336 / 1,029
336 三年物ヴィンテージ
しおりを挟む「待てや、こらぁーっ!」
前方にいる男を汗をかきかき、追いかけながらおれは怒鳴る。
まぁ、待てといわれて待つぐらいならば、必死こいて逃げたりはしない。頭では無駄だとはわかっている。
それでもこのシチューションとなれば叫ばずにはいられない。
「おらっ、死にさらせやっ、女の敵っ!」
背後にて芽衣の怒声。言うなり道端にあった青いポリバケツのフタを手にした芽衣が、ブゥンと円盤投げの要領で投擲。
しかしフリスビー遊びすらろくにやったことがないもので、狙いははずれて逃亡犯の脇にあった自動販売機の側面に激突。
で、びよんと跳ね返ったフタ。
カウンター気味に駆けるおれの顔面を直撃、アウチっ!
仰向けにひっくり返ったおれをぴょんと飛び越え、芽衣は猛然と追跡を続行。
そのかいあってあと少しで手が届くというところで、不意に角を曲がって細い路地へと入った逃亡犯。
勢いあまって通り過ぎてしまった芽衣がキキキッと急ブレーキ。
あわてて戻って路地へと飛び込んだのだが……。
「ちっ、いない。逃げられたか」
煙か霞のごとき消え失せた相手に悔しがるタヌキ娘。
ここでようやく腰をさすりつつおれも合流。
えっ、さっきから何をドタバタしていたのかって?
もちろん街の探偵屋さんのお仕事だよ。
なんやかやとたいへんだった姫路アニマルキングダムで行われた獣王武闘会。そいつがようやく片付いて高月へと戻ったところで、おれたちもまた日常へと戻っただけのこと。
で、復帰一発目の仕事がコレだ。
近頃、高月中央商店街の女性陣を悩ませている下着ドロボウをとっ捕まえること。
とても堅気には見えない商会長。
の、とても人間には見えないブロッコリーみたいなモコモコ頭のカバっぽい奥さまから「警察じゃあてんでお話にならないのよ。連中ってばパトロールを強化するとか、ありきたりなことばかり。あんなの屁の足しにもなりやしないわ。だからお願い、何とかして尾白さん! 変態といえば尾白、尾白探偵事務所といえば対変態のスペシャリスト。その看板に偽りなしのところをドーンとみせて頂戴な」と直談判された。
誤解なきよう。
当尾白探偵事務所は、これまでただの一度足りとも自ら「対変態のスペシャリスト」なんぞと名乗ったことはない。もちろん誇大広告をした覚えもない。
すべては過去の実績が歪曲して巷に広まったせいである。
そのせいでいまでは「怪奇案件」「家出したペット探し」「変態でお悩み」ならば尾白探偵事務所へ。
みたいな流れが世間さまに出来つつあるようだ。
いささか不本意ながらも依頼は依頼。
うちみたいな零細事務所は小さなことからコツコツと、である。
で、持ち込まれた当初はおれと芽衣も余裕顔。
「ははは、怪盗ワンヒールや怪人インソールダブルエックス、ピンポンレンジャーなどに比べたら下着ドロなんぞかわいいもんだな」
「ですよねえ、四伯おじさん。厳しい修行と数多の激闘を経てパワーアップしまくり、女子力が天井知らずであるこのわたしの敵ではありません。軽くとっ捕まえてちょちょいのちょいと、ベキベキ首の骨をひと捻りです」
探偵と助手はそんな心持ちにて、いざ出陣。
だが考えが甘かった。油断があったことも否めない。
畿内有数、あるいは全国でも指折り、ひょっとしたら世界級だったりして。
知る人ぞ知る変態の一大産地との呼び声もちらほら。そんな高月の地にてうごうごしている変態がただの変態なんぞであるわけがなかったのである。
◇
防犯カメラを設置し犯行現場の映像をおさえるにしろ、張り込みをして直接ぶん殴って御用とするにしろ、傾向と対策は必須。
とくに下着ドロボウのような輩は好みが顕著。
手当たり次第ではないのだ。己が欲望を刺激する、琴線に触れる獲物にしか食指をのばさない。
だからまずは被害にあった方々から話を聞こうとしたのだが……。
「まったく、いい感じで肌に馴染んだお気に入りだったのに。クソがっ! おい、四伯。犯人を捕まえたら連れてこい。ボコボコにシバいて屋上から吊るしてやる」
防犯用とかいってカウンターの奥に立てかけている鉄パイプを手に、そんな物騒なことをほざくのは花伝美咲。
うちの探偵事務所が入っている雑居ビルのオーナーにして、二階でスナック「昇天」を経営している化石ダヌキ。和装でいっつも葉巻をくわえている柄の悪い山姥。前々から不思議でしようがなかったのだが、どうしてこいつがママをしているスナックに常連客がついているのだろう。
でもってそんなババアの三年物のババ茶色のゴムだるんだるんパンツを盗む下着ドロボウっていったい……。
下着ドロボウの被害にあった高月商店街のマダム連。
花伝オーナーを筆頭にみな似たり寄ったりの古ツワモノばかり。なかには口では怒っているフリをして、「じつはまんざらでもない」「私もまだまだ捨てたものじゃないね、ふふん」と得意げな顔をしている人もいたりして。
すると不思議な力学が働き、被害に合っていない者が内心で「ぐぬぬ」と悔しがっていたりするから、女心はむずかしい。
さてと、もうお分かりであろう。
今回の犯人。
筋金入りのド変態である。
いや、性癖や好みなんて人それぞれだから。他人さまがとやかく言えた義理じゃないのは重々承知。
おれだって熟女モノは嫌いじゃないよ。ときには年上の女性が持つ圧倒的包容力に身も心をゆだねてみたくもなる気持ちもわからなくはない。
だからってここを攻めるのかぁ。
うーん。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
41
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる