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008 寄らば大樹の陰
しおりを挟む男が舌をだらりと垂らしては、どす黒くパンパンに腫れた顔にてこちらを見下ろしている。
首が若干のびているのは、ロープで長時間ぶら下がっていたせいだろう。
中肉中背、背広姿からしてサラリーマンとか公務員といったところか。
「ふぅ、やれやれだぜ」
善志は肩をすくめて嘆息する。
秀に樹海へと連れて来られて、眠れる森の美女を捜しにきたものの。
どうせこんなオチだろとはおもっていた!
前回の竹林もそうだが、もしも樹海に眠れる美女がいたとしたら、今頃もっと野郎どもが押しかけているはずだもの。
というか……
「そもそもの話として眠れる森の美女ってヨーロッパの物語じゃん! パッキン美女が日本の森にいるわけがねえ!」
である。
そのせいか、善志は遺体を前にしてもさして動揺していない。
せいぜい「ふむ、さもありなん」ぐらいであった。
聞くところによれば二十年以上も足繁く樹海へ通っていても、一度も亡骸なんぞには遭遇したことがない人もいるというのに、一発目から発見してしまうだなんて……
こうなると、最初から自殺者の骸目当てで樹海の奥深くに踏み込んだのではなかろうかと、勘ぐりたくなるのが人情であろう。
善志は「まさか」と連れにジト目を向ける。
だが当の秀はそんな視線にはまるで気づかず、落ちていた枝を拾ってはせっせと首吊り死体を小突いていた。
「っていうか、さっきから何やってんだよ」
「何って、この仏さんを落とそうとおもって」
「うわ~、いくらなんでもさすがにそれは引くわ~。罰当たりが過ぎるだろうに」
「えっ、罰当たり? あはははは、善志はトンチンカンなことを言うねえ。
もしも本当に罰が当たるとしたら、僕じゃなくてコイツでしょう。
知らないの? キリスト教でも仏教でも、イスラム教でもヒンドゥー教でもユダヤ教でも自殺は禁忌で、自ら命を断ったら地獄行きってのがテンプレなんだよ」
だから自殺者の死骸をちょっとぐらい乱暴に扱ったとて問題はない。
なぜなら神から授けられし大切な命を粗末にした咎人なのだから。
というのが秀理論らしい。
「なるほど、言われてみればたしかにそうかも……」
一瞬納得しかけた善志であったが、すぐにハッとして「いやいやいや、ちょっと待て! どの口でほざきやがる!」と突っ込んだ。
罪のない老人をスコップで撲殺した奴に、命についてとやかく言われたくない。
自死と他死ならば、どう考えても他死のほうが罪深いだろう。
善志と秀がわちゃわちゃしていると――
ドサッ。
不意に何かが地面に落ちる音がしたもので、ふたりはギクリと固まった。
大樹の裏の方から聞こえたような……
「気のせい……なんかじゃないよな?」
「うん、たしかに聞こえた。ドサってけっこう重たいモノが落ちたような音がした」
「猿とか」
「その可能性も否定はできないけど。なにせ樹海にもいろいろ生息しているからね」
「野鳥ぐらいはいるだろうけど、他にもいるのか?」
「うん、けっこういるよ。たとえば鹿に猪でしょう。それから狐に穴熊、栗鼠に鼠に最近ではアライグマなんかも住み着いているって話だし。
あとは、そうそう大物だと月輪熊なんかも……」
秀は指折り数える。
おもいのほかに豊かな生態系に「へー」と善志は感心しつつも、さすがに熊まで出没すると聞いて、顔を青くした。
熊は巨体のわりに用心深く臆病で、滅多に人前には出ないと言われていたのは今や昔のことである。
最近の熊は人間のことなんて舐めきっており、人前どころか町中にも出没するし、堂々と農家の畑を荒らしたりする。
ときには車に体当たりをぶちかましたり、窓や扉を破っては家の中にまで押し入ってきたりもするから性質が悪い。
あと北海道の羆と違って、本州に生息する月輪熊は人は喰わないというのも昔の話だ。
いまではすっかり人の肉の味を覚えてしまい、なかには好んで狙う狂暴な個体もいるとかいないとか。行方不明になった人たちのうちの何人かは、もしかしたら熊にお持ち帰りされたのかもしれない。知らんけど。
