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49ミルキーナ
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それから数日後。ミルキーナは、ルーナルーナを前に無言で佇んでいた。呼び出したのはミルキーナ。だが、筆舌に尽くし難い想いが渦巻いていて、なかなか言葉にならないのだ。
ようやく出した声は、酷くか細いものだった。
「ルナ、こちらへおいで」
ルーナルーナはただの侍女である。だが、あの日からは、ミルキーナにとって特別な存在になってしまった。
ミルキーナは『白亜の女神』と呼ばれ、崇め奉られる存在である。シャンデル国王にとって唯一の妻であり、三人の子どもの母であり、民衆に人気を博す人気者である。また、時に女目線で政治にも口を出す切れ者でもあり、同性からも常に羨望の眼差しで見られている美の象徴でもあった。
しかし、それ以前に一人の女であり、人間なのである。
当時、ミルキーナは疲れ切っていた。そして強い孤独感に苛まれていた。これだけたくさんの信奉者がいて、国王という夫がいて、頼もしい息子達と可愛らしい娘がいる。なのにこのように感じてしまう自分は何と我儘なのだろうか。そう思い悩んでいた時、王宮内で一人の侍女が同僚の侍女に虐められているのを見かけた。
「なんて黒いの!」
「たまにはお風呂に入りなさいよ、汚らわしい!」
「あんたみたいな黒い娘は、ここではお呼びじゃないのよ!」
そして床にうずくまる一人の侍女に、バケツで汚水を浴びせかけたのである。ミルキーナはさすがに見ていられなくなって、気づけば現場に急行していた。
「貴方達、何をしているの?!」
「これはミルキーナ様。お見苦しいものを失礼いたしました。この汚い侍女は二度とお目に触れることがないよう、厳しく躾けておきますので……」
先輩格と思しき年上の侍女が恭しく宣う。そう、その侍女達は、自分達が真っ当なことをしていると信じ切っているのだ。同じ侍女であり、女であるにも関わらず、持ち色が黒というだけで排除しても良いと思い込んでいた。その態度には、一寸たりも悪びれたところがない。
「えぇ、私の前で年下の侍女を虐めるなんて真似、もう二度と見せないでちょうだい。貴方達は解雇します!」
ミルキーナがブチ切れた瞬間だった。すぐに暇を言い渡された侍女達は言い訳を言い募ったが、ミルキーナは全く聞く耳を持たなかった。
(見た目だけが全てじゃないのに。どうしてこの世は、こうもまはままならないのかしら)
ミルキーナは、持ち色が白く、多少世渡りが上手いというだけで人々からもてはやされていると自覚している。そして王妃になってからは、誰一人として彼女を個人として見ることがなくなってしまった。常に何らかの役割、つまり王妃や妻などといったフィルターを通してしか見ようとしない。それ故か、常に他人との距離が遠いのだ。周囲の人間達はミルキーナの稀有な容貌に畏れを抱いているだけなのだが、それは彼女の心を癒すことは一切無い。
ミルキーナは、すぐに自室へ黒い侍女を連れ帰った。そして介抱した末に、その侍女と真正面から対面したのである。
「助けてくださいまして、ありがとうございました」
深々と下げられた頭が、再び上げられた時の侍女の顔。ミルキーナは、目が釘付けになってしまった。
それは、媚びへつらうわけでもなく、羨望も嫉妬も無く、ただ真っすぐにミルキーナ自身を見据えたものだったのだ。
(この子は、ちゃんと私個人を見てくれている。信頼できる)
ミルキーナは即座に判断を下した。いつか必ず、この侍女を手元に置くと。しかし、急に自分のところへ配置換えしては、また周りの妬みを買い、侍女を苦しめることになるだろう。そこで、計画的に後宮内で異動させ、自分のところへ呼び寄せられるように準備することにしたのだった。
