昼は侍女で、夜は姫。

山下真響

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43術式の習得

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 リングが二度目のダンクネス訪問を果たすまでに、行ったのは、神殿を避難所にすることだった。サニーから得た情報の通り、シャンデル王国においても神殿の敷地内は二つの世界が重なって見えないことが判明。神殿は大巫女の失踪で混乱が起こっていたが、大巫女の付き人をしていた高齢の巫女のプラウを臨時の大巫女に任命することで騒ぎは沈静化した。

 リングは、せめて王都だけでも民衆が神殿に逃げ込んだことを見届けたかったが、彼は多忙である。すぐに準備を整えたジークと共に、ダンクネス王国へトリップした。






 結果的に言って、ジークがダンクネス王国へ渡ったのは大当たりだった。出迎えたサニーは、オービットが前々から集めていた神話の本や、教会から押収した古書をジークに提供し、皆がかりでの解明が始まる。ジークは昔、古代シャニー語を学ぶために個人的な辞書を作っていたので、それを関係者間でシェアすることにより、作業は格段に進み始めた。そして。

「あった!」

 その決定的な記述を見つけたのはリングだった。

「ここに書かれてある魔法の術式で、神具の中央に最低七人以上の魔力を使い、神具の中央へ力を注ぎ込むと分離することができるそうだ」

 すぐに、リングが手にする古びた本の周りに集まってきた。

「でかした! 早く手筈を整えよう!」

 ジークはリングの肩を強く叩いて、その成果を評価する。他の者も喜びの声を上げる。サニーは周囲を見渡した。

「人数的には問題ないな」

 ここにいるのは、サニー、オービット、アレス、メテオ、そしてルーナルーナ、リング、ジーク。ちょうど七名だ。しかし、問題が残っていた。

「この術式、かなり難しいですね……」

 呟いたオービットの声に力は無い。
 幸い、シャンデル王国とダンクネス王国でも基本的な魔法の成り立ちや術式は同じだ。しかし、ここに書かれた魔法を実現させるプログラムに当たる部分、術式が大変複雑だったのだ。

 術式は、しっかりとその仕組みを理解し、一度頭の中で構築してしまえば、そこからは生涯いつでも無詠唱で発動させることができる。ルーナルーナが魔法を本で勉強できていたのもこれ故だ。理解してしまえば、後は使いたい時に頭の中で強くイメージするだけ。

「私にもよく見せてください」

 ルーナルーナはリングの手元の本を覗き込んだ。

「なるほど。聖属性の攻撃魔法に近い考え方をするのですね。でも、ここの方程式の仕組みは初見です」

 ルーナルーナの指が、本の上を滑っていく。ルーナルーナは元々読書は好きだ。そして、速読もできる。幼少時は勉学の機会は持てなかったが、後宮に入ってからはこういったものを読み解くのも得意になっていた。

「そういえば侍女殿は、我が国屈指の魔道士であられたのだったな」
「ルーナルーナは優秀なんだ」
「姫さん、すげぇな」

 ジーク、サニー、メテオがそれぞれに感想を述べる。ルーナルーナは本から顔を上げた。

「皆様、もう少しだけ時間をください。私がきちんと理解できましたら、内容を噛み砕いて皆様にご説明します。その後、全員で神具を二つに分割するのです」
「頼む!」

 サニーはルーナルーナに向かって頭を下げた。その姿を見たオービットは、やはり兄の器の大きさに目を見張るのだった。

(想い人とは言え、相手は侍女だ。それにも関わらずこのように頭を下げられるとは、さすがだな。そして侍女の彼女もかなりの大物だ)

 リングも続けて頭を下げる。もし、ここにいたのがシャンデル王国の第二王子であったならば、このように事は進まなかったにちがいない。きっと無理やり神具を物理的に分離させようとして、世界を滅亡の縁に立たせていただろうと思うと、背筋が寒くなると同時にルーナルーナへの感謝の念が膨らむのだ。