閑話休題。
このまま聞こえなかったフリをするのはさすがに危険だろう。
音の正体を探るべく秀と善志は用心しつつ、樹の裏側へと向かった。
するとそこにあったのは……
「ありゃりゃ、今度は女の人か。これも首吊り死体みたいだね。ロープが切れて上から落ちてきたのかしらん」
「げっ、よもやの二体目!? にしても、なんだってまた同じ所で首をくくったんだ。ひょっとして首吊り心中とか」
「う~ん、それはちがうっぽいかな。それならそれで仲良く並んでぶら下がるでしょうに」
「たしかに……だったら、たまたまなのか」
「たまたまというか、おそらくこの樹が立派だったからなんじゃないかなぁ? ほら、周囲の樹たちと比べても、この樹はいかにも別格って雰囲気じゃない。
寄らば大樹の陰じゃないけれど。
どうせ首をくくるんだったら、この樹なら安心して逝けそうというか」
「そういうもんか?」
「さぁ、言っておいてなんだけど適当だし。そもそも僕に自殺する奴の気持ちなんてわかるわけがないじゃないか。じゃあ、善志はわかるの?」
「…………無理だな。さっぱりわからん」
何が理由かにもよるけれど。
もしも自殺するほどに誰かや何かに追い詰められたとしたら、自分ならばきっと相手に一矢報いてから逝くだろう。
いや、やるだけやって、「アイツが悪い!」と責任転嫁するかも。
まぁ、どのみち潔く逝くことだけはないと断言できる。
あと、やむをえずに逝くことになったとしても「首吊りだけはごめんだ」というのが、善志のいまの素直な気持ちであった。こんなところにぶら下がって野ざらしとか、わざわざ選んだ奴の気が知れない。樹だけに……なんつって。ぷーくすくす。
なんぞとふたりが余裕でいられたのもここまで。
何ら前触れもなく突風が吹いた。
びょうびょうと森が哭く。
とたんに身震いしたのは、自分たちがそばにいるモミの大樹だ。
まるでお風呂に入れられた大型犬が、体毛についた水滴をブルンと震えて、いっきに払う姿を連想させるかのような挙動にて。
ガサガサ、ガサガサガサガサ、ガサガサガサガササササササ……
枝がわんわんしなり、葉と葉が擦れて鳴らし、梢が上下する。
ひとつひとつは小さな揺れだ。それが伝播し、連鎖し、波となり、やがて大樹全体が震えているかのように見えた。
かとおもったら、またしても聞こえてきたのが――ドサッ。
吊られていた亡骸が落ちる音。
慌てて音がした方へと向かってみれば、先ほど秀が突いていた死体が地面に転がっていた。
体はうつ伏せにて、顔だけ背中の方を向いている。
ありえない角度なのは、首の骨が折れていたせいであろう。それが首を吊ったときに折れたのか、落ちたひょうしに折れたのかはわからない。
「よかったじゃねえか、降ろす手間がはぶけて」と善志。
もちろん嫌味だ。
なのに秀は「そうだね、ラッキー」と応じたものの、急にハッと顔をあげては木の上の方をにらんだともったら、いきなり善志の体をドンッ!
突き飛ばされた善志はよろけてそのまま転倒する。
「アイタタタ、腰打った……この野郎、いきなり何しやがる!」
さしもの善志も怒って、起き上がるなり秀に詰め寄ろうとしたのだけれども、できなかった。
なぜなら踏み出そうとしたところで、顔の前を落下物がかすめたから。
ドサッ。
落ちてきたのは三体目の首吊り死体であった。
ちょうどさっきまで善志が立っていたあたりである。生い茂っている枝葉に隠れていたらしく、そこにぶら下がっていたことにちっとも気がつかなかった。
もしも秀が突き飛ばしてくれなかったら、いまごろ巻き込まれていたことであろう。
「へ?」
あまりのことに善志が呆けていると、さらに不穏な音が続く。
ドサッ……
ドサッ、ドサッ……
……ドササッ。
音は全部で七度聞こえた。
大樹の周りに男女の骸が転がっている。
腐っていたのか、なかには落ちた衝撃で四肢がバラバラに散乱しているのもあった。
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