英雄になれなかった子

朝顔

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1 二人の英雄様

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 神のいたずらか偶然か。
 英雄様の魂を持って生まれてきた子は二人だった。
 前代未聞の事態に、神殿と皇帝のいる宮殿は大騒ぎになった。
 今か今かと待ち望んでいた国民に向けて、すぐにお触れが出されて、二人の英雄様の誕生は世間に広まった。
 民は英雄様が生まれることを待ち望んでいたので、それが二人であればもっと国が繁栄するのではと考えて、喜んで歓迎した。

 最初に神殿を訪れた子は、子爵家に生まれた貴族の子だった。
 そして後から来たもう一人は、帝都の町外れの貧民街に住む、行商を営む平民の親から生まれた子だった。

 名誉なこととはいえ、貴族の両親は生まれたばかりの子との別れを惜しんだ。
 英雄様はすぐに神殿に引き取られて、自分達の子ではなく国の宝となってしまうからだ。

 一方、平民の子の方は、夫婦の八番目の子であり、もともと食い扶持を減らすことになるので人買いに売る予定だったらしい。
 国から多額の恩賞金を得ることになり、その子の親は喜んで子供を差し出したそうだ。

 生まれも違えば境遇も違う、しかしそんな二人の容姿は、全くと言っていいほど同じだった。

 神話に登場する女神ルナと同じ、白く透き通った肌に輝く銀色の髪、瞳の色は若葉を思わせる淡い緑色で、このどちらも同じであった。
 顔立ちも見分けがつかないくらいで、双子にしか見えなかった。

 一つだけ違いがあり、平民の子は口の横に小さなホクロがあった。
 神殿では、ホクロは前世で犯した罪の数と教えられており、それを見た神官達はなぜ英雄様にと顔を顰めたという。

 こうして神殿で保護されることになった貴族の子はヘルト、平民の子はルキオラと名付けられた。

 始めは二人とも同じように手厚く保護されて、英雄様と呼ばれて大切にされた。

 しかし、成長するにつれて、二人には少しずつ違いが現れた。
 幼い頃からヘルトは、愛くるしい笑顔で、誰からも好かれた。言葉も文字も早くに覚えて、健康的で体力もあり、頭の回転も早かった。
 何をするにもどんどん吸収して、さすが英雄様と呼べる才能を発揮していった。

 一方、ルキオラは体が弱く幼い頃は寝てばかりいて、言葉を話すのがずっと遅かった。
 やっと話し始めても、ろくに舌が回らず、舌足らずな喋りで周囲の失笑を買った。
 本を読むのも時間がかかり、体を動かせば怪我ばかりする。
 教師も呆れるぐらいできない子であった。

 同じ立場の子が二人いれば、比べられるのは当然だ。
 めきめきと輝くように成長していくヘルトの横で、いつまで経っても芽が出ず地面に這いつくばっているルキオラは、間違えた子、偽者だと呼ばれるようになった。

 やがて、英雄の力が発現すると、それは火を見るより明らかになった。
 戦場で何日も戦い続けられるような体力と、戦闘能力、重病人もたちまち回復させてしまう治癒力、その全てをヘルトは使えるようになった。

 一方、ルキオラが発現したのは、わずかな傷を治すくらいの治癒力のみだった。

 十歳を過ぎた頃になると、力の差は歴然となり、ルキオラを支持しようなどという者は誰もいなくなった。
 神官達が尊敬の目で見て崇拝する英雄様は、ヘルト。

 一人ずつ、自分の側から人が離れていき、ひとりになったルキオラは、早く解放されたいと思うようになった。
 自分が英雄様でないことは明らかだ。
 なぜしがみつくように力が消えずに残っているのか、虚しくて寂しい日々に、心は冷たく凍りついてしまいそうだった。








 神殿の廊下を歩きながら、ルキオラはゲホゲホと咳き込んでしまった。
 暖かくなってきたが、まだ朝晩の冷え込みがあって、寒気がするのでどうやら風邪をひいてしまったらしい。

「ルキオラ様、大丈夫ですか?」

「大丈夫。部屋に戻って少し休むから」

 後ろを付いて歩くウルガが声をかけてきたが、ルキオラは大丈夫だと言って歩き続けた。
 こんなところで従者に支えられて歩いたりでもしたら、また仮病か、病弱な英雄様だと笑われてしまう。
 気丈に振る舞ってでも歩かなければ、ここではまともに生活できないのだ。

 ただでさえ支給される服は、薄い布を重ねて纏うもので、体の弱いルキオラには寒さを感じるものだった。
 変えてくれと頼めば、贅沢だわがままだと言われて、結局何一つ頼んだ通りにはならなかった。

 部屋までもう少しだと必死に足を運んでいたら、廊下の反対側から、鏡から抜け出してきたような自分と同じ容姿の者が現れた。
 周りにたくさんの神官を侍らせて、ケラケラと笑いながら楽しそうにお喋りをしていた。

