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媼(おうな)の宿
□
しおりを挟む私は媼の横に、黙って立っている。
媼は受付のカウンターの後ろで、何かを待っているように、どこか張り詰めた気配を保って、軽くお腹の前で手を組んでいた。
背筋はシャキッとしており、姿勢はいつ見てもぶれることはない。
私は出された椅子に座り、カウンターの上に置かれた熱いお茶の入ったカップの湯気越しに、陽光まで差し始めた窓の外の景色を見つめている。
ここは、何年続いているのだろうか。
冷えているだろうと、媼が親切に出してくれた、茶を飲む。北の地に入り始めてから下がり始めた気温で、体は気付かないうちに冷えていた。温かな液体が胃の底に落ちて、心が内側からホッとする。
媼は、私が初めてこの宿に訪れた時も、今のように親切にしてくれた。それは酷い雨の日で、バケツをひっくり返したという表現は、こういう雨の為にあるのだろうと私は思った。
私が最初に来たのが、確か十五……六年前。その時、媼は今と同じように受付の後ろに立って、私に綺麗に洗濯された布を渡して、茶まで出してくれた。
だが、それから数回訪れても、私は私以外の客を、この宿で見かけたことはない。
そもそも国外に出るという行為自体が、非常に危険なのだから、旧時代の頃のように気軽に旅行に出るような人間など、まずいない。いたとしても、先程見かけたような運搬人や、仕事で出る者達ぐらいだ。私のような者も含めて、殆どが根なし草の。
私はカップに入った温かなお茶を飲みながら、そんなことを何とはなしに考えている。
すると、媼が口を開いた。
私は振り返り、彼女の方を見た。
「お茶はおいしいかしら?」
私はカップを置き、答える。
「ええ、とても美味しいです。おかげで体が温まりました……どこで売ってるお茶なんですか?」
そう言うと、媼はうふふ、と意外にも可愛らしい声で笑いながら、答える。
「それは、さっきの運搬人の方が届けてくれた特別なお茶でね。特産地は秘密なの。でも、とっても美味しいでしょう。私も大好きで、いつもよく頼んでるのよ」
私は頷きながら、窓の外を見てみる。雨はまだ降り出してはいないどころか、柱を作る陽光がその光を強めてさえ見えた。
私は黙って、窓から見える景色を見つめている。
廃墟の建物。恐らく爆弾で破壊されたであろう建物が、内部の構造を露出させて横たわっている。
私がそれを何気なく見つめていると、媼が傍から言った。
「あそこの建物はね。昔は時計屋だったのよ。お店の主人とも仲が良くて。話がとっても上手なの。機械たちが攻めてくるって聞いて、他の人たちと一緒に逃げて行ってしまったけれど……。私はあの人の事が好きだったわ。優しくて、商売上手で。人ったらしなのよね。あの人。私の事を最後まで案じてくれていたわ」
「媼は、逃げなかったんですか?」
私がそう言うと、媼が私の横顔を見る気配がする。
私は彼女の視線を受け止めながら、言葉を待った。
媼が言った。
「……そうね。私がここで宿屋をやっていたのは、そこに住む人たちに必要とされていたからだった、そんな気がするわ。
でも、爆弾が飛んできたり、機械たちが住民たちを排斥してしまったら、私が宿屋としてここにいる価値も意味も無くなってしまう……そのことは重々分かってはいたの。だからこそ、皆、あの人も……、私の事を最後まで誘ってくれたのよ。
トラックの荷台はまだ空いていたわ。何人も乗れるぐらいにはね。
……でも、何故か私は、その空いている座席からは、希望みたいなものを見出せなかったのね。抽象的な話だけれど。
大丈夫? こんな話、退屈じゃないかしら?」
私は首を振って答える。「いいえ、全然」
媼は話を続ける。
「……私がここにい続ける理由。防空壕、地下避難所みたいなものを作ってね、色んな人にも手伝って貰って。初めはボロボロにされていたの。機械たちにね。
でも、それから頑張って、殆ど一人で元通りにしたの。
世界が変わってしまって、昔とは違うことも分かってはいたの。でも、ここの宿屋だけは、捨てる気にはなれなかったわ。何度機械が来たって、私には分かっていたの。
私がこの家から離れる事がないって事を。
そしたら、また新しいお客様が来てくれるようになったのよ。
何故かは分からないけれども。
おかしいでしょう? もう誰もこの街には住んでいないのに、新しいお客様だけは、毎年、決まって訪れてくれるのよ。さっきみたいな運搬人の人も、あなたみたいな仕事をしている人も含めて、ね。
変な話だけど、私は幸せだわね。こうして新しいお客様と関わることができるようになって」
私は気になって、間を置いてから聞いた。
「……その新しい人は、いつも来てくれるんですか? こんな辺鄙な場所に」
私が振り返ってそう言うと、媼はあの真珠のようなつぶらな瞳でにっこりと微笑むと、確信に満ちた口調で、答えた。
「ええ」
窓の外で、鋭い雨が落ち始める音が聞こえ始めた。
扉の外で、何か大きな物が動く音がし、私が身じろぎをすると、扉が徐に開いた。
鈴の付いたドアベルが揺れて、カランコロン、と、軽妙ながら大きな音を立てた。
音を立てたドアベルの下に、大きな機械が立っている。
いや、顔の付いたその機械は、機械というのにはあまりにも、人間に似過ぎている。
それは私のよく知る姿であり、とても馴染み深い存在でもあった。
裸一貫の機械は、ポタポタと先程から降り始めた雨滴を、磨き上げられたフローリングの上に落としながら、こちらへと一歩一歩、ゆっくりとした歩速で歩いてくる。
私は、腰の後ろに手を回し、銃をすぐに取り出せるように触れながら、その機械の動きを注視する。
私が見つめていると、媼が微笑んで、それに応対するのが見えた。
「あら、お帰りなさい」
もの言わぬ機械は、剥き出しの金属から、雨の滴を滴らせ続け、暫くの間台帳を見つめている。それから徐に腕を動かして、台帳の上に乗せる。記帳された私の名前の上に、雨雫が落ちて、紙が湿り気を帯びる。
機械は、ソレはーー、濡れる台帳の紙のことを気にする素振りも見せず、剥き出しの金属の指を少し動かすと、軽く頭を下げ、それからゆっくりと、階段のある道の方へと歩いていく。
機械の姿が見えなくなり、私が腰に回していた腕を下ろすと、媼が声をかけてきた。
「ねえ、素敵な機械でしょう?」
私は振り返り、彼女の真っ黒な、澱みのない瞳を見つめた。
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