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海鳴りと賢者
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しおりを挟む腹に響くような硬い音がして、目を開けた。
目の前には円形のゲートがあり、それが貝が口を開くように滑らかに動いていく。ポッドは音もなくその中に入り込み、全体が通路の中に入った所で、背後でゲートが閉まる音がした。
通路の中の水が排水されていく、シュー、ゴポゴポという音が聞こえている。
完全に水が排水されるのを察知したポッドが自動的に入口を開く。私はバイクを押して、通路に出て、その先に見える扉まで歩いていった。
コンコンとノックをすると、奥から「入っていいよ」という軽い声が聞こえて、私は扉を開いた。
明るい暖色照明が中を照らしている、淡く光る室内が見えてきた。
私は中へと入っていった。
ーーーー
コーヒーのいい匂いが部屋を包み込んでいる。私は束の間その匂いに酔いしれ、それから思い出したようにリビングに入っていった。
博士は台所でコーヒーを淹れている所だった。
そこに置いていい、と言われたので、バイクをリビングの隅に置く。
博士の家。
リビングは大きな丸い窓が付けられていて、窓の外には淡く青い光を放っている海中の景色が見える。時々細長い魚達の群れが横切り、遠くの方に岩場や海藻の姿があった。
その前に置かれた大きな革張りのソファに私は腰掛け、博士を待つ。
やがて博士が二人分のカップを両手に持って、リビングへとやってきた。
中央にある楕円形の透明なテーブルの上にカップと、砂糖とミルクの入った小瓶を置き、博士はふう、と息をついて、向かい側のソファに腰掛け、コーヒーを一口啜った。
私はどう切り出したらいいか分からなくて、暫しの間沈黙していた。
何気ない口調で博士が言った。
「さあ、とりあえず、あなたに何があったのか、それを話してもらおうか」
そう言われ、私はこれまでに起こったことを、出来るだけ簡潔に物語った。
私の一連の話を聞き終わると、博士は何度が頷いて、それから満足げな笑みを口元に浮かべて、言った。
「……そうか。ゴードンがね。私も知ってるよ、あいつのことは。情報屋繋がりでね。嫌なやつさ」
「彼とお知り合いだったんですか?」
「大した付き合いじゃない、というか、会ったことすらない。でも、嫌なやつなのは確かだ。隙あれば私の居場所を特定しようとしてくるし、自分の為に研究するよう強要してくる。それを人類の為だとかいう安っぽい義侠的論理にすり替えるような、まあ、つまらん奴だよ」
「……私が今まで会った彼は、本物の彼ではなかった。今回の彼が、本当の姿だったということですね。……私も未熟でした。あんな腹を持って接して来てたとは、気づかなくて……」
「人間はどこまで行っても未熟なものだよ。完璧でいようとしないことだね。土台無理な話だ」
そう言うと博士は角砂糖が入った小瓶を開けて、数粒淹れて、スプーンでかき混ぜた。
海の底はしんと静かだ。余計な音がしない。時々泡がコポリと立ち上るような音がするだけで、穏やかなる沈黙の姿をしている。
だが、居心地が良い。音がしないのに、こんなにも気分が安らぐ気がするのは、一体何故なのだろう。
博士が言った。
「まあ、あんたも色々と考えて行動してるってのは、私にも分かるよ。昔から、考え事が多い子だったものな」
「博士は私のことを、軽蔑していませんか」
「何故?」
「私はキュロスを殺してそれを商売にしています。博士の信条には反するはずです。……お話とは、その事なのではないかと思っていましたが」
ふう、と博士が重たそうに息をついた。
「あのねえ、ヴェロニカ。私は研究とそれ以外の事を、しっかりと分けている。……確かに、私はキュロスを愛しているし、死んでほしくもないと思っている。しかし、それを仕事にする人間がいることも、別の話だと理解している。まあ、そりゃあ死んでほしくはないけどさ。でも、必要としている存在がいるのは世界の一つの側面だから、それはそれで尊重はするのさ。
そんなこと、気にしてたの?」
私は博士との間に壁を感じていたことを、何気なく口にする。
すると博士は包み込むように笑い捨てた。
「なんだよ、それ。私がキュロスを愛してるのと、あなたの事を否定するのと、話は全然違うじゃん。私とあなたは違う人間なんだから。気にする必要なんてなかったんだよ。まあ、それはそれとして、ヴェロニカ……。
あんた、旅をしていて、気付いたことはない?」
「気づいたこと、ですか?」
「そう。キュロスからエネルギーを採取して、運ぶ。旅をする中で、漠然としていて良いから、何か引っかかることというか、気になることというか。
何がしかの共通点みたいなものを感じる経験、とでもいうのかな。そういうの、ない?」
私は少し考えてから、言った。
「……私がこれまで訪れてきた場所では、機械達が人間のような振る舞いをしていたり、しようとしているなとは感じていました。言葉にするのは難しいのですが、彼らはどこか、人間に憧れているんじゃないか、とか、そんなことを思ったりすることもありましたね。
……あとは、すみません。ちょっと分かりませんね」
博士は軽い調子で流した。
「ああ、成る程ね、機械達が……。確かに、最近の研究と古代の資料から、機械達の行動にある共通するパターンが見られることは指摘されている。
君の言ったように、人間を模倣する機械達の存在。そして人間のような社会を形成する機械達。彼等が何故そんな事をするのか、その理由はまだ明らかにされていない。手頃な機械を捕まえて、大規模なサンプル集めでもしないと、研究は進まないのだろう……。
まあ、それはそれで非常に興味深いことなんだが……今は、だ。ヴェロニカ。私が最近、気になっていることがあるんだけど、それはなんだと思うね?」
少し考えてから、私は答える。
「やはりキュロスのことでしょうか?」
博士は嬉しそうに指を鳴らした。
「ビンゴだ。私はキュロスの事には目がないからね。で、最近私は表に出て積極的に活動してみた。色々と資料を集めてみたりしてね。……で、最近そうなんじゃないかと推論を立てたことがあってね、これだ……」
博士が立ち上がり、別の部屋に行く。
少しして戻ってきた博士の両手には、二つの種類の違う生き物の死骸のようなものが乗っていた。
その片方が何なのか、私にはすぐに分かった。だが、もう片方は……。
「これが何なのかは分かるね?」
私は唾を飲み込んで、言う。
「キュロスですよね?」
「そうだ。じゃあ、もう片方は?」
二つとも、細長い脚を甲羅の内側に丸めるようにして固まっているが、片方の死骸には、キュロスにはない明確な特徴があった。
だが、私は薄寒い可能性を感じ取って、それを口に出すのを思わず躊躇った。
私の気配を察してか、博士はたしなめるような口調になって言った。
「駄目だよ、ヴェロニカ。目の前にある確かな可能性に対して、目を背けては。君はそういう生き方を自分で選んだんじゃないか。違う?」
私は言葉を、何とかして絞り出した。
「……じゃあ、これは……もしかして……」
私が言おうとした所で、博士が遮り、私に厳しい目を向けながら、言った。
「そう、掃除屋だ」
掃除屋の死骸。
初めて見る、忌まわしい暴食の悪魔の姿。常に遠くから、安全圏からしか見ることがなかった、いや、見ることを避けていたのかもしれない、その姿。
それが、こんな……。
掃除屋の姿は、ただ一つの特徴を除いて、キュロスに瓜二つだった。
背中の甲羅から伸びる、一対の透明な翼を除いて。
背中に、冷たい嫌な汗が流れ、落ちていった。
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