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海鳴りと賢者
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しおりを挟む正直、海底に普遍さを保って流れ続けている沈黙が、自分にはありがたかった。もしも周囲が騒がしかったなら、かえって自分が沈黙している理由について強く意識させられていただろうから。
私は口を開きかけ、それから何も言えないまま、口を閉じた。
博士が手にキュロスと掃除屋を乗せたまま、私のことをじっと見下ろしている。
博士が口を開いた。
「私の推測だけどね、掃除屋は、見た限り、キュロスから生まれたーーと言うよりも、キュロスの変化した姿なのではないかと思っている。
心当たりはないかい、ヴェロニカ?」
私は沈黙を守った。
博士が溜息を吐き、二つの遺骸をテーブルの上に優しく置いて、それからカップに新しくコーヒーを入れて、持ち上げた。
「まあ、衝撃は大きいだろうね。思っていた通りの反応だ。無理はない。私も、この死体を初めて見た時は、そんな反応だったよ。本当に驚いた。
世界各地を巡回し、生命を貪り尽くす恐るべき嫌われ者が、まさか私達の生活を支えてくれている存在と、瓜二つの姿をしているなんて。
何とまあ、世界は残酷な様相を持っているのだろう」
私は何とか言葉を紡ぎ出し、文章にした。
「……博士は、これをどこで手に入れられたのですか?」
「知り合いの運び屋から、ちょっとね。研究資料にどうかって言われて、興奮していたから言い値で買い取ったんだよ。でも、この羽は本物だ。作り物じゃない。解析して分かったんだけれども、キュロスが死骸になった状態と共通項があまりにも多くて驚いたんだ。この死骸は、あなたもよく分かっている通り、どこでも手に入れることができるものだ。廃墟ならね。
……で、あっと、もう少し話を続けても良いかな? 大丈夫かい?」
私は深く息を吸い込み、それから思い切り深く吐いた。
顔を上げ、博士の目を見直し、私は答えた。
「はい、大丈夫です」
博士は少しばかり微笑んでから、話し始めた。
「じゃあ、続けるとしよう。
私の立てた推論によれば、両者はとても似通った存在であり、しかも解析によると、この両者の存在時期は同時期である、つまり現在、キュロスと掃除屋は同時に存在しているという事実が分かっている。これは、いいね?
で、だ。私はふと、あることを考えたんだ。
キュロスはエネルギーを奪われた後、本当に死んでいるのだろうか?
もしかすると、その続きがあるのではないか、とね」
私は先ほどからずっと感じ続けている可能性に触れ始めた感覚に、怖気を感じ、心が震えたのを知る。だが、何とか堪え、言葉を絞り出し、私は言った。
「……博士は、掃除屋がキュロスの延長上の存在だと考えておられるのですか?」
そう言うと、博士は露骨に目を丸くし、口調を変えた。
「驚いたね。相変わらず君は鋭いな。世界をよく観ているだけはある。
その通りだ。本当は、自分の口からその可能性を口にしたかったがね……。おっと、謝らないでおくれよ、軽い冗談さ。
……私は、長年キュロスという存在と向き合い、この世界のエネルギーの変質と、その転換点について思いを馳せてきた。その中で分かってきたのは、キュロスは元々この世界に存在していた者ではないという事実だ。
恐らく、いや確実にそうだろう、キュロスは最終戦争で使用された数多くの殺戮兵器の余波によって生み出された、突然変異種であるということ。
そして、私達人間が幾年もの間慣れ親しんできた電気やガスといったエネルギーが消失し、別の形のエネルギーがその中に宿ったということ。
そしてそのエネルギーは、かつて利用されていたエネルギーと比べて、非常に高いパフォーマンスを持っているということ。持続時間を含めた、エネルギーの持っているパワーの大きさが桁違いに高いんだ。
そして、キュロスは人間たちによって、または機械たちによって狩られる者となった。それしか文明を作り上げる方法がないのだから、必然の結果だが。
だが、結果は過程でしかない。これは循環のただの一つの過程に過ぎなかったのだ。