その侍女、ルーナルーナはミルキーナの期待通りの人材だった。
他の侍女は全く気に留めないような細かなところにまで心配りをする上、掃除、書類仕事、果ては夜会向けのドレス選びに至るまで、その仕事の腕はかなりのものだったのだ。そして、ミルキーナと頻繁に関わるようになってからも、ルーナルーナの態度は一貫して変わらず、ミルキーナの信頼を一手に勝ち取ることとなるのである。
さらに、ある時からは魔法も学び始め、それが仕事でも活かされていく。毎朝の掃除は、ルーナルーナの仕事だ。以前は複数の侍女が当番制で担当し、何時間もかけて行っていたことが、魔法を使えばあっという間に終わってしまう。これは、ミルキーナの好む爽やかな香りで部屋を満たして仕上げるという徹底ぶり。
ミルキーナは、ルーナルーナが愛しくてたまらなくなっていった。
そんなルーナルーナが、この度姫として王家に召し上げられるという。ようやく大っぴらに彼女と親交を結び、手を取り合える時がやってきたのだ。ミルキーナの喜びは爆発していた。
しかし、これはダンクネス王国へ輿入れするためのものである。つまり、ミルキーナの元からルーナルーナが去ってしまうということだ。
ミルキーナは、息子の誕生祝いの夜会の席で見た、ルーナルーナとそのパートナーのことを思い出していた。あれだけ仲睦まじい姿を知っているのに、引き止めることなど到底できない。けれど、ずっとミルキーナの心の支えであり続けたルーナルーナを失う寂しさはそう簡単には誤魔化せないものなのだ。
ミルキーナは、近寄ってきたルーナルーナをしっかりと抱きしめた。
(こんな華奢な体であれだけのことを背負ってきたなんて……そして、ほとんど見知らぬ他国へ行ってしまうのね)
ミルキーナの瞳が潤んで、そこから宝石のような涙のキラメキが散った。
「ルナ。あなたがシャンデル王家の養女となり、ダンクネス王国へ遣ることが正式に決まりました」
ミルキーナは、なるべく淡々とした調子でルーナルーナに言って聞かせる。そうでもしないと、声が震えてしまい、秘めたる想いが決壊して止まらなくなってしまいそうなのだ。
「ミルキーナ様がお力添えくださったのですね。ありがとう存じます」
ルーナルーナが頭を下げて、ミルキーナに最高礼をとる。
「でも、ルナ。たまにはこちらへ帰ってらっしゃい。あなたは私の母になるのですし、良き友であり、かけがえのない私の理解者なのですから」
「はい! ただ……」
ルーナルーナは満面の笑みで返事したものの、帰ってくるにはアレが必要となるのだ。
「キプルジャムは、計画的に生産することが決まったのよ」
ミルキーナは得意げに話し始めた。
今後シャンデル王国とダンクネス王国の両国は、平和的に交流を深め、互いがもっている文化だけでなく技術面でも情報交換し、互いに栄えることができるよう協力することになったのだ。となると、定期的に行き来できる環境が必要となる。
そこで、無事に職務に復帰した宰相レイナスは、これまで折り合いが良くなかった南方に領地をもつ貴族と手を結び、キプルの木を植樹して計画的にジャムを生産できるように準備し始めていると言う。キプルの木の生育は、本来温暖な土地のほうが向いているというとが判明したのだ。
「もちろんエアロスのように、ジャムを食べても体質上ダンクネス王国へ行けない者もいるようだけれど、これで少しでも私とあなたの距離は短くなるはずよ!」
ルーナルーナはミルキーナの行動力に目を見張るばかりだった。
「だから、本当に偶にでいいの。また、私と一緒に過ごしてくれないかしら?」
「大変嬉しいお話ですが、元々庶民であり、侍女であった私には少々恐れ多く……」
「それならば、姫としてではなく侍女として遊びにいらっしゃい。私、あなたがいなくなってから毎朝目覚めが悪いのよ」