「あれぇ、ルキオラ。これから礼拝? さすがに遅いんじゃない? 僕はもう済ませてきたけど」

「いや、今日は略式だけで済ませた。部屋に戻ろうかと……」

「もしかして、また体調が悪いの? みんなに迷惑かけて、本当に困った子だね」

 ルキオラの様子をじっと見て、眉を顰めたのはもう一人の英雄様であるヘルトだった。
 姿形は同じであるのに、この歳になると二人の違いは明らかになっていた。
 生命力に溢れて、明るく輝いているのがヘルト。
 いつも暗く沈んでいて、石のように固まった表情しかできないのがルキオラ。
 幼い頃は見分けがつかないと言われたが、今では誰が見てもどちらであるかはすぐに分かった。

「君も、大変だね。もし嫌だったら、僕のところに来てもいいんだよ。うちは仕事も楽だし、いつでも歓迎してあげる」

 そう言って妖艶に微笑んだヘルトは、ウルガに話しかけてきた。
 周りの神官達のこめかみが揺れて、明らかに嫉妬している表情になったのが分かった。

 神殿は下働きの女性を除き、基本的に男しかいない環境であるので、同性に恋愛感情を持つことは珍しくない。
 特にヘルトは線が細く、女性と見間違うような神秘的な美しさがある。
 話術にも優れて人の心を手玉に取ることが上手い。ヘルトが一度微笑めば、誰もが心を奪われてしまうと言われていた。

 今までもこうやって、何人もの従者がヘルトに魅了されて、ルキオラの元を去っていった。
 ウルガの様子を見たが、ウルガは頭を下げたまま動かなかった。
 従者は主人といる時、許可がなければ他の人間と会話をしてはいけない。
 ウルガは思っていたより真面目な男のようで、それを忠実に守っていた。

「ふーん、今度のはよく躾ているね」

「もういい? 早く行きたいんだけど」

 手を上げてヒラヒラと振って見せたヘルトは、どうぞと言って笑った。
 その馬鹿にしたような態度をいちいち相手にすることももう疲れた。

 下を向いてさっさと通り過ぎようとしたら、すれ違い様にヘルトがルキオラの耳の近くに顔を寄せてきた。

「偽者」

 顔を上げたルキオラに向かって、ふわりと微笑んだヘルトは背を向けて、何もなかったかのように、また神官達と談笑しながら歩き出した。

 その後ろ姿を見ながら、ルキオラは胸の痛みに手を当てて、大きくため息をついた。

 ヘルトとの仲は昔から変わらない。
 お互い同じ容姿で同じ立場、ルキオラは仲良くしようとしたこともあったが、ヘルトは最初から敵意のこもった目で見てきた。
 顔を合わせれば、バカにされていじわるなことばかり言われてきた。

 それは鏡のように見える相手への反抗心なのか、よく分からないが、ヘルトとまともに話ができたことなどほとんどない。

 おそらく、それはこれからも変わることはないだろう。
 ヘルトの姿が消えてからも、ルキオラは足が固まってしまったように動けなかった。

「お話には聞いていましたが、これほどまでとは……」

 そこで黙っていたウルガが口を開いた。
 ヘルトと顔を合わせると、誰もが頬を染めて浮かれた表情でヘルトの話をするのに、ウルガにその様子はなかった。

「お前は真面目な男なんだな。そういえば、体格も神官見習いにしては、ずいぶんと立派だ」

「へ? 私ですか?」

 突然風向きが自分に変わったので、ウルガは驚いたようだった。

「いや、あの、元々騎士希望だったんです。ただ、訓練で足をやってしまいまして……。その頃、両親も他界して、どうしようかという時に、見習いの話をいただいたんです。ほら、見習いにしては、年がいってますでしょう」

 確かに見習いはまだ十代になったばかりの子が多いが、ウルガはすでに二十歳を超えていた。
 この年で見習いということは、神官になるにはかなり先になってしまうので、出世は望めないだろう。

「前にいた地方の神殿では、年寄り扱いでしたから。英雄様のお世話ができる大役を仰せつかって、どんなに嬉しかったか。誰に何を言われようと、しっかりお務めさせていただきます」

 変わった男もいるものだと、ルキオラは思った。
 長く就いてくれる従者がいるなら、それに越したことはない。
 茶色い髪に茶色い目で男らしい顔立ち、目立った特徴はなかったが、ウルガは優しい目が印象的だった。
 よろしく頼むと言って、ルキオラは部屋に戻ることにした。

「そういえば、先ほど衛兵が話していましたが、警備が増えたので、誰か高貴な方が神殿にお見えになるみたいですよ」

 その言葉に深く沈んでいたルキオラの心は一気に浮上した。
 ただ息を吸っては吐き、針の上を歩くようなこの生活で、ルキオラにとって唯一の心の支えとなるものがあった。

 先ほどまで寒気がして、倒れてしまいそうだったのに、今は心に降っていた雨が晴れて、眩しいくらいの気持ちになっていた。

「いつ、その方がいらっしゃるのか。聞いてきてくれる?」

 今までに見たことのない明るい表情のルキオラに、ウルガは不思議そうな顔をして、はいと言って頷いた。






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