベルトランに悪意のある者は入れないように魔法がかけられたので、とりあえずは安心して寝かせることができた。
エドワードとランスロット、そして守護者になってくれたベルトランまで、私の側から離れてしまった。
この世界に召喚された時はひとりだった。元に戻っただけのはずなのに、どうしてこんなに胸が痛んで悲しくなるのだろうと思った。
俯いていたら、目の前にヨハネスが手を差し伸べてきた。白くて長い指が誘うように動いてつい見入ってしまった。
「では行きましょう」
「え? 行くって…どこに……」
「ベルトランとは少しばかり縁があるのです。ヨハネス頼むと託されましたので、ぜひ私にお任せください。あっ…でも、アリサのことは一目見た時から気に入っていたので、私には名誉なことだと思っています。なので細かいことはお気になさらずに」
何を言っているのかとポカンとしたが、ヨハネスはお構いなしに、にこにこと機嫌良さそうに笑いながら私の髪に触れて口付けてきた。
「今日からアリサには私の部屋で暮らしていただきます」
「ええ!? そ…それはまずいんじゃ…」
「大丈夫です。それなりに広いですし、ベッド大きいものを特注しました!」
ニカっと得意げに親指を立ててヨハネスは笑っているが、そういう意味ではない。テンションが違い過ぎて何と言って伝えたらいいか分からなかった。
「そういえば、ヨハネス様。女神のイシスの声を聞いてくださる件は……」
バタついていて、すっかり抜けていたが、ヨハネスに女神イシスに私のことを聞いてもらいたいとお願いしていたのだ。
ヨハネスは特別に聞いてくれると約束してくれていた。
「ああ、なぜ召喚で選ばれてこちらの世界に来ることになってしまったのか、ということですよね」
私はそうですと力強く頷いた。
ヨハネスは右上をチラリと見た後、確かと思い出しながら話してくれた。
「……可哀想だったから、願いを叶えてあげたそうです」
「…可哀想……願い…ですか?」
いまさらかもしれないが、自分がなぜという疑問だけは解消しておきたかった。
もちろんアドバイス的なものがもらえたら一番いいが、間違えたとか、たまたまとかそういう曖昧な理由であっても、それならそれで覚悟を持って生きていけると思っていた。だが、予想外の答えだった。
どうも想像と違う答えに、深い森の中に置き去りにされたような気持ちになった。
□□□
「………こら、ミル。あなたの授業じゃないのよ」
「えー、でも気になっちゃってー」
元気よく手を挙げたのに、怒られてぷくっと頬を膨らませたミルが可愛くて、私はクスクスと笑ってしまった。
「私もミルの質問が気になるので聞きたいです」
私がミルの味方に付くと、神官のレナリアは困ったように眉を下げた。
ミルが途中で何度も質問するので、全然授業が進まなくて困っているのだろう。
レナリアは分厚い辞書を机に置いた後、小さくため息をついて、答えるのはあと一回きりですとミルに向かって言った。
「はぁい! それじゃ、男女の営みについて詳しく教えてください!」
にこにこと満面の笑みでミルが質問すると、レナリアは頭を押さえて声にならない声を上げた。
神殿での一般常識についての授業がスタートした。
担当してくれるのは、レナリアという神官で、薄紫の長い髪をした色白の美しい女性だった。神殿にいる子供達の教育をしているらしく、世話係のミルとも仲が良かった。
女神イシスを中心とした世界の成り立ちや、国の歴史を学んだ後、帝国の貴族の暮らしや、一般庶民の暮らしについて、レナリアは根気よく丁寧に教えてくれた。
途中でなぜかミルも授業に参加し始めて、いつの間にか生徒が二人になってしまった。
私としてはその方が楽しいし気が楽だから嬉しかった。
ベルトランは私が授業を受けている間はいつも猫になって日向で転がって寝ている。
今日の授業のテーマは生命のあり方というもので、男女の営みについて、レナリアがサラッと流したところ、ミルは逃さないというように突っ込んで質問を投げかけた。
自身も二人の子持ちだというレナリアは、私の手前ごまかすのはよくないと思ったのだろう。しばらく考えるように下を向いていたが、仕方ないと腹をくくったようにバッと勢いよく顔を上げた。
「男女の営みとはつまり、セックスのことです! 愛撫をして男性器を勃起状態にした後、女性器に挿入して摩擦によって射精を促し、男性が膣内に射精をする! ここまで分かりますか!?」
「はっ…はい」
「はい……」
ミルは揶揄うつもりでレナリアを質問責めにしていたが、予想を超えるリアルな回答に驚いていた。私もレナリアついにキレたなと思いながらミルと同じタイミングで返事をした。
「膣内に吐精をすることにより子を得る権利を得ますが、一度だけなので子をいつ得るかはよく話し合って決めることです」
「ん?」
ミルはうんうんと頷いていたが、私の世界の知識だと違和感のある説明に私は首を傾げた。
