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其の六十五 亡霊

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 隠れ里に降りかかった災厄について、ひとしきり語り終えた士郎。
 ふらりとどこぞに行こうとするので、あわてて鉄之助もその背を追おうとするとも「来るなっ!」と一喝される。

「鉄之助……おまえはまだやり直せる。血の味を覚えておらず、闇に毒されることもなく、死に穢されてもいないからな。だからおまえは今日を限りに忍びをやめ、陽の下で生きろ」

 士郎の発した言葉に鉄之助はたいそう困惑する。
 物心つく頃よりずっと一人前の忍びとなるべく育てられ、生きてきた若者にとって、それを捨てろということは理解の範疇をはるかに越えていたのだ。

「忍びを、忍者であることをやめる?」

 唐突に帰るべき場所を失い、寄る辺も仲間をも失い、ついには己を成す根幹をも失う。
 駕籠の鳥をいきなり外へと解き放ったとて、どうして生きていけよう。
 わけがわからない。
 鉄之助は天地がひっくり返ったかのような衝撃を受け、しばし呆然自失。
 そのときひゅるりと風が吹いた。
 幼少期より己の頬を幾度ともなく撫でてくれた、厳しくも優しい山の風。
 おもわず目をつむり、里での思い出が蘇るのに身を任せた鉄之助。
 しばらくしてまぶたを開けたとき、士郎の姿は視界のどこにもなく、あるのはすっかり変わり果ててしまった光景ばかり……。

  ◇

 ひとりきりとなって数年の歳月が流れる。
 紆余曲折を経て江戸へと流れついた鉄之助。
 持前の明るさと器用さにて、どうにか日々の暮らしを営めるようになっていた。
 そんな彼の前に過去の亡霊があらわれたのは、盗賊しょうけらがまだそう呼ばれておらず、江戸での最初の仕事である米問屋の越後屋へと盗みに入る前のこと。

 万屋稼業の仕事を二つばかりやっつけての帰り道。
 迫る夕闇にもかかわらずまだまだ賑わう両国橋を渡っていた鉄之助は、人混みの中に古馴染みの顔を見つけてたいそう驚いた。
 隠れ里にてなにかと彼の世話を焼いてくれていた姉貴分の緋衣(ひえ)である。
 あの騒動のおり、士郎の助けもあってまんまと落ちのびたことまでは知っていたが、行き方知れずとなったままそれきりとなっていたもので、いかに鉄之助が驚いたことか。
 名うてのくのいちであった緋衣のことだから、滅多なことはなかろうとは思いつつも、それでもずっと気にかかっていたので安堵する鉄之助。

 すると緋衣の方でも彼に気がつき、ちらりと流し目をくれてからゆっくりきびすを返しては、黒下駄をカランコロンと弾ませながら歩いてゆく。
 道行く大勢の人たちの方がまるで彼女を避けて通っているかのような動き。
 その足運びだけでも、いまだに腕が衰えるどころか、ますます冴え渡っているのを目にして、鉄之助は内心で舌をまく。
 自分は忍びであることをとっくに辞めているが、緋衣はいまだに現役なのは明らか。
 そのことから鉄之助はてっきり彼女はどこぞの忍び組に新たに加入し、新天地で活躍しているものだとばかり思っていた。
 しかしすぐあとに己の考えがまちがいであったことを知る。

  ◇

 両国橋を渡りきり、人混みを縫うように進むうちに、気づけば回向院の境内へと踏み込んでいた鉄之助。
 先を歩く緋衣がようやく足を止めたのは万人塚のところ。
 この墳墓は振袖火事とも呼ばれる明暦の大火にて亡くなった大勢の無縁仏を供養するために、時の四代将軍家綱によって設けられたもの。
 これを起縁とする回向院は以降「有縁無縁に関わらず、人動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説く」の方針をかかげ、静かに鎮魂の祈りを捧げる場となっている。

 いかに人目を避けるためとはいえ、逢魔が時にこんな寂しい場所を選ばずとも。
 やや呆れる鉄之助、しかし周囲の影に潜む剣呑な気配を察して、たちまち険しい表情となり警戒もあらわとなった。
 愛想のいい人気の万屋の青年が一転して忍びの顔となる。
 その様子を嬉しそうに眺めていたのは緋衣。

「どうやらあまり腕は落ちていないようね。安心したわ、鉄之助」
「安心って……、ひさしぶりに会ったってのにずいぶんな挨拶だな、緋衣姉さん」
「ふふふ、そんなに膨れないでよ。これにはちゃんと理由があるんだから」
「理由? 理由っていったいどんな……」
「ええ、今日あなたに会いにきたのは仲間に誘うためなの」

 再会した緋衣より語られたのは、彼女が「おろち」なる凶賊集団に所属し、八つある組のうちの五番組を預かっていることと、おろちを率いる首領が士郎であるということ。そしておろちの主力の大半が、理不尽な憂き目にあった忍びたちで構成されているという事実。

「忍びの技を盗みに使うだなんて」

 非難の言葉を口にする鉄之助。
 しかし薄暗がりの中、くのいちは妖しい笑みを浮かべる。

「侍どもが我らを認めぬというのならば、我ら忍びもまた侍どもの天下を認めない。これはたんなる盗賊遊びじゃないわ。戦なのよ」と。


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