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其の百九十八 狸一家の恩返し
しおりを挟む行く先々にてしつように何度も襲われる。
並みの神経の持ち主であれば、まいってしまうものだが魚心はいろいろずれている男。
そのせいで襲われる側はすっかり慣れたもの。
でもそれすなわち逆のこともいえる。つまり襲う側もまた経験を重ねているということ。
相手の手口を魚心が理解するのと同じく、襲撃側もまた魚心という男の考えや行動を学んでいる。
学んでいたのは裏柳生であった。
あばら家で一夜を過ごした藤士郎たち。このままほとぼりをさましてから動こうかと考えていたのだが、安穏と過ごせたのはわずかひと晩のみ。
夜明け前のこと。
襲撃を受けた。
どうやら魚心の性格やら、これまでのやり口、市井の殺し屋連中が血眼になって探しているのに見つからないことから、きっとまだあばら家にいるのにちがいないと当たりをつけたらしい。
なお今度は忍び連中であったがゆえに、設置してあった鳴子もどきはまるで役に立たなかった。
腕枕でうつらうつらしていた藤士郎。
突如としてその耳に届いたのが「来るぞっ!」という注意をうながす声。銅鑼であった。今回の一件にはかかわるつもりはないと言っていたが、なんだかんだで見張り役をしてくれていたらしい。
はっと藤士郎が跳ね起きたところで、カカカと床に突き立ったのは手裏剣。高いびきの魚心ではなくて先に藤士郎を狙ったということは、おそらく生け捕りを目論んでいる?
「ならば」
魚心を蹴飛ばし叩き起こしつつ手をのばした藤士郎、掴んだのは鉄瓶。これをひっくり返して中身を火鉢の上にぶちまけた。
とたんにじゅわっと起こったのは白い湯気。
もうもうと垂れ込める白霞に襲撃者らの気がそれているうちに、いつのまにやら藤士郎と魚心の姿は消えていた。
◇
白い煙にまぎれて穴から床下へと潜って、あばら家の裏から逃げる。
いざという時のためにと考えていた逃走の手順が役に立ち、からくも窮地を脱したふたり。だが相手は忍びの者たち。すぐに追ってきた。どうやら屋内に飛び込む組と外で見張る組とがあったようだ。逃げるのに達者な魚心のこと、万が一を考えていたらしい。
裏手の竹林の中をぬうように駆けるふたり。
魚心を先に行かせつつ、背後を警戒する藤士郎。
駆けざまに腰の小太刀を素早く抜いては、適当に竹を切り追う者らの進路をはばむ柵とする。
だが敵もさるもの。切り倒されて邪魔をする竹をすぱんと一刀両断しては、ずんずん追い迫る。裏柳生とはいえ、そこは柳生新陰流の一門。他所の忍びよりも剣の扱いに特化しているらしい。
じりじりと狭まる包囲網。完全に囲まれたら藤士郎ひとりならばともかく、魚心を守りながらではとても逃げ出せない。
だが、ここでまたしても救いの手が差し伸べられる。
差し伸べてくれたのは、知念寺の門前通りにある茶屋での八文損騒動のおりに、世話をした狸一家。故郷を追われ、かつ一家の大黒柱である父親が傷心と病にて伏せってしまい、一家を支えるべく小さな悪事に手を染めてしまった娘狸。これを不憫におもい九坂家で保護したのだが、そのかいあっていまではめきめき回復しつつあった父狸。
恩義ある藤士郎の窮地を知って「いまこそ厚恩にむくいるとき!」
狸一家が総出で化け術を発動。
裏柳生の者どもを化かし、煙に巻いてくれたおかげで、藤士郎たちは逃げ切ることができた。
◇
ふぅふぅ、乱れた息を整えつつ汗を拭う魚心と藤士郎。
そろそろ江戸が本格的に目を覚ます頃。ふたりの姿は川原にあった。
藤士郎としては、隅田川沿いをさかのぼり日本堤界隈へと出て、そのまま吉原遊郭へと向かうつもり。方々から狙われている魚心。このままでは落ちついて話もできやしない。
そこで貴祢太夫に庇護を求めようと考えた。吉原は塀と堀に囲まれた自治区のような場所。あの中ならばきっと荒事にはなるまい。
が、そうそううまく事は運ばない。
吉原へと向かう道すがら。はやくも裏柳生の者らに捕捉された!
これにより過酷な逃亡劇が始まった。
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