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017 三度目の対決
しおりを挟む壁かけ時計の針が午後九時を指す。
約束の時間ぴったりに尾白探偵事務所へと姿を見せた山本詩織。
はじめてここに来訪したときと同じ喪服姿、つばの広い帽子をかぶり顔はヴェールで隠れており、見えるのは口元の赤い紅のみ。
「ようこそ、お待ちしてました」
ややキザったらしく彼女を迎え入れたところで、おれはさりげなくドアのカギをかける。
その際にカチリとわずかに音がしたものの、依頼人は気にした様子もなくそのまま勧められるままにソファーへと腰をおろした。
すかさず芽衣が緑茶の入った茶碗を用意するも、前回同様に彼女は口をつけようとはしない。
おれはしっしっと芽衣を奥へと追い払って、依頼人と二人きりになる。
山本詩織からの依頼は「怪盗ワンヒールのニセモノを捕まえること」であった。
だが犯行はウインドサイズなる半グレ集団によるもの。関係者は複数におよぶ。まさか全員を引っぱってくるわけにもいかない。
そこで表沙汰にできる情報だけを切り貼りして報告書を作成した。
この報告書をもとに、二度とニセモノがあらわれない旨を淡々と説明する。
その間、山本詩織は一切口を挟むことなくじっとしていた。
すぐ目の前にいるというのに、わずかな息づかいすらをも聞こえない。
微動だにしないその姿はまるで精緻なマネキンのよう。
ともすれば自分が何と対峙しているのかわからなくなる。
うすら寒さを覚えつつも、どうにかおれが説明を終えると「そうですか」とつぶやいた山本詩織がやおら立ち上がった。
黒いスカートの裾を軽くひるがえし彼女が向かったのは、事務所内の壁面。
喪服の美女は壁に貼られた手配書へと手をのばすなり、おもむろにこれを剥がす。
そしてふたたび席へと戻ってくるなり、今度は懐より万年筆をとり出して紙面にペン先を走らせる。
さらさら何を書いてるのかとおもえば、それはフリーのメールアドレスであった。
よどみない動きにて一連の作業を終えた山本詩織が、手配書をおれのほうへ差し出す。
「では、お約束の成功報酬の百万円です。どうぞお納めください」
おれは「どうも」と手配書を受け取るなり、すかさず目配せ。
間髪入れずに動いたのは芽衣。
気配と足音を殺してそろりそろり、山本詩織の背後へと移動していたタヌキ娘が気合一閃、くり出したのは渾身の正拳突き。
「狸是螺舞流武闘術、突の型、城門破り」
静のタメから、動の突きへ。技名は頑強な城の大門すらをも粉砕する破壊力に由来する。なお芽衣の祖母で師でもある葵は、開かずの金庫の扉をこの技でぶち抜いたらしい。
つまりはそれだけ強烈な一撃だということ。
背後からの完全なる不意打ち。
だというのに絶対の自信を持って放ったはずの拳が空を切る。
ひらりと女が舞った。
黒いスカートが華麗に波打ち、芽衣の必殺の拳は闘牛士が猛牛をさばくかのようにして受け流される。
軽やかな踊り子のような動きにてスカートの中があらわとなりそうになり、おれの視線が深淵のデルタ地帯へと吸い寄せられる。くっ、これはあらがえない。
だがしかし、お宝が見える直前に視界が黒から白へと一変した。
??? 何が起こったのかわからない。
はっと気がついたときには、窓際に立つ白いタキシード姿。
「やっぱりてめえの変装だったのか、怪盗ワンヒール」
「さっきこっそりカギをかけていたから、もしやと用心していたのだけれども、いつ気がついたのかね、尾白探偵」
「最初っから半信半疑だったさ。こんな奇妙な依頼、本物以外の誰がしてくるっていうんだよ!」
「はははは、まぁ、そうだよねえ。だというのにこんな茶番にわざわざ付き合ってくれるだなんて。やはり私の目に狂いはなかったようだね」
「くそう、だからおれのところに話を持ち込んだのか」
「そりゃそうさ。だって桜花探偵事務所の方だと、たぶん電話応対だけで門前払いをされそうだし」
「ぐぬぬぬ……、悔しいがその通りすぎてなんも言い返せねえ」
やたらといい声の怪盗ワンヒールと会話をしつつ、おれは芽衣の方をちらり。
だが芽衣は呆然と立ち尽くしぶつぶつ。「そんな! あれをかわされた……どうして?」
よほどショックだったらしいが、これでは当面使い物になりそうにない。
仕方がない。こうなればおれ自らが怪盗をとっ捕まえてくれよう。
と、飛びかかろうとしたところで、怪盗ワンヒールがとり出したのは軟式のテニスボールのような灰色の玉。
「さてと、そろそろ失礼するよ。心配しなくても約束はきちんと果たすから。私に会いたいと熱望しているご令嬢には、そのアドレスを教えてあげてくれたまえ。そうすればきっと報酬が手に入るだろう。では、いずれまた。アデュー」
言うなり灰色の玉を床へと投げつけた怪盗ワンヒール。
とたんに激しい閃光が生じて室内が白に染まる。
光の奔流。たまらずおれは目を閉じる。
しかし無防備なところに光をまともに見てしまった芽衣は「あんぎゃあーっ!」と悲鳴をあげた。
◇
じきに光が収束し、視界が戻ったとき。
怪盗ワンヒールの姿はどこにもなかった。
入り口のドアのカギはかかったまま。窓の一つが開け放たれていることから、おそらくはそこから逃走したのだろう。
「ここは雑居ビルの四階だぞ。まったくやることなすこと派手な野郎だぜ」
おれは感心するやらあきれるやら。
芽衣の方を見れば「目がー、わたしの目がーっ」とまだ悶えていやがる。
何かの映画で見たようなシーンだなぁ、おい。えーと、タイトルは何だっけか。ど忘れしちまった。
「おいおい、いい加減にちょっと落ちつけよ、芽衣」
言いながらポンと肩に手を触れたら、飛んできたのはタヌキ娘の拳。
パニックを起こしている芽衣が放ったアッパーカットが、ぽかんとアゴにクリーンヒット。
ぐはっ、おれは膝から崩れ落ちた。
かくしておれたちは怪盗ワンヒールとの勝負に三敗目を喫したのであった。
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