備忘世界の運搬屋

星兎

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媼(おうな)の宿

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 雨が間断なく降り続いている。窓の外、カーテン越しに見える廃墟の建物は、灰色の雫の線の向こうで、重い沈黙の底に沈んで見える。

 重苦しい、何故か呼吸が妨げられるような感覚がして、思わず私は毛布をめくり、立ち上がる。

 落ち着かない気持ちで、部屋に一つだけある、巨大な置物の前に立ってみる。

 飾り棚の付いた、一枚の大きな鏡。

 曇りを帯びたような汚れが少し浮いてはいるが、経年による傷みは殆ど見られず、持ち主から大事にされていることが窺い知れる。

 私はその鏡に、手のひらを広げて、近づけてみた。

 鏡の中の私もまた、乏しい表情で、私に手のひらを向けていた。



ーーーー




 腕を整備してもらった翌朝、約束通り、カルネは私のバイクを整備してくれた。

 二、三時間も経たぬか経たないかの内に、彼女は私のバイクを新品同様に綺麗にしてくれた。

 最早完全体と言ってもいい状態にして貰えた見返りに、カルネは、掛かった費用と材料分のエネルギーと、何故か『珍味』を要求してきた。

 何故かと問うと、「気分」と言い返して来たので、私はそれ以上聞くのをやめた。

 それからコーヒーもね、と、ついでに無茶な注文をつけて来るので、私は思い切り渋面を作りながらも、仕方なく液晶タブにメモをした。

 バイクにまたがりエンジンを入れると、息を吹き返したような新鮮な音が鳴り響き、私は驚いた。

 カルネと握手して礼を言い、私はコロニーを離れ、レジスタンス本部へと向かう。

 昨夜、液晶タブを確認してみると、仕事の依頼が山のように来ていた。私は無視しようかとも思ったが、その中に、気になる依頼が一つあり、悩んだ末に、私は翌日、発つことを決めた。

 昨日入れたばかりのエネルギー缶を、バイクの後部座席へと運び入れる。内容量はマックスで、倉庫の中の缶は、幾つか減っていた。

 サラに出発を告げるのは、いつもと同じく、苦しい時間だった。

 サラは、何も文句も言わず、「気をつけてね」とだけ言って笑っていたが、内心はどうだったのだろうか。私は彼女に、これ程早くに旅を再開する理由を、ちゃんと説明していなかった。

 私が旅を再開する理由。

 私が旅をする理由。

 サラが何も言わずに、昨日手渡した人形で、手を振る真似をして笑っているのが、苦しかった。ちゃんと説明をしてあげたかった。

 私が何故、こんなにも、駆られるようにして旅を続けているのか。

 私は……。

 その時、私は、サラのことを優しく抱き締めてあげることしか出来なかった。

 私は、ヘルメットを被り、暗く影の差した視界の中で、自問を続けていた。

 私が旅をする理由。

 『分からないなら、探せば良い』

 昔、誰かからそんな事を、言われたような気がする。

 それが誰だったのか、私は思い出すことができない。だが、何か大事なことを、その後に続けていたような気がする。

 私はスタンドを蹴り上げ、エンジンを入れ、そろそろと走り始めた。



ーーーー




 目的地までは結構な距離があり、私は始めから、途中にある街で休憩をしようと思っていた。

 そこには一人の老婆が営む小さな宿屋があり、街が荒廃して誰も住むものがいなくなっても、ただ一人街に残り続け、宿屋を続けている、奇特な人物だった。

 私は目的地に行く度に、いつも老婆が営む宿屋を利用させてもらっていた。

 現在はエリア三十一と呼ばれるその都市は、一年の殆どが雨が降る場所で、大抵いつも陰鬱な雲の下、小雨が瓦礫を打ちつけていて、その中にぽつんと、まるで忘れられたように綺麗な姿を保った建物が一軒だけ建っていた。

 私は街に入り、ヘルメットのシェードを外す。

 曇り空こそあるが、今は珍しく、雨は降ってはいなかった。

 雨と砂利、道路の匂いを帯びた空気だけが、開いたシェード越しに、ヘルメットの中に入ってくる。

 街の中央付近まで走り、そこから少しだけ外れた場所に、例の宿屋がある。

 宿屋に近づくにつれ、速度を落とし、最後には徐行状態になる。

 そろそろと静かに音を立てないようにしながら宿屋の建物に近づくと、建物の前に見慣れない物が置かれている事に気が付く。私は更に近付き、それから、いつも停めている箇所にバイクを立てて置いた。

 ヘルメットを外して、改めて見ると、それは、後部座席に荷物を満載している、大きな一台のバイクだった。私のスタイルにも少し似ているが、形状は当然微妙に違っている。私の機体のような幅広のものではなく、小振りな機体に、大きな後部座席を設けているタイプだった。

 暫くそのまま立ち尽くしていると、中から誰かが出てくる。私が見知った顔ではなく、その男は、私の顔を見て、少し緊張した面持ちになった。

 だが、軽く頭を下げられたので、私も会釈を返すと、男は少しばかりホッとしたような表情を見せた。

 どうやら同業者のようで、男は食料を後部座席に乗せているらしく、ほのかに果物や肉の匂いが漂ってくる。

 宿屋の主、媼(おうな)とだけ呼ばれている彼女が、宿屋を営み続けられている理由の一端を、私はそこで見た気がする。

「ありがとうね」

 と声が上がり、扉が再び開けられ、ドアベルが軽快な音を立てて揺れる。

 男は面映ゆそうな表情を浮かべ、彼女と少し話をする。

 笑い声が媼の口から漏れ、男もまた、少し笑った。

 私はバイクにもたれかかったまま、その様子を見守っていた。

 やがて、話も尽きたのか、男はヘルメットを被り、老婆に手を上げ、合図をする。

 媼も分かっていると言うように、軽く手で合図をして、それから男を乗せたバイクは、エンジン音を吹かせながら、その場を離れていった。

 最後に男が、すれ違いざまに、横目で私の事を凝視していた気がする。気のせいか。いや、気のせいではないだろう。私は自分がどのように見られているか、客観的に把握しているつもりだ。

 薄汚れた黒いコートを羽織る、妙齢の女性の運び屋。

 運び屋の作る小さなコミュニティの界隈では、私は異端児として知られている。

 その理由は、自分でもよく分かっていた。それが自分の事以外に、理由がないということも。

 私が茫然と媼の横顔を見つめていると、去っていく男の後ろ姿を見つめていた媼が、私の方を何気なく振り向いて、言った。

 私は、真珠を埋め込んだような媼の真っ黒な瞳を、黙って見つめていた。

「さあ、今度はこちらのお客様ね?」

 私はもたれかかっていたバイクから離れ、媼の元へと歩いていった。
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