 さすがのルーナルーナも、世界を動かす程の軌跡の力を得る魔法を解析するには、丸一日を要した。さらに、他の者へ術式の原理を説明するのには、さらに三日かかってしまった。それでも、まだ理解しきれず苦しんでいる者がいる。

 一人目はアレスだ。

「俺、魔法は得意なつもりだったんだけどな。一生分の知識をこの数日で詰め込んだ気がする……」

 アレスは目を回しながら、しばらく知識がきちんと定着するまで自習すると言って、自分の屋敷に帰ってしまった。メテオは、どうせレアに癒やしてもらうつもりなのだろうと見ている。

 次にオービット。

「兄上やメテオ殿の頭の出来がおかしすぎるんです。これでも学園では主席だったのに……」

 オービットはサニーと違って王立魔法学院を卒業している。卒業論文も立派なもので、魔道士としても働けると太鼓判を押されていた彼だが、今回のような複雑な応用編の魔法となると、なかなか手強いものらしい。

「この魔法は言うまでもなく危険で希少なものですから、秘匿しておくためにも、側近達と協力して勉強するわけにもいきませんし……すみませんが、もう少しお時間ください」

 オービットも自室へ戻っていった。

 一方、ジークとメテオは魔法談義で盛り上がっている。リングはそれを傍目に見ながら、ダンクネス王国で見知ったことを報告書として書き上げるのに忙しくしていた。

 では、サニーはどうしているかというと、もちろん術式を完全に覚え込み、それには一日もかからなかった。今は、両膝の間にルーナルーナを座らせて、ゆったりと紅茶を楽しんでいる。

 サニーは笑顔を浮かべてはいるが、頭の中では今後の立ち回り方について考えあぐねていた。無事に世界が二つに分かれて、元通りになったとしよう。その後は事後処理が待っている。ダンクネス王国第一王子のサニーとしては、いかにシャンデル王国よりも優位に立ち、どれだけ自国の利益を生み出せるかが鍵となる。

 しかし、単なる国家間交渉で終わらせるつもりはなかった。サニーにとってこれは、ルーナルーナとの絆を本格的なものにする最大のチャンスなのだ。どうすれば、合法的にルーナルーナを自分の元へ留め置けるかばかりを考えてしまう。そういう意味では、サニーにとって人生の正念場でもあるのだった。

 では、なぜこうも浮かない気持ちになるのか。サニーは、ルーナルーナの長い黒髪を指で梳いた。シルクのような触り心地の髪がさらさらと指の間を流れていく。

「サニー、これ以上は恥ずかしいわ」

 ルーナルーナの顔は赤い。何しろここはサニーの執務室で、ジークやリングなどといった身内もいるのだ。サニーは笑みを深めて、ルーナルーナの首元に自らの頭を埋めた。

(ルーナルーナからは、まだ王妃になってくれるかどうかの返事をもらっていない。俺が王子でなければ、全てを投げうってシャンデル王国へ行き、ルーナルーナの全てを自分のものにするのに……)

 ルーナルーナとは、世界は違えどルーナルーナの寮室とサニーの部屋がたまたま同じ場所にあったからこそ、出会えた。つまり、王子でなければ、いくらキプルの実をたくさん食べていたとしても存在を知ることすらできなったのだ。

 さらに、サニーはこれまで第一王子という立場をどうにか守るためだけに生きてきた。それを今更投げ打つのは、自分の過去を全て否定し、捨てるのも同じ。とてもサニーには踏み切れないことだ。

(ルーナルーナ、王子である俺を、君を愛してしまった俺を許してほしい。やっぱり、どんな手を使っても君が欲しいんだ)

 サニーはふと顔を上げると、ルーナルーナのキラキラ光る黒い瞳を覗き見た。

「ルーナルーナ、一緒に行きたいところがあるんだ。一緒に来てもらえないかな?」

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