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酸性雨の街
□
しおりを挟む私は男の顔を見つめたまま、動かなかった。少年もまた動かない。が、少年の場合は恐らく私とは全く別の理由からだろう。
恰幅の良い男は、テントの中に入って来て、巨壁のように聳え立っている。後ろの瓦礫の街はその体で全く見えなくなった。
私は何も言わずに男の挙動を見つめていた。男は腰の辺りのポケットから、何やらジャラジャラと音のする物をぶら下げている。銀色に光るそれは、鍵のようにも見えるが、更に詳しく観ようとした所で、男が声を張り上げた。
「おい、エル坊。こいつは誰だ」
エル坊と男に呼ばれた少年は、明らかに狼狽した様子で、口を開け閉めし、返事が遅れる。
すると男は少年を裏手で張り、ピシャリという激しい音が響いた。
私は視線を少年と男とに泳がせ、状況を見定める。
男が言う。
「何とか言えねえのか。お前らが俺のいない間に、勝手を働いたんだろうが。説明ぐらいしたらどうなんだ?」
「その説明は私がします。どうか落ち着いて下さい」
私は口を挟み、男と少年が私の方を見る。
体はまだ動かない。私は落ち着いた気配を醸し出し、空気をコントロールしようとする。だが、攻撃的な男の様子が変わる気配はなかった。
男が焼けたようなダミ声で言う。
「あんたが説明するって? そもそもあんた、ここがどういう場所か分かってここにいるのか? どこの所属だ。勝手を働かれちゃあ困るんだよ、こっちとしちゃあ」
「そうですよね」
と私は言い、それからゆっくりと時間をかけてから、少年の方を見て、言った。
「実は、この近くで事故をしまして。怪我をして気を失っていた所、この子達が助けてくれたんですよ。私はこのテントから出ていませんし、あなた方に危害を加えるつもりもありません。
怪我が癒え次第、すぐに出ていきますから。ご心配なく」
男は私の言葉を聞き終わると、先程よりも小さな声で、少年に聞いた。
「消毒薬は使ったんだろうな」
少年は震えながら頷き、はい、と言った。
すると男はケッ、と吐き捨てるように言うと、背中を向けて、言った。
「ここは他所者が来て良い場所じゃねえ。お前さんが誰なのか、後でじっくりと聞かせてもらうからな。……あんた、見た所、女だな」
「そうですが」
私は動かない体を意識しながら、油断のない気配を漂わせ、目線を外さない。
男と私の視線が暫くの間ぶつかり、沈黙が流れる。
それから、出し抜けに男が言った。
「まあ、女でも旅ぐらいはするか。後でまた来るからよ、その時詳しく話を聞かせてもらうわ。
おい、エル坊。仕事だ。来い」
「あ、はい……」
エル坊と呼ばれた少年は出る前に私の方を見たが、私も見つめ返すことしかできなかった。
彼は男の後を付いて、雨合羽を着込み、テントを出ていく。
雨は少しばかり勢いを増したらしく、男が毒付いている声が聞こえてきた。
少年と男の声は間も無くして聞こえなくなり、後には酸性の雨と地面の溶ける音、そして瓦礫の景色だけが残され、私は独りになった。
腰に手を回す。
銃はない。恐らく手当ての際に外されたのだろう、だとしたらここの近くにある筈だ。
銃も、荷物も、バイクもない。
あるのは動かない体と、この腕だけ。
私は義手を動かし、手首の辺りをじっと見つめた。
ーーーー
男は確かに戻ってきた。酸性雨が勢いを少し弱め、私は状態を起こしたまま、僅かな間だが、眠っていた。
子供達とは違う、歩幅が広く、そして空気が重たい。
雨が男の影を避けて落ち、その度に気配が少しずつ揺れ、変化してゆく。
私はその気配で目を覚まし、男がテントの入り口に現れる前に、その場所を見据えていた。
男からは酒の匂いがした。片手には白色の長いガラス瓶のような物を持っており、その中で透明な液体が揺れている。恐らくは酒だろう。