「もう、ミルキーナ様ったら!」
こうして、ミルキーナとの話は和やかに終わった。
だが、体調が回復したルーナルーナには、他にも会わねばならない人物がいる。ルーナルーナは、コメットを連れて王城の内部へと足を向けた。
ようやく出した声は、酷くか細いものだった。
「ルナ、こちらへおいで」
ルーナルーナはただの侍女である。だが、あの日からは、ミルキーナにとって特別な存在になってしまった。
ミルキーナは『白亜の女神』と呼ばれ、崇め奉られる存在である。シャンデル国王にとって唯一の妻であり、三人の子どもの母であり、民衆に人気を博す人気者である。また、時に女目線で政治にも口を出す切れ者でもあり、同性からも常に羨望の眼差しで見られている美の象徴でもあった。
しかし、それ以前に一人の女であり、人間なのである。
当時、ミルキーナは疲れ切っていた。そして強い孤独感に苛まれていた。これだけたくさんの信奉者がいて、国王という夫がいて、頼もしい息子達と可愛らしい娘がいる。なのにこのように感じてしまう自分は何と我儘なのだろうか。そう思い悩んでいた時、王宮内で一人の侍女が同僚の侍女に虐められているのを見かけた。
「なんて黒いの!」
「たまにはお風呂に入りなさいよ、汚らわしい!」
「あんたみたいな黒い娘は、ここではお呼びじゃないのよ!」
そして床にうずくまる一人の侍女に、バケツで汚水を浴びせかけたのである。ミルキーナはさすがに見ていられなくなって、気づけば現場に急行していた。
「貴方達、何をしているの?!」
「これはミルキーナ様。お見苦しいものを失礼いたしました。この汚い侍女は二度とお目に触れることがないよう、厳しく躾けておきますので……」
先輩格と思しき年上の侍女が恭しく宣う。そう、その侍女達は、自分達が真っ当なことをしていると信じ切っているのだ。同じ侍女であり、女であるにも関わらず、持ち色が黒というだけで排除しても良いと思い込んでいた。その態度には、一寸たりも悪びれたところがない。
「えぇ、私の前で年下の侍女を虐めるなんて真似、もう二度と見せないでちょうだい。貴方達は解雇します!」
ミルキーナがブチ切れた瞬間だった。すぐに暇を言い渡された侍女達は言い訳を言い募ったが、ミルキーナは全く聞く耳を持たなかった。
(見た目だけが全てじゃないのに。どうしてこの世は、こうもまはままならないのかしら)
ミルキーナは、持ち色が白く、多少世渡りが上手いというだけで人々からもてはやされていると自覚している。そして王妃になってからは、誰一人として彼女を個人として見ることがなくなってしまった。常に何らかの役割、つまり王妃や妻などといったフィルターを通してしか見ようとしない。それ故か、常に他人との距離が遠いのだ。周囲の人間達はミルキーナの稀有な容貌に畏れを抱いているだけなのだが、それは彼女の心を癒すことは一切無い。
ミルキーナは、すぐに自室へ黒い侍女を連れ帰った。そして介抱した末に、その侍女と真正面から対面したのである。
「助けてくださいまして、ありがとうございました」
深々と下げられた頭が、再び上げられた時の侍女の顔。ミルキーナは、目が釘付けになってしまった。
それは、媚びへつらうわけでもなく、羨望も嫉妬も無く、ただ真っすぐにミルキーナ自身を見据えたものだったのだ。
(この子は、ちゃんと私個人を見てくれている。信頼できる)
ミルキーナは即座に判断を下した。いつか必ず、この侍女を手元に置くと。しかし、急に自分のところへ配置換えしては、また周りの妬みを買い、侍女を苦しめることになるだろう。そこで、計画的に後宮内で異動させ、自分のところへ呼び寄せられるように準備することにしたのだった。
その侍女、ルーナルーナはミルキーナの期待通りの人材だった。