キュロスはエネルギーを全て失った後、これは私の推論だが、いいかね、……キュロスはその身に翼を宿し、掃除屋へと変化する。そして、再びその身に十分なエネルギーを蓄えるために、生命体を求めて、世界中を飛び回ることになるんだ。
それが、キュロスによって支えられている数少ない人間のいる都市を襲い、その結果として、再び掃除屋はキュロスとなる。
循環は、恐らくこうして行われているんだ。
不思議に思わなかったか? 幾ら君達がキュロスからエネルギーを奪い取っても、次に再び訪れた時には、彼等は何故かいつもそこにいるんだ。まるで湧いて出たみたいにね。
それもその筈さ。何故なら彼等は、エネルギーを奪われた後、運び屋がそれをせっせと運んでいる最中に、同時に、掃除屋として再びエネルギーを得る為に、世界中を飛び回っているのだから。
君達がエネルギー不足に陥った時に訪れた廃墟でキュロス達がまたいてくれているのは、掃除屋として各地の生命体から命を奪った後だからだ。
そうしてまた、何も知らない機械と人間は、キュロスからエネルギーを奪い取り、都市は掃除屋に襲われる……」
博士が話し終わった後、部屋の中に名状し難い沈黙が流れた。
私は黙ってカップを口につけたまま、だが、一雫も飲み込めないで、動けないでいた。
私はカップを手元に下ろして、言った。
「じゃあ、運び屋の仕事は……私たち、いや……。私のやっていることは、無意味なのでしょうか。
彼等からエネルギーを奪うことで掃除屋を生み出してしまうのなら、そしてそれが生きている者たちの命を奪うのであれば、私達は、一体何のために……」
「不条理だな」
「え?」
博士は溜息をついて、眼鏡を外し、眉間の辺りを揉んだ。疲れたような声が返ってきた。
「昔、遥か昔、この世界には偉大な哲学者がいたんだよ。実存というジャンルを哲学の中で確立して、高い評価を得ていた哲学者がね。哲学って分かるかい? 平たく言うと、私たちが生きている理由、存在の理由。自分達が何者で、どこから来て、どこへ行くのか。そしてそれらを内包している世界とは何か、と言う抽象的な事柄について、馬鹿真面目に考える学問のことさ。
贅沢に思えるかもしれないが、生きている限り、そして人間が、意識を持つ存在が疑うと言う機能を持っている限り、ある種の救いをその学問は持っていたんだ。まあ、そんなとこだな。
彼等は確かに贅沢だったのかもしれない。今の我々には考えもつかない贅沢を享受していたのかもしれない。でも同時に、とても不自由で、生き辛く、苦しんでもいた。
彼等の内の一人が、不条理についてこう書いている。
『不条理とは、世界の属性でも人間の属性でもなく、人間に与えられた根源的な曖昧さに由来する世界と人間との関係そのものであり、理解を拒絶するものと明晰な理解への願望との、果てしない対決である』と。
翻訳には苦労したよ。何しろ全部が古代語だからね。筆者は不明だ。掠れて読めなくなっていた。いや、意図して破られたのかもしれない。
彼はこうも言っている。
『本当に人生が無意味であるならば、自殺は無意味な人生に対して唯一合理的な行いなのではないか?』
彼の出した答えは、『いいえ』だった。
『不条理なこの世界を解明することはできなくても、生きることを選択することで、人間の真の自由が最も表現される』とね。
『権力の力関係を覆しても、それは終わらない暴力のサイクルを生み出すだけだ』……。
どうだい、まるで今の私達の世界について言っているみたいじゃないか。面白いよね。時間世界の遥か彼方に生きていたのに、全く変わらない、普遍的な事を言っている。
私は生きるのが辛くなる時、これらの古代語を口ずさむことにしているんだ。
君はどうする? 運び屋。
いや、ヴェロニカという一人の女。キュロスが掃除屋であるという極めて高い可能性を前にして、君はどういう選択をする?
もっとシンプルに聞こうか。
君はこれから、どういう風に生きていきたい?」
その言葉が、ゆっくりと部屋の中に広がっていく。目に見えない塗料が拡散していくみたいに。
答えられない私の視界の端で、巨大な鮫が窓の傍を悠然と横切っていった。
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