酸性の街の匂いと、男の醸し出す獣のような匂いの中に混じる酒の匂い。私は少しだけ動くようになった右腕を持ち上げ、軽く振った。
「どうも、管理人さん」
それを聞いて男は少しばかりびくりとしたが、「起きていたのか」と言うと、雨合羽を脱ぎ始め、ハンガーに掛け、紐に吊るす。
私のコートを引き寄せると、顔に寄せ付け、匂いを嗅いだ。
満足できなかったのか、舌打ちをし、私の方を見、ドスのきいた声で言う。
「……女が一人でこんな場所にいるってことは、どうなるか知ってるってことだよな? ん?」
「……さあて、ね。男が考えることは大体知ってるつもりだけどね。私はあんたと話をすると思ってたんだけど」
ちら、と男がテントの入り口の方を見やり、それから顔を戻す。
「さっきなあ、あいつらから話を聞いたんだがよ。お前さん、体もろくに動かせないんだってなあ。だからよ、他の奴らが来る前にやっちまおうかと……ぐっ」
「男が考えることは大体知ってるって言っただろう」
男の顔は私から二メートルは先に突き出されていた。私の瞬間的に伸ばされた左腕が、男の首を捉えている。パチン、という音が響き、私は右手で左腕を抑えている。
カルネの整備してくれた特別製の義手は、無事に機能してくれた。彼女の技量を疑うわけではないが、転倒した衝撃で故障していても不思議ではなかったから、私は胸の内で安堵する。
だが表面ではそんな事はおくびにも出さず、私は伸長された鋼鉄の首輪に吊るされ、空中に浮かんでいる男に、威嚇的に大声を出す。
「私は話をする気だって、言っただろうが‼︎」
男は初め、首を捉えた鋼の腕を必死で外そうともがいていたが、顔が鬱血し始めると、最後には懇願するように義手を手で叩き、絞り出した声で言った。
「……分かった、すまなかったから……離して、くれ……」
雨に打たれている男の乏しい髪から、湯気のようなものが見え始める。そして私の義手からも。あまり外に出している訳にはいかなかった。
私は左手首のボタンを操作して、男を離した。そして、伸ばしていた腕を元の長さへと戻す。
テントの外で喘いでいる男に向かって、私は言う。
「私を子供達のいる所に連れて行け。そして私達だけにしろ。首を切り離されたくなければ、言う通りにしろ」
男は首に手をやりながら、言う。
「ば、化け物が……」
私は化け物じゃない。
サラの顔を思い出す。カルネの笑顔も。ザックの瞳も。そして、髭面の顔の男。
「手を出そうとしたのはそっちだ。さあ、私を子供達の所へ連れて行け!」
そう言い、私は激痛に耐えながら、体を起こし、ハンガーにかかったコートを外し、羽織った。
酔いの覚めた男が、こちらを驚きと悔しさを混ぜたような瞳で見つめていたが、やがて、立ち上がると、私が投げたカッパを着込み、歩き始める。
身体中が悲鳴を上げ、痛みで頭が狂いそうだったが、私は至って平気そうな素振りで後をついて行く。男が時折、信じられないものを見るように何度も振り返って見てくるからだった。
銃が必要だ、と私は思った。こんなにも銃を、荷物を恋しいと思った事は随分久しぶりだ、とも。
男はまだ首元に手をやり、時折咳き込みながら、やがて瓦礫の下に穴が開いている場所へと、私を案内した。
男が立ち止まるので、私は首を動かし、男に先に行くように促す。
男は悔しそうな厳しい表情を浮かべ、ハンドライトを付け、穴へと降りていく。キュロス・エネルギーで照らされた穴の奥は、土と埃が支配しているが、暫くトンネルのような道を歩いていると、やがて光の気配がする。
天井付近に、生き物の気配と、唸るような音。
男はその光が強くなっている、穴の空いた出口から、その場所へと上がっていった。
私も後に続き、その場所に出た。
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