「レナリア神官、権利を得るとか一度だけというのはどういうことですか? 女性側の準備が出来ていれば、行為をすることで上手く受精できたら妊娠するわけなのでは…?」
私だって経験があるわけではないので、それなりにかき集めた知識を伝えてみたが、レナリアは首を横に振った。
「アリサ様、こちらの世界では人が子を成すというのは全て女神の祝福によるものなのです。愛の行為によってその権利を得る、そして男女で共にイシスに願うことで生命樹と呼ばれる木に魂が宿るのです。そして生命樹の息吹きを受けて魂は人の形となり、番いとなった夫婦が生命樹から子を貰い受ける、これが生命の誕生です。女性は何度も得ることができますが、男性側にはその機会は一度だけと決められています。ただし、例外はあります。子が先に亡くなった場合と、オールドブラッドについては、制約がありません」
レナリアは淡々と説明してくれたが、言っていることが異次元過ぎて私は口を開けたまま固まっていた。
「アリサが驚くのも無理はありません。かつて聖女様達が残した書がありますが、異世界では女性が自らのお腹で子を育てて産むと書かれています。この世界では人間以外の多くの動物はその方法で産まれていますので知識はあります。ちなみに、召喚された時点で体の仕組みも変わるようですので、聖女様や転移者様もこちらの世界の仕組みに沿って生命を繋ぐことになるようです」
「あ…あの、つまり、赤ちゃんが木から生まれて夫婦でそれを貰うことが授かること? ですか? そして一般的な男性は自分の子を一人しかもてない……」
「ええ、概ねそういうことです。その代わり自分で決めた段階でイシスの祝福を得られれば確実に授かることができます」
なるほどと口にしたものの、まったく理解できていなくて、それが良いものか悪いものなのかもよく分からない。私は自分の頭が大丈夫なのか心配になってきてしまった。
「ですので、男女の営みについては、夫婦になるための条件としてみんな積極的に行った後、正式に結婚するのが普通です。それと男性の方が多いので男性については結婚せずとも子を持つための制度がある、とだけお伝えしておきます」
「は……はあ……」
もう驚くを通り越して、拍手をしそうな気持ちになった。完全に感覚がおかしくなってしまった。
「あれ? でも…レナリア神官は、お子様が二人います…よね?」
私は口にしてから聞いてはいけなかったことかもしれないと焦りだした。
私の心配をよそにリナリアはニッコリと嬉しそうに微笑んで頬を赤くした。
「あら、だって夫が二人いて、二人とも子を望んだのだからそうなるでしょう」
またまた衝撃の発言に私は震えた。確かにハーレムなんて言葉が出てくるくらいだし、女性の数が少ないとは聞いていた。どのカップルも子が一人だけなら国を支える人口的な問題も関わってくる。
多夫制があっても不思議ではない。
……ないのだが、実際当たり前ですけどという顔で語られると、なかなか心臓にくるものがあった。
スルッと肌を撫でられる感覚がして目をやると、転がって寝ていたベルトランがニャーと鳴きながら私の腕に背中を当てて絡みついてきた。
「あ…レナリア神官、そろそろ……」
「ええ、分かりました。今日はここまでにしましょう。ミル、荷物を持って一緒に来てください」
ミルが手早く本を片付けて、レナリア神官と共に部屋から出て行った。
先程までの和やかで明るい雰囲気から一気に部屋の中が、濃厚な重い空気に変わった。
「アリサ、痛みだしてどのくらいだ?」
「っっ…一時間前……、せっかく教えてくれてるのを中断できなくて……」
「このバカ……自分の体の方が大事だろう」
ベルトランは猫の姿から大人の姿に変わり、私を椅子から持ち上げて寝台へに運んだ。
「……ごめん」
いつも饒舌な男も言葉を発する余裕がないのか、私を寝台に横たえたら、すぐに上に重なって唇を奪ってきた。
「…ぁ……んっ……ん……はっ……ぅぅ……」
ぴちゃぴちゃと音を立てながら唇を舐められた後、ベルトランは静かに私の口内に侵入してくる。
同時に魔力を吸い取られていく感覚に私の体は歓喜に震えた。
以前はもっと、間隔があったがここのところ毎日ベルトランに魔力を吸ってもらっている。自分の体の内部が明らかに変わってきているのを感じるようになった。
ぐるぐるとお腹の奥で渦巻く黒い力、そして胸の辺りで沁みるように流れているのが白い力、相反する力は磁石のように体の中で離れようとするので、頭痛以外に胸の痛みも感じるようになってしまった。
「はぁ…はぁ…ベ…ルトラン」
ベルトランは何でもないという顔をして魔力を吸い終わると私から離れていく。散らせばいいはずなのに、わざわざ吸うのはその方が大量に放出することができるからだそうだ。
しかし、もともと一人が対応するのは厳しいと言われていたのに、毎日吸い続けているベルトランは私には見せないが絶対負担がきていると感じていた。
