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207 レッドとタヌキ
しおりを挟む「いまのところ一勝一敗か。連戦により疲れているところ悪いが、始めさせてもらう」
言いながらレッドが指し示したのは、一号棟に四つあるうちの右から二番目の階段。
よもやの自己申告。それだけレッドには自信があるということ。
これを受けて芽衣がずいと一歩前に出る。
「四伯おじさん、ここはわたしが」
最初の遭遇のときに、まんまと逃げられているので芽衣としてはリベンジを果たしたいのだろう。
おれはそんな助手の気持ちを汲んで「好きにしな」と応じ、適当なところに腰をおろしタバコをとり出した。三番目の勝負は芽衣に預けて見物にまわることにする。
けっして疲れたからちょうど良かった。ラッキーとかは考えていない。
「一分やる。その間に最上階まで行け」と芽衣。
「ふっ、三十秒でけっこう。到着したら上からコインを投げる。そいつが地面についたら合図だ」とはレッド。
悠然と階段へと向かうレッド。その背を芽衣は屈伸運動をしながらにらみつける。
おれもぼんやりとレッドのうしろ姿を見送っていた。
均整がとれ、じつによく鍛えられた背中だ。それもジムで器械的に整えたモノではない。野趣あふれる肉体。余計な部位は削ぎ落し、機動力に必要な箇所のみが発達している。ネコ科の大型肉食獣をおもわせる風格。アレは過酷な環境に身を置くことで育まれるモノ。生粋の人の身でありながら、あの境地に達するのは生半可なことではない。
おれはタバコの煙を吐き出しつつ深く嘆息をつかずにはいられない。
まったく……。
こんなところでピンポンダッシュなんぞに明け暮れずに、いっそのこと某テレビ番組にでも出場すればいいのに。
◇
階段の傾斜は四十度ほど。
一段ごとの奥行、踏み面(ふみづら)は二十センチ。幅は一メートル、高さは二十センチ。
大人二人がすれちがうのにカツカツ。ともすれば身を引いてようやくといったところ。
そいつが十段一組、中間踊り場を挟み「くの字」に折り返しており、合計二十段にて各階を構成している。「くの字」の突端部分が外に面している。
コンクリート打ちっぱなし。吹き抜け部分などはない。出入口にキャノピーあり。
中間踊り場にて外と繋がるも、実質的には逃げ場なしの一本道。
上からピンポンダッシュで駆けおりてくるレッド。
下から駆けのぼり迎え撃つことになる芽衣。
戦いへの緊張と気運が次第に高まる中、見物にまわったおれは漠然とした不安を抱えていた。
いかに鍛えていようとて、しょせんはただの人間。脅威の身体能力を誇るうちのタヌキ娘の敵ではない。
だが、おれはどうにもイヤな予感がしてしようがない。
たしかに人間は生き物としては半端な存在だ。各種能力や肉体強度という観点からランキングをすれば、けっこう下の下となるだろう。
けれども奴らは未曾有の繁栄を築き、我が世の春を謳歌している。この地球の覇者として君臨している。
けっして強くはない。
でも弱さを知っている。
知ったうえで知恵や工夫でそれをカバーしている。
単純な殴り合いならば芽衣の圧勝だろう。
だが今回の勝負はあくまでピンポンダッシュの成否を競うもの。
おそらく勝敗を左右するのは、屯田団地の階段という空間をいかに活かせるかどうか。
◇
チャリン。
天から降ってきたコインがアスファルトに跳ねた。
これを合図にいっきに駆け出した芽衣。
直後に『ピンポン、ピンポン、ピンポーン』と呼び鈴の音が聞こえてきた。
五階にいるレッドが鳴らしたもの。心なしかその音の間隔がせせこましい。これからはじまる死闘を予感してヤツも気が昂っているのか。
ターン、ターン、ターン。
カモシカのごとき軽快な足音。
芽衣だ。タヌキ娘は二段飛ばしぐらいで階段を駆け上がっている。
一方で早くも二度目の『ピンポン』が鳴った。
これはレッドがすでに四階に移動しているということ。
いくらなんでも速すぎる。
どうやらレッドは二段飛ばしどころか、全段飛ばしぐらいの無茶をやらかしている模様。もしもほんのちょっとでも体勢を崩し着地をミスしたら、下は固いコンクリート。たちまち足首を痛めてしまい、その時点で即ゲームオーバー。
だがヤツは選択した。
そこまですべき相手だと芽衣を認めたんだ。
◇
はや二階を抜けて三階へと続く階段に足をかけたところで、二度目の『ピンポン』を耳にした芽衣は、このままではレッドの方が先に三階へと到達すると判断。そこで足を止めた。だからとて諦めたわけではない。
割れんばかりに思いっ切り床を踏んで、飛ぶ。
向かった先は階段の壁面。壁に足をついてはこれを蹴り、反動でさらに飛翔。
壁から壁へ、もしくは床や天井へと渡る。自身をビリヤードの球に見立て、立体的に階段を制してゆく。
狐崑九尾羅刃拳の遣い手、キツネ娘こと出灰桔梗が得意とする空間移動技の模倣。彼女ほど華麗に優雅に宙は舞えずとも、成果は充分。
先に三階へと到着したのは芽衣。
ほんの数秒遅れで四階と三階をつなぐ中間踊り場に姿をみせたレッドが、おもわずたたらを踏むことになる。
多少の事情は異なれども、期せずして初対決のときと似たような状況にて対峙することになったレッドと芽衣。
これより三階の呼び鈴を巡っての攻防がはじまる。
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