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3・長崎駅

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 駅までの路面電車は百円玉一枚。右へ左へ揺れながら、それはのんびりと進む。車内には学生が目立ち、他愛もない話声があちこちで花開いていた。


 日本一騒々しい交差点と言われる駅前で電車を降りると、高架広場への階段を上がり、雨上がりの薄曇りの空から風を受けて胸いっぱいに息を吸った。広場では観光客と思しき荷物を抱えた人々や地元の学生やビジネスマンが交差している。そんな中、僕は胸を高鳴らせて公衆電話へ向かう。手にはノートの切れ端。十円玉が三枚。

 旧いダイヤル式の電話ボックスへ入ると、ギターケースがジャマしてドアが上手く閉まらなかった。それをなんとか中へ引き入れて受話器を手に取った。

 十円硬貨を入れる。手にしたメモのまま、番号を回してゆく。のんびりと戻るダイヤルに焦らされながら、自分の記憶力に賭けた。

 左耳に受話器を当てると呼び出し音がコールされた。胸の鼓動と一緒に、左頬も痛んだ。コールが五回目に途切れる。息を飲んだ。


『もしもし、瀬良ですー』


 トーンは同じだったけれど、聴き慣れたあの声とは違う。母親だったか。昨夜のこともあったので、僕は第二計画のセリフを口にする。

「あの、初めまして。鍋内と申します。昨夜は僕のせいで娘さんにご迷惑をおかけしました。お詫びを伝えたいので、新名さんに――」

 そこまで言って、彼女が必ずしも学校から帰っているとは限らないことに思い至った。午後二時半。放課後に友達と楽しく過ごしているかもしれない。

『ああ、ヒロキ? ちゃんと覚えてたね。今どこ?』

 心配は杞憂に終わり、相手は彼女本人だった。人の声は電話で変わる。

「今は――駅前です」

『ギター持ってる?』

「はあ、なぜか」

『じゃあ今から行く。待ってて』

 それだけで電話は切れ、受話器を置くと硬貨が二枚戻ってきた。


 今から行く、と言った彼女がどの方角から現れるのか分からない僕は、桜町方面と出島方面からクロスする交差点を必死になって見下ろしていた。

 なのにニーナは、

「ヒロキ!」

 背後から現れた。バス停からわざわざ高架の下を潜り抜けての登場だった。

「だって、その方がびっくりすると思って」

 びっくりは、どちらかといえば服装の方だった。制服姿の彼女を見るのは不思議な感じだ。よく見かける女子高の制服で意外と学校同士も近く、そのことも軽い驚きだった。

 女子高の制服を着たブロンドの少女はそれだけで目立っている気がする。僕はそんな彼女と対面していることに照れ臭さを感じていた。

「ヒロキ、ほっぺ青いよ」

 眉をひそめるニーナに、そういう家なのだと説明した。すると、

「ひどい。そんなの許せないよ。口で言えば分かることなのに」

「口で言っても僕が分からないから――仕方ないんです。それより昨日は巻き込んですみませんでした」

 彼女は口を尖らせたまま、

「いいわよ。その口調を直したら私の機嫌も直るから」

「そう――ですか。九州の人間って、標準語に構えるとこあって」

「いいの、いいの。そのまんまのヒロキだったら。ねえ、今日は弾かないの? 暖かくて気持ちいいよ」

 僕はケースを担ぎ直して答える。

「なんとなく持ってきただけだから」

「じゃあ、なんとなく弾けばいいね。あそこ行こう。ベンチ空いてる」

 彼女は僕の手を引く。それはそれは平気な顔で。



 植え込みの並ぶ一角、背中に駅舎と稲佐山。目の前には自由に広がる雑踏。午後の日射しはうららかで、僕にはどこか疎外感を感じさせる光景だった。

 ニーナはベンチへ僕を座らせると、

「ね、弾いて。ここで聴いてるから」

 細い両脚を揃えて目の前に立った。

「僕――やっぱり昼間は苦手だから」

「苦手は克服するためにあるんだよ。ギター出して。弾いてみて。ああ、あれよかったよ。尾崎豊の――『I LOVE YOU』。他にもあった。あの初めて聴いた曲。アルバム一曲目の、『街の風景』。やってみてよ」

