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その十 娘ひとり
しおりを挟む父である山部無我が亡くなったのは、わたしが十七になるかならぬかの頃。
近頃、めっきり老け込んだなぁと思っていたら、風邪をこじらせてあっさり逝った。
死ぬ間際、枕元にてわたしが「婿でもとろうか」とたずねるも、父は「無用」とだけしか言わなかった。そしてこれが父の最期の言葉ともなる。
どうやら父としては、すでに山部家の悲願はわたしという存在を完成させたことで、果たしたとの想いであったらしい。
なんと身勝手なことであろうか。
しかしこんな家系を後世に残さなくていいと言われたのは、正直ありがたい。
いろいろとろくでもない男ではあったが、最期の最期になって娘の重荷をひとつ、あの世へと持って行ってくれた。
そのことだけには感謝してもいい。
父の葬儀や家督の相続、仕事の引継ぎなど全般のことは、すべて荻原丘隅さまと山脇正行さまが引き受けて下さったので、ひょうし抜けするぐらいに滞りなく済む。
こうしてわたしは女の身でありながら、男役を演じることで晴れて山部家当主となったのである。
とはいっても、わたしの日常はなんら変わらない。
斬る、喰う、寝るだけ。
◇
父の跡をついで御為御用をつとめるようになった当初こそは、周囲より「あんな細腕で大丈夫なのか」「まるで役者のようではないか」などと心配されていたが、そのような声も実際に仕事をこなすうちに、自然と消えていった。
そんなある日のこと。
若輩者の身であるわたしは、上役の腰物奉行から呼び出しをうける。
何ごとか仕事に不備でもあったか、あるいは我が身の正体が早々にバレてしまったのか。
とにもかくにも押っ取り刀にて、わたしは荻原丘隅さまの屋敷へと向かった。
◇
「岩竜を知っているか」
通された座敷にて、挨拶もそこそこに荻原さまからそのようなことをたずねられるも、わたしは首をひねる。はて?
「やれやれ、あいかわらずおぬしは世事に疎いのぉ」
わたしの反応に、ややあきれた表情を浮かべる萩原さま。鶴のごとき痩身が、ちょっと鷺っぽくなった。
ため息まじりに一枚の瓦版紙を差し出される。
寺の門前にある仁王像もかくやという大男が、街中で火消しどもや役人らを相手どっての、大立ち回りをしている絵。
扇情的な文面にて書かれてあったのは、岩竜なる角力とり崩れの無頼漢ぶり。
もとはさる大名家のお抱えであったのだが、生来の乱暴な気質が災いして、幾度も問題を起こし、ついには放逐される。
以降は、義経の鵯越え(ひよどりごえ)の逆落としのごとき勢いにての、見事なまでの転落人生。
呑む、打つ、暴れるだけでは飽き足らず、腕力をちらつかせてのゆすりたかり、婦女子に乱暴狼藉とやりたい放題。
あげくには酒屋に押し入って、夜通し居座っては呑みつづけて、その店にあった樽をすべて空にしてしまったというからおどろきだ。
とんだ底なしにて、うわばみどころの話ではない。こういうのを鯨飲と言うのであろう。
だが、しこたま呑んですっかりご機嫌となり、ぐーすかと高いびきをしているうちに、ついに御用となったというから、なんとも間抜けな話である。
「して、萩原さま。この岩竜がどうかされましたか」
「ふむ。じつは少々困っておってな」
聞けば、とっ捕まった岩竜。
罪状数多にて反省の色もなく、情状酌量の余地もなし。
仮にも一時期は大名家に属していた身ゆえに、そちらにも念のためにお伺いを立てたのだが、けんもほろろ。「当方の預かり知らぬこと。いかようにも」とピシャリ。かえって筋を通した町奉行の方が、お叱りを受ける始末。
どうやら在籍中によっぽどの悪さを仕出かしたのであろう。
そんな人物であるがゆえに、助命歎願をしたためた文の一通も届かず、早々に死罪にて打ち首獄門と決まった。
が、ここですっかり弱ってしまったのが、討役の当番同心である。
「拙者ごときの腕ではとてもとても」
同心が尻込みしたのもしようがない。
なにせ岩竜は、七尺にもおよぼうかという巨漢にて、その肉体は岩のごとく筋骨隆々。首もまた逞しい。その辺の女子の腰よりもなお太い。おそらくは芯にてこれを支える骨も相当なものであろう。
それを一刀のもとに落とすのは、かなりの技量を必要とする。
しかし……。
「ならば刀をやめて鋸(のこぎり)でも使えばいいでしょうに」
大きな鋸にてギコギコやれば、丸太だって両断できる。
その要領にて行われる鋸挽き(のこぎりびき)なる刑は存在している。
だからわたしがそう助言するも、萩原さまは首を小さくふった。
「アレはいかん。すっかり形骸化しておるし、主人殺しにのみ適応されるものだ。なにより残酷が過ぎる」
散々に人の首を刎ね、遺体を切り刻み、磔にて槍で串刺しにされるところを見てきたというのに。
妙な仏心を起こすものだと、わたしがふしぎがっていたら、「ほかにも事情がある」と萩原さまは苦虫を噛み潰したような顔をする。
◇
岩竜、牢の中にてわりとおとなしくしていたものの、ある夜更けのことである。
とつぜん大音声にて口上を述べる。
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは岩竜。世に産まれ角力にて立身を志すもかなわず、ついには虜となったは不甲斐なき身。しかし我にもまだ幾許かの意地がある。ゆえに最期にひと勝負といこうではないか。武士の矜持と悪童の意地、見事、この首、散らせるものならば散らせてみよ」
草木も眠る丑三つ時ということもあって、カミナリのような岩竜の声は伝馬町の牢屋敷内を駆け巡り、ついには外にまで飛び出して行った。
これに物見高い江戸っ子どもが喰いつかないわけがない。
瓦版屋が面白がってとりあげたものだから、噂はまたたく間に江戸市中の津々浦々にまで広がってしまう。
無頼の徒である岩竜と、威張ってばかりでいけ好かない武士の対決。
もともと二本差しはあまり町民たちから好かれてはいない。
そこに判官贔屓な心情も働いて、異様な盛りあがりを見せることになる。
「……で、引き下がれなくなったと」
「そういうことだ。そして情けないことに、どいつもこいつも、すっかりおよび腰になってしまってな」
悪名高き罪人ゆえに、処刑は江戸の南、東海道沿いにある鈴ヶ森の刑場にて行われる。
あそこでの処刑はつねから公開されており、これを見るためにわざわざ足を運ぶ酔狂な暇人もけっこう多い。
首を斬られるのが岩竜となれば、当日はさぞや大勢の見物客が押し寄せることであろう。
その前でしくじれば、武士の面目丸つぶれどころの話ではない。
いい物笑いの種にて、子々孫々までバカにされ続けることであろう。
気位ばかりが一丁前の最近の武士には、この恥辱、とても耐えられまい。
そしてここまで話を聞いて、そのお鉢が回り回って自分のところに来たということを、わたしは遅まきながら悟る。
山田浅右衛門のところにでも頼めば、すっぱり見事にお役目を果たすのであろうが、なにごとにも万一ということがある。
将軍家にわりと近しい御様御用の筆頭である立場では、たとえ当人が斬りたがっても周囲がこれを許すまい。
「町奉行に泣きつかれましたか」
「まぁな。で、頼めるか」
萩原さまの言葉に、わたしはうやうやしく両手をつき「承り候」と答えた。
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