備忘世界の運搬屋

星兎

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人間牧場

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 搾乳場と呼ばれるその場所は、入る前からどこか陰気な空気を漂わせ、その空気に濾過された甘ったるい匂いがその中に混じっていた。

 この場所は今までに来たことがなかった。放牧エリアでぶらついていた事しかなく、無意識かもしれないがーーこのような建物から自分の足を遠ざけていたのかもしれなかった。

 一歩踏み出し、室内の空気に触れる。

 部屋の中は薄暗い。左側には巨大な丸い形のタンクのような物が置かれており、それが幾つも並んでいた。

 私がそのまま歩かないでいると、傍からニッカが顔を出し、私の目を見つめて言った。

「初めてなんですか? でも、そんなに怖がる必要なんてないですよう? ただの搾乳場、家畜のお乳を絞っているだけですから」

 私は首を振り、再び足を前に出す。

 足が重い。足が、腕が、この先に行く事を強く拒絶している感覚が、はっきりと伝わってくる。

 私は深く息を吸い、その甘ったるい空気を吸い込み、それからそれらの匂い全てを吐き出すように、吐いた。

 気付けばニッカが先に立ち、歩き始めていた。

 彼女が言う。

「ここは絞ったお乳を貯めておく容器があるだけで、あまり面白くはありませんね。こちらで、実際に絞っている様子がご覧になれますよ」

 そう言いながら、ニッカはタンクの曲がり角を右に曲がり、奥へと向かっていった。

 私はその様子を見つめていたが、ここに立ち尽くしていても仕方がないと思い直し、再び歩き始めた。




ーーーー

 人の声が聞こえる。甲高い声だ。囁きのような、喘ぎのような。呻き声のような、そんな、色々な性質の声が混ざり合った、特殊な音。

 私は彼女に付いて曲がり角を曲がり、絶句していた。

 様々な身長、体型の女性が、カプセルの中で縦に大の字に固定され、胸に何かを取り付けられている。女性達の乳房は皆、一様に張り詰めたように膨らんでいて、その乳房を全体に覆うように、お椀型の機械が取り付けられていた。

 私は目を逸らしたくなる自分を何故か自制し、今見えている光景を瞳の奥に焼き付けようと必死でいた。

 ニッカが柔和な笑顔を浮かべ、私を見つめる。

「どうです? 結構な数でしょう。皆、自慢の仔たちなんですよう。この間、お乳を商人の方に買い取ってもらって、大きな機械都市が主催する大会で賞を取ったとか何だとか?

 ……いいですよねえ。丹精を込めて育て上げた仔達がこうして頑張ってお乳を出して、それが評価されるなんて……。素晴らしいじゃないですか。そう思いませんか?」

 私は無言で彼女の自信に満ちた表情を見つめ、それから何も言わずに彼女達が閉じ込められているカプセルの一つに向かって、歩いていった。

 その中には一人の女性がいた。まだ若い女性だった。二十代半ばといった所だろうか。だが表情は乏しく、苦痛というよりは諦観を浮かべている、虚ろな瞳をしていた。

 私は黙って顔を覗き込み、表情を見ようとする。私が何故そんな事をしているのか、背中に走る冷たい焦燥感のような物に強く何かを急かされているような感覚を持ちながら、私は自分でも理解できていなかった。

 私は後に後悔する事になる。あんな事をするべきではなかったのだ、と。

 だが未来の私はこうも反駁され、返す言葉を失うのだった。

 何故? と。

 何故、見てはいけないのだ? と。

 今の私は、女性の虚な瞳を見つめるだけで、ある種一つの満足を感じているのを自覚していた。

 と、女性の瞳が唐突に左右に動き始め、それから、暫く辺りを彷徨っていた瞳孔は、ついに私を捉え、それから動かなくなった。

 理性の働いていない瞳だった。

 相変わらず、女性の胸に取り付けられた機械が、彼女の張り詰めた胸を搾り取り、その動きの度に、彼女の表情が引き攣る。

 私が何か声をかけようか、と思った矢先、女性が突然、叫び始めた。

 私は思わず飛びすさり、距離をとった。

 その叫びは、獣のもののようで、言葉の形を為していなかった。ただ内側でのたうち回る激しい生き物に突き動かされてその先端を覗かせた、感情の片鱗。

 その感情。その感情は古い私の奥底にも馴染みがあるもので、ただ、その時には決して表には出されなかった類のものだった。

 魂、心、身体のすべてから作られた、誰にも否定することが許されない、世界の理を否定するべく存在している叫びだった。

 彼女の瞳は、私のことを捉えて離そうとしなかった。

 私は彼女の前から離れ、タンクの側に行き、もたれかかる。

 ニッカの気配がした。

「大丈夫ですか?」

「え、ああ……大丈夫」

 ニッカが満面の笑みを見せ、言った。

「お疲れなら、現在絞っているお乳の搾りたてをお出しすることもできますが。元気になりますよ?」

 私は間髪入れずに言った。

「いや、いい」

 私は恐らくは乳が入っているのだろうタンクにもたれるのを止め、自分の足で立ち上がる。だが、自分の足が自分のものではないような感じだった。

 私は顔を上げ、ニッカを見つめる。彼女らが閉じ込められているカプセルを見ないようにしながら。

「もうここは満足したから、外に出たいんだけど……、良いかな?」

 許可など必要ないとでも言いたげに、彼女は笑顔で答えた。

「ええ、またのご利用をお待ちしております。運び屋さんが運んで下さるキュロス・エネルギーのお陰で、この搾乳場も稼働できています。いつもありがとうございますの気持ちを込めて、製品化された最新の人乳をお渡ししたいのですが。

 どうでしょう?」

 私の頭の中で、カルネの声で「珍味」という言葉が再生されたが、私はその声を乱暴に打ち消し、首を振った。

「また今度。心遣いありがとう」

 ニッカは満面の笑みを一切崩さず、言った。

「いえ、またのご利用をお待ちしております!」

 私は搾乳場を後にし、外に出た。


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