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その八 山部家の女
しおりを挟む黒船来航以来、なにやら世間が浮足だっており、人心がざわついている。
それを肌に感じつつも、わたしの日常はなんら変わらない。
ひたすら斬る、斬る、斬るばかり。
気づけばそろそろ十五歳になろうとしていた。
そんな初夏のある日のこと。
屋敷の中には、朝から何やら張り詰めた空気が漂っていた。
いつもと同じ時刻に起き、いつもと同じ修行をこなし、いつもと同じように飯を喰らう。
それはいつも通りの日常。
でも、何かがちがう。
いや、正しくは何かが起きる。
そんな予感めいたものをずっと抱えて一日を過ごす。
目に見える形にて異変があらわれたのは、夕食の席でのこと。
なぜだか夕餉の膳におはぎが山と積まれてある。
朝から台所より小豆を煮焚きする甘い香りが漂っていたので、作っていたのは知っていたが、よもやそれがここで登場するとは思わなかった。
わたしは母の作る甘味が好物ゆえに、よろこんでぱくつくも、内心では首をかしげていた。
へんといえば父の態度もいささかおかしかった。
いつもならば「甘いものは心身をたるませる」と顔をしかめるというのに、そのときばかりはいっしょになって黙々と食していた。
そんな奇妙な夕食の席にて父に言われた。
「今宵は修行を行うゆえ、呼んだら裏庭にくるように」
これまでもあえて夜の暗闇の中で、灯りもつけずに斬るという鍛錬をすることがあったので、わたしは「はい」と小さくうなづく。
◇
屋敷の裏は平地となっており、あるものといえば小さな石の祠ぐらい。
すっかり苔むし、風雪にて草臥れており、扉もなく中は空っぽ。
何を祀るためのものかは知らないが、ときおり白杯に水を入れて納めているのだけは、見かけたことがあった。
しばらくしてから父に呼ばれて裏庭に向かう。
篝火が焚かれていた。
いつの間にかキレイに掃き清められており、木の葉一枚落ちていない。
そこに黒一色の装束を身にまとった父と、白一色の装束を身にまとった母の姿があった。
異様な光景に立ち尽くすわたしに、父が告げる。
「今宵、修行の仕上げを施す。心して臨むように」
声には有無を言わさぬ威が込められており、わたしはただうなづくことしかできない。
父は祠の手前の地面の一角にあった盛り土を、いきなり手で掘りだす。
すぐに姿を見せたのは鉄の輪っか。
これを握りぐいと持ち上げると、三尺ばかりほどもある長方形の石の板がゴトリと音を立てた。これをずらしてどけると、地面の下には石櫃のような空間が広がっていた。底はそれほど深くはない。せいぜいわたしの膝下ほどであろう。
そんな場所があったことを初めて知ったわたしが興味深げに見つめていると、いつの間にかどこぞより米俵を担いできた父が、中身を石箱へと注ぎはじめる。
それは白い砂であった。
一切の不純物のない、きめ細やかなさら砂は、まるで真珠でも砕いたのかと思えるほどにキラキラと輝く。
砂を投入し終えた父。
空になってぺしゃんこになった米俵を、石箱の手前の地面に敷く。
一連の作業にて汚れた父の手。それを母が濡れた手ぬぐいにて拭いている。
その光景が、わたしにはとてもふしぎであった。
生まれてこのかた、ただの一度とて、父母のこのように仲睦まじいところを見たことがなかったがゆえに。
もしや、自分はキツネにでも化かされているのではなかろうかと、疑ったほどである。
母が父に頭を下げ、父がこれに横柄に応じる。
母はそのまま静々と地面い敷かれた米俵の上に両膝をつくと、正座の格好となり手を合わせて数珠を握った。
そして父がわたしに命じる。
「斬れ」
それはいつもの鍛錬と同じ流れであった。
ただいつもとちがうのは、相手が生きた人間であるということ。
もしもこのとき。
わたしが取り乱すなり、母が嫌がるなりすれば、あるいはまたちがった未来があったのかもしれない。
けれども、わたしはいつものように淡々と刀をかまえ、母もまた平然とこれを受け入れた。
唯一、いつもとちがったのは、わたしが「目隠しをご用意しましょうか」とたずねたこと。
どうしてそのような言葉が己の口から出たのかは、わからない。
しかし母はこれに首を横にふった。
「だって目隠しをしてしまったら、せっかくの我が子の晴れ舞台が見えなくなってしまうもの。そんなのはもったいないわ」と微笑みさえした。そして母は言った。「わたしは幸せでしたよ」と。
それが母の最期の言葉となった。
この夜、わたしは自分の母の首を刎ね、人であることを辞めた。
そして身も心もただひと振りの刃となり、名実ともに山部家の後継ぎとなったのである。
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