 逃げられないシチュエーションに、ギターケースを開けた。ギターを取り出すと、途端に人の目が気になり始めた。ニーナは澄ました笑顔で突っ立っている。日本の制服を着た金髪の少女が。

「一曲だけでいいよね」

「そんなのもったいない。今日は無粋なジャマも入らない時間なんだから、十曲は弾かなきゃ」

 それでも一曲と決めて、チューニングしたギターを弾き下ろす。彼女がよけいな拍手を入れる。
 演奏曲は、彼女が好きだと言ってくれた『I LOVE YOU』にしてみた。歌詞を口に乗せればこの上なく照れ臭い歌だったけれども、そこはインストゥルメンタルの強みでなんとか弾き終えた。

「弾いたよ。じゃあ――」

 僕がしまおうとしたケースをニーナが先に手に取る。

「ギターバッグ、借りるね。これはさあ、こうして、ここにこうして――」

 彼女は何を思ったか、僕と自分との間にケースを置くと、その真ん中に百円玉を乗せた。


「じゃあ次。『SOMEDAY』ね」

 笑顔が眩しい。眩しさに負けて仕方なくリクエストを受けた。

 練習不足の『SOMEDAY』にかかりきりで、僕はギターから目を離せない。なのに、ニーナの雰囲気がそうさせるのか、佇む彼女の両隣に立つ人の足が見えた。やりにくいことこの上なかった。


 大きな吐息と共に演奏が終わって顔を上げると、白髪で大きなメガネをかけた外国人のオバさんが五十円玉をケースに乗せていった。ニーナは笑顔で「センキュー」と手を振っていた。

「ほら。この調子で次もやって。うーん、あとは何がよかったかなあ」

 そんなふうで本当に十曲を演奏させられると、最終的には彼女を合わせて六人の人垣ができた。僕に言えるのは緊張気味の「ありがとうございます」だけで、曲が終わるたびに頭を下げていた。



 日が傾いて空気が琥珀色に包まれ始めると、最後まで残ったオバさんが拍手をくれて帰っていった。

「頑張ったね。都会の人はね、こうやってチップを入れる場所を作って演奏するの。煙草代とビール代くらいにはなったよ」

「……いいよ。缶コーヒーが飲めれば」

 僕はケースの上に乗った小銭をかき集めてはポケットに入れてギターをしまった。すっかり五時になっていた。

 彼女は駅の時計を見つめていたかと思うと、

「小銭、ちょうだい。缶コーヒー買ってきてあげる」

 駅舎へ向かった。


 僕は、制服の彼女がいなくなったのを幸いと煙草を出して火をつけた。煙を吐き出すと、どこかに充足感があった。学校へ通わなくなって以来、毎日の生活の中に足りなかった手応え。

 彼女は夕刻の風に髪の色を溶かしながら、缶コーヒーを握って駆けてくる。

「はい。この小さいのでいいんだよね。初めて会った時も飲んでた」

 そんな些細なことを覚えている彼女を不思議に思いながらも、僕は憂うつに浸る。


「夕焼け、嫌いだったんだよね」

 言うと彼女はコーヒーを開けてひと口飲んだ。

「嫌いっていうか――気持ちが沈むんだ。そんな歌が尾崎豊の曲にもある。『ドーナツ・ショップ』っていう」

「今度、聴かせて。ううん、今じゃダメかな。今度は私だけのためでいいから」


 僕らは高架広場の人波に背を向けてベンチへ並ぶ。稲佐山の向こうへ陽の明かりがゆっくりと落ちてゆく。僕は彼女だけに聴こえる音でギターを鳴らす。

 けれど演奏が終わっても彼女は黙ったまま、薄明りに染まってゆく空を見つめるだけだった。

 僕は缶コーヒーを飲み干して、

「歌詞の中に――っていうか、語りの中に、『本当は何もかも違うんだ』ってセリフがあって。初めて聴いた時に、これだって思った。僕の中にある夕陽のイメージは、そこにあるすべてを否定したようなものだった。本当のことはどこかに隠していくみたいに、夕陽は落ちていく。それが淋しいんだ」

 一気に話した。そしてつい、身の上話まで乗せてしまう。
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