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連載
其の六十三 忍び組八岐
しおりを挟む火付け盗賊改めの屋敷の奥座敷にて目覚めた鉄之助。
枕元には役人のみならず、お七や脇坂九郎の姿までそろっているのを前にし、ようやく観念する。
万屋の青年が滔々と語りだしたのは己の前身……。
◇
生国については障りがあるので伏せておく。
賑やかな人里よりも山を三つも四つも越えた先にあった隠れ里。
そこは忍び組八岐が、代々の功労を認められて主君より拝領した土地であった。
物覚えがつく前より鉄之助の身はその里にあった。
だからとてここで生まれたわけではない。赤子の時分にどこぞより連れてこられたそうな。売られたのか、さらわれたのか、はたまた拾われたのかはどうでもいい。
そんなこと、この里ではとくに珍しいことではない。
そうやって時おり人材を補充しては村で育て、忍びの修行をつけていく。
おそらくはどこの忍びの里も似たようなものであろう。
ただし鉄之助の育った里がおそらく他所とちがっていたのは、たとえ忍びの適性がない者であったとしても、けっして無闇に処分したりしなかったこと。
これは歴代頭領に代々伝わる教えによる。
『優れた忍びにしか成し得ぬことは多々あるが、逆に何の取り柄もないからこそ成せることがある』
ただの茶屋の娘であろうとも、見張りやつなぎ役はこなせる。
素人然としているからこそ、警戒されることなく相手の懐にするりと入り込める。
あまりにも隙だらけゆえに、周囲から疑いの目を向けられることもない。
物乞いとして橋のたもとに座るのであれば、本当に足が不自由な方が都合がいい。どこぞの屋敷の台所に潜り込むのであれば、ふつうの愛想のいい女房の方が違和感がない。
ようは将棋と同じ。
たとえ歩の駒とて使い方次第では王将の首を獲り、いかに優れた能力を持つ飛車や角であったとしても、獲られるときはあっさり敵に獲られるということ。
ゆえに鉄之助の育った里では、忍びの才覚を頭領に認められた者はそのまま修練に励み、ゆくゆくは任務に赴くために外へと出る。
一方で駄目だと判断された者たちは、里にて田畑のめんどうをみたり、裏方として忍び働きをする者たちを下支えしたり。
幸か不幸か才覚を認められた鉄之助は、幼少期より山野を駆けては鍛錬に明け暮れることとなる。
春夏秋冬、天候にかまわず続けられる修行は厳しかったが、さりとて逃げ出したいとは思わない。
なぜならここには辛いだけでなく温もりもたしかにあったから。
けっして暮らしぶりは裕福ではなかったが、それでも安寧はあった。
大切な場所を守るためならばと、幼い鉄之助もがんばれた。
◇
成長するに従ってめきめきと頭角をあらわす鉄之助。
じきに山向こうへの使いなんぞも任されるようになる。こうやってじょじょに外の世界に慣らさせてから、より本格的な任務へと赴かせるのが里の慣わしでもあった。
当時、鉄之助には兄貴分と姉貴分と呼べる者らがいた。
兄貴分を士郎(しろう)といい、若手きっての有望株。早くも次期頭領との呼び声も高い人物。
群を抜いた武芸と恵まれた体躯を持ち、各種技の冴えもさることながら見映えや人柄までもが優れている。
里の若い忍び連中の憧れの的であり、娘たちの羨望であり、ゆえに「頭領よりも士郎に認められ褒められるのが何よりの喜び」と公言してはばからない者までいる始末。
士郎が鉄之助のいったい何を気に入ったのやら。
ことあるごとに目をかけてくれるもので、当然ながら鉄之助も彼のことをよく慕っていた。
そんな鉄之助を実の弟のように可愛がっていたのが姉貴分の緋衣(ひえ)というくのいち。
ただし、その可愛がり方にはいささか難がある。
暇を見つけては「修行をつけてあげる」と鉄之助を引っ張り出してのしごき三昧。日々、鍛錬を積んでいる同輩らすらもが口を揃えて「えーっ」「おいおい」と呆れる苛烈さ。
だというのに当の緋衣はにこにこ。どうやら彼女は本気で可愛い弟分のためにひと肌脱いでいるつもりらしい。
とんだ歪んだ愛情表現。
毎度、ぼろ雑巾のようにされる鉄之助。だからてっきり緋衣を嫌っているのかとおもいきや、じつはこれがそうでもない。
たしかに手加減を知らぬ女ではあったが、そのくせ妙に優しいところもあったからだ。
出先から戻れば甘い菓子を土産にくれたり、外の話を聞かせてくれたり、着物の裾がほつれていれば「ちょっと貸して」と針仕事にて繕ったりもする。
厳しい修行をつけるのも、少しでも弟分の生き残る目を増やすため。
それならばそうと口で言えばいいものを、それが出来ないのが緋衣という女なのであった。
忍びの隠れ里での日々は変わることなく穏やかに過ぎていく。
しかしそれは鉄之助が、いいや、里の者の誰もが知らなかっただけのこと。
裏では恐るべき企みが進行しており、暗雲が里を呑み込もうとしていた。
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