他の侍女は全く気に留めないような細かなところにまで心配りをする上、掃除、書類仕事、果ては夜会向けのドレス選びに至るまで、その仕事の腕はかなりのものだったのだ。そして、ミルキーナと頻繁に関わるようになってからも、ルーナルーナの態度は一貫して変わらず、ミルキーナの信頼を一手に勝ち取ることとなるのである。
さらに、ある時からは魔法も学び始め、それが仕事でも活かされていく。毎朝の掃除は、ルーナルーナの仕事だ。以前は複数の侍女が当番制で担当し、何時間もかけて行っていたことが、魔法を使えばあっという間に終わってしまう。これは、ミルキーナの好む爽やかな香りで部屋を満たして仕上げるという徹底ぶり。
ミルキーナは、ルーナルーナが愛しくてたまらなくなっていった。
そんなルーナルーナが、この度姫として王家に召し上げられるという。ようやく大っぴらに彼女と親交を結び、手を取り合える時がやってきたのだ。ミルキーナの喜びは爆発していた。
しかし、これはダンクネス王国へ輿入れするためのものである。つまり、ミルキーナの元からルーナルーナが去ってしまうということだ。
ミルキーナは、息子の誕生祝いの夜会の席で見た、ルーナルーナとそのパートナーのことを思い出していた。あれだけ仲睦まじい姿を知っているのに、引き止めることなど到底できない。けれど、ずっとミルキーナの心の支えであり続けたルーナルーナを失う寂しさはそう簡単には誤魔化せないものなのだ。
ミルキーナは、近寄ってきたルーナルーナをしっかりと抱きしめた。
(こんな華奢な体であれだけのことを背負ってきたなんて……そして、ほとんど見知らぬ他国へ行ってしまうのね)
ミルキーナの瞳が潤んで、そこから宝石のような涙のキラメキが散った。
「ルナ。あなたがシャンデル王家の養女となり、ダンクネス王国へ遣ることが正式に決まりました」
ミルキーナは、なるべく淡々とした調子でルーナルーナに言って聞かせる。そうでもしないと、声が震えてしまい、秘めたる想いが決壊して止まらなくなってしまいそうなのだ。
「ミルキーナ様がお力添えくださったのですね。ありがとう存じます」
ルーナルーナが頭を下げて、ミルキーナに最高礼をとる。
「でも、ルナ。たまにはこちらへ帰ってらっしゃい。あなたは私の母になるのですし、良き友であり、かけがえのない私の理解者なのですから」
「はい! ただ……」
ルーナルーナは満面の笑みで返事したものの、帰ってくるにはアレが必要となるのだ。
「キプルジャムは、計画的に生産することが決まったのよ」
ミルキーナは得意げに話し始めた。
今後シャンデル王国とダンクネス王国の両国は、平和的に交流を深め、互いがもっている文化だけでなく技術面でも情報交換し、互いに栄えることができるよう協力することになったのだ。となると、定期的に行き来できる環境が必要となる。
そこで、無事に職務に復帰した宰相レイナスは、これまで折り合いが良くなかった南方に領地をもつ貴族と手を結び、キプルの木を植樹して計画的にジャムを生産できるように準備し始めていると言う。キプルの木の生育は、本来温暖な土地のほうが向いているというとが判明したのだ。
「もちろんエアロスのように、ジャムを食べても体質上ダンクネス王国へ行けない者もいるようだけれど、これで少しでも私とあなたの距離は短くなるはずよ!」
ルーナルーナはミルキーナの行動力に目を見張るばかりだった。
「だから、本当に偶にでいいの。また、私と一緒に過ごしてくれないかしら?」
「大変嬉しいお話ですが、元々庶民であり、侍女であった私には少々恐れ多く……」
「それならば、姫としてではなく侍女として遊びにいらっしゃい。私、あなたがいなくなってから毎朝目覚めが悪いのよ」
「もう、ミルキーナ様ったら!」
こうして、ミルキーナとの話は和やかに終わった。
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