昼は侍女で、夜は姫。

山下真響

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23商談

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 ヒートは返事する代わりに、にっこりとほほ笑んだ。

「ご名答」
「あの、これを私に売ってくださいませんか?」

 ここでヒートはすっと表情を引き締める。先程までの下が軽そうな優男はどこにもいない。

「君だったらこれをいくらで買う?」

 ルーナルーナは、これは商談だと思った。それも人生を賭けた商談。

 キプルの木は、毎年この時期、秋にしか実をつけない。つまり、自力でダンクネス王国に行こうと思えば一年は待たなければならない。もちろん、後宮以外の場所で実をつけたキプルの木を探すこともできる。だが、王都にある神殿本部にあるキプルの木は既に全ての実を落としているのは知っている。さらに他の場所でキプルの木を探すと言っても、後宮の侍女には宛もなく探す程の時間も金もないのが現実だ。

 ルーナルーナは、確かに一度はサニーとの永遠の別離を覚悟した。しかし、あのキスが全ての悲しい決意を消し去ってしまったのだ。ルーナルーナは、サニーは少なからず彼女自身を好いてくれているような気がしていた。

 もし、そうでなかったとしても、せめて後一度だけでも会いたかった。ルーナルーナにとってサニーは非現実的な程の美男子であり、心根も優しく、魔法も巧みなスーパーマンである。一年も経てば、きっとサニーはルーナルーナのことを忘れてしまうばかりか、他の女性が隣にいる可能性が高い。そんなのは見たくなかった。

 自分が嫌われもので、醜いことは承知の上。でも女の子として生まれたからには一生に一度ぐらい、本当の夢を見たい。

 ルーナルーナは、まっすぐにヒートを見つめ返した。

「私の全財産をかけます。と言っても、ヒート様には些細なものかもしれませんが」

 ヒートは目だけで笑ってみせた。

「それだけじゃ足りないね。一つ条件も飲んでもらおう」
「……何でしょうか?」
「サニウェル王子にお目通りしたい。ルナには取り次ぎをお願いしよう」

 お願いと言うわりに、有無を言わせぬ重圧感があった。ルーナルーナは、ヒートをさすが商人だと小さく唸る。きっと計算ずくだったのだ。ルーナルーナの弱みを掴み、最終的にはシャンデル王国だけでなくダンクネス王国の内部にも売り込みをかけるところまで全て。

 ルーナルーナは、少し視線を落として思案した。

 やり方は気に入らないところはあるが、この商談自体は悪いものではない。ルーナルーナは後宮と寮室を往復している限りは衣食住が保障されている。今、全ての財産を失くしても、約一月待てば給料が入るので新たな本も買うこともできるのだ。

 サニーとの取次も、会うことさえできれば可能だろう。一つ気にかかることがあるとすれば、サニーがルーナルーナに王子であることを意図的に伝えていないのであれば、このような形で知ってしまったことに申し訳なさが込み上げてくることだけ。

「その前に念のため、二つ、教えてください。相手が私でなければ、いったこれはいくらで売る商品なのですか? それから、誰でもこのジャムを使えばダンクネス王国に行くことはできるのでしょうか?」
「さすがに一筋縄ではいかなかったか」

 ヒートは苦笑いしながら、向かいのソファに座りなおす。ジャムの小瓶を手に取ると、それを天井からぶら下がるシャンデリアにかざした。

「仕方ない。卑怯な真似をしたのはこちらだからね。質問ぐらいはちゃんと答えようか。キプルの実で二つの世界を行き来するには、素質が必要なんだ。誰でもできるというわけではない。だから、この商品はうちの店でも裏メニューなんだよ」
「素質とは?」
「ここ、シャンデル王国がある世界は、聖書によるとシャニーと呼ばれている。一方、あちら側はダクーと言われていてね、その二つの世界はそれぞれに適した体質の者が住んでいる。でも時々二つの世界の次元が部分的に歪んで、お互いを行き来することができるのさ。どうやら向こう側に行くには、僕やルナのように夜に強い人間でなければならないようだね」

 ルーナルーナは夜な夜な読書したり、魔法の訓練をすることが多い。睡眠をあまり必要としない体質が、こんなところで幸いしていたなんて、本人にとっては大きな驚きだった。

「だからこれは、人によってはただの甘酸っぱいジャム以上の価値にはなりえない」
「それで、いくらなのですか? ダンクネス王国の王族への売り込みが成功すれば、かなりの儲けが出るでしょうね」
「あー、もう分かったよ! 負けた、負けた。今回、その一瓶は無理やりここに連れてきたお詫びとして無料で進呈する。次からは一つでこの料金だ」

 ヒートは、机の上に備えてあったメモ用紙に価格を書きつけると、それと小瓶をルーナルーナに手渡した。

(だいたい本一冊分と変わらない値段だわ。思ってたよりも安い。つまり、ヒートは安定的にキプルの実を収穫しているということかしら)

 ルーナルーナは疑問を投げかけようかと思ったが、それはまた次回にしようと思った。なぜなら、ようやくキプルの実のジャムが手に入ったのだ。一刻も早く、これを使ってサニーのところへ会いに行きたい。

「どうもありがとうございました」
「また買いに来てね」

 それからしばらくした頃、ルーナルーナはこの時ジャムを買いだめしなかったことを後悔するのだが、この時はこれから起こる大きなうねりについては知る由も無かったのである。




 ルーナルーナは、大通りまでヒートに送ってもらうと、そこからは一人で後宮を目指した。鞄の厚手の布地の上から、小瓶の形を指でなぞる。逸る心を落ち着かせながら足早に進むルーナルーナに、本日三度目の災難がふりかかった。

「お嬢さん、なんだか良い匂いがするね」

 色黒、黒髪、黒目のルーナルーナに話しかけてくる人間は少ない。大抵が罵倒したり、一方的な難癖をつけてくるのが常だ。ルーナルーナは無視しながら歩き続けたが、今回はいつもとは毛色の違う相手だった。

「お嬢さん、この子がね、その鞄から良い匂いがするって言うんだ」

 その時、黒い犬が鳴いた。ルーナルーナが立ち止まってそちらの方を見ると、そこには黒いマントを羽織った茶髪の男がいた。その色は黒に近しいということで、黒に次いでこの国では劣等扱いされている。ルーナルーナ達の周囲には、誰も人が通らなくなり、不自然な空白ができあがっていた。

(この人、なんだか気味が悪いわ)

 ルーナルーナが後ずさりしようとすると、男はさらに彼女へ接近する。

「君はこう思わないか? 二つの世界が一つになれば良いのにと」

 ルーナルーナは眩暈を起こしそうだった。今日はどこかおかしい。なぜ、こんなにもダンクネス王国の存在を知る人が多いのだろうか。

「何をおっしゃっているのか……」

 誤魔化して逃げようとしたが、男はそれを許さなかった。

「行け!」

 黒い犬がルーナルーナの鞄目がけて飛びかかる。
 ルーナルーナは走り出した。

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