フラフラと歩いていたベルトランだったが、足に力が入らなくなったように、フラリと揺れてから床に崩れ落ちてしまった。
「ベルトラン!!」
すぐに駆け寄って抱き起こしたが、顔面蒼白でひどい顔色だった。
「やはりこうなりましたね。これでも何度も声をかけたのですが、よほどアリサを私に取られるのが癪だったようですね」
「くっ……お前は……っっ」
魔法で移動してきたのか、背中にかけられた声はヨハネスのものだった。
その声に反応したベルトランだったが、か細くて弱い声しか出せなかった。
音もなく近寄ってきたヨハネスは、優雅な身のこなしでベルトランの横にしゃがんだ。
「まさか、その状態で吸血までしようとされていたのですか?いくらなんでも無理です。まったくあなたは変わりないですね。いつも見ている方はひとりだ」
「……ヨハネス。アリサの白魔力は…もうすぐ完全に……」
「ええ、分かっています」
「くっ……、アリサを……傷つけるな……」
「もちろんです」
「……とりあえず、一回だけは許す……二回目は必ず俺が……」
「…………早く寝なさい」
ヨハネスが人差し指でベルトランの鼻を押すと、まるでスイッチが入ったみたいにベルトランの体は猫になってしまった。
しかしいつもの様子ではなく、ぐったりとして力が抜けて目を閉じていた。
「べ…ベルトラン…! 大丈夫? ヨハネス様、ベルトランは!?」
まるで死んでしまったかのようにぐったりとしたベルトランを抱えながら、私は半泣きでヨハネスにすがりついたが、大丈夫だと言われて背中をぽんぽんと軽く叩かれてしまった。
「寝ているだけです」
「ね…ねて…、それはそうですけど、すごく力が入っていなくて、呼吸も……」
「ディープスリープと呼ばれる魔導士が自分の体に負荷がかかり過ぎた時に、身を守るために深い睡眠状態に入るものです。その間は何も摂取することなく、長期にわたって眠り続けます。意地でも自分であなたを助けたかったのでしょうね」
「どのくらいで起きるのですか?」
「長い時だと何年も眠りますが、この程度なら半年以内……いや、この男のことですから二、三ヶ月以内には起きるでしょう」
そう言われても本当に起きてくれるか分からない。試しにベルトランの名前を呼んでみたがやはり反応はなかった。
ベルトランは猫の姿のまま、神殿に作られた魔法の部屋に移されて、そこに用意されたベッドで眠らせることになった。
その部屋はベルトランに悪意のある者は入れないように魔法がかけられたので、とりあえずは安心して寝かせることができた。
エドワードとランスロット、そして守護者になってくれたベルトランまで、私の側から離れてしまった。
この世界に召喚された時はひとりだった。元に戻っただけのはずなのに、どうしてこんなに胸が痛んで悲しくなるのだろうと思った。
俯いていたら、目の前にヨハネスが手を差し伸べてきた。白くて長い指が誘うように動いてつい見入ってしまった。
「では行きましょう」
「え? 行くって…どこに……」
「ベルトランとは少しばかり縁があるのです。ヨハネス頼むと託されましたので、ぜひ私にお任せください。あっ…でも、アリサのことは一目見た時から気に入っていたので、私には名誉なことだと思っています。なので細かいことはお気になさらずに」
何を言っているのかとポカンとしたが、ヨハネスはお構いなしに、にこにこと機嫌良さそうに笑いながら私の髪に触れて口付けてきた。
「今日からアリサには私の部屋で暮らしていただきます」
「ええ!? そ…それはまずいんじゃ…」
「大丈夫です。それなりに広いですし、ベッド大きいものを特注しました!」
ニカっと得意げに親指を立ててヨハネスは笑っているが、そういう意味ではない。テンションが違い過ぎて何と言って伝えたらいいか分からなかった。
「そういえば、ヨハネス様。女神のイシスの声を聞いてくださる件は……」
バタついていて、すっかり抜けていたが、ヨハネスに女神イシスに私のことを聞いてもらいたいとお願いしていたのだ。
ヨハネスは特別に聞いてくれると約束してくれていた。
「ああ、なぜ召喚で選ばれてこちらの世界に来ることになってしまったのか、ということですよね」
私はそうですと力強く頷いた。
ヨハネスは右上をチラリと見た後、確かと思い出しながら話してくれた。
「……可哀想だったから、願いを叶えてあげたそうです」
「…可哀想……願い…ですか?」
いまさらかもしれないが、自分がなぜという疑問だけは解消しておきたかった。
もちろんアドバイス的なものがもらえたら一番いいが、間違えたとか、たまたまとかそういう曖昧な理由であっても、それならそれで覚悟を持って生きていけると思っていた。だが、予想外の答えだった。
どうも想像と違う答えに、深い森の中に置き去りにされたような気持ちになった。
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