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ー・閑話・空ろな心臓・ー
・
しおりを挟む槍のように鋭い雨が、街を強く打ち付けている。
かつて建物だったものはその原型をとうの昔に失い、瓦礫となっている。まるで巨大な怪物が、体を横たえたままそこで息絶えてしまったかのようだ。
大きな瓦礫の一つ一つを、所々にある溝に足を取られそうになりながら、慎重に進んでいく。
幾らか乗り越え、一番大きな瓦礫を超えた所で、目的の場所らしいものが見えてきた。
液晶タブを取り出して、瓦礫の頂上で住所を確認する。
人知れず頷き、タブレットを懐にしまい、瓦礫を降り始めた。
骨組みの露わになった建物と、瓦礫や水溜りの間に、小さなトンネルがあった。
そこが私の目指している場所だった。
中は暗く、数歩先も見通せない。
外の仄かな陽光だけでは頼りなく、私は懐からキュロス灯を取り出そうとした。
だが、その瞬間、トンネル内が急速に灯りを得て、明るくなっていく。
私は少し動揺したが、キュロス灯を懐に戻し、再び中へと入っていった。
奥に、何か身じろぎをするものが見える。
近づいてみると、それが幾人かの人間であることが見てとれた。
私が近づいていくと、髭を首元まで伸ばした老人が、手元の小さな灯りに横顔を照らされながら、私の方を見た。
「あんたが、運び屋の人か?」
「そうですが。あなたが依頼者の、ええと、アナグマの……」
「穴熊のレッド。ここでは単にレッドと呼ばれておる。早速で悪いんだが、エネルギーを運んではくれんか。こっちにけったいな発電機があるんでな」
私は頷く。
発電機というのは便宜的な言い方で、実際には電気が生まれるわけではない。
キュロス・エネルギーを変換し、機械に利用できる形にする変換器のことをそう呼んでいるだけだ。
老人に誘われる形で、薄暗い道を進んでいくと、意外にも、トンネルの脇の小道に結構な数の人がいた。
皆厚手の防寒着を着込んでいる。煙草を吸っているもの、酒を煽っているもの、かたや幼い子供もいて、その子は若い女性に手をしっかりと握られている。
トンネル内の脇にある出っ張った小道を行くと、右手に空洞が見えてくる。老人はそこを迷いなく通り、その中に姿を消した。
私も、エネルギー缶を持ったまま続いていく。
薄暗い、人一人分程の小さな空洞が続いていて、キュロス・エネルギーの青白い光が、壁に付けられた灯りから放たれて、中を淡く照らし出している。
足元はぐずついていて、重たい泥が堆積している。
「掃除が行き届いておらんで、悪いな」
老人が自嘲するような笑い方で、そう言った。
私は特に気にしていないように、軽く相槌を打つ。
奥に行くに従って、道が分岐しているのが分かる。この道は人工の物なのだろうが、トンネルというよりは、土管の中のようだ。
老人が腰を曲げた姿勢でそのまま左へと進んでいく。右側には灯が付けられておらず、先を見通せなかった。
少し登りになって、進む。
進むにつれて、前方が明るくなってくるのに気が付く。
老人がよっこら、と言って、最後の段を上がったのが見えた。
広い場所に出た。
高い天井は、石でできた円蓋で、酷く古びてはいるが丈夫そうに見える。
足元は石畳で、若い女性や子供、男達が、その上に敷物を敷いたり、椅子を置いたりして、体を休めている。
皆、私に不審と安堵感とが混ざった視線を投げかけてくる。機械ではなく人間であったことに、少しだけ安心するのだ。
老人は彼らに向かって軽く手を上げてから、更に奥へと歩いていく。奥にはまだ階段があり、そちらへ向かっていく。
左側を一瞥する。そこには遥か昔に打ち捨てられた、線路と奥へと続く暗闇の空洞があり、ここがかつて、地下鉄として機能していたことを暗に示している。
彼らは、硬い床の上に直に薄い敷物を敷いて座ったり、机の上の図面を睨んでいたりして、その姿は、人知れず何かと闘っているような、そんな風にも見えた。
老人が先の方で待っている。
奥に変換器があるのだろう。私も急ぎ足になり、老人に追いついた。
老人は変換器に触れながら、言った。
「こいつは年代ものでな。ここに住んでいる者たちを、昔々から守ってきてくれた、大切な仲間なんじゃ。
お前さんの運んで下さったエネルギーで、こいつが生き返るといいんだが……」
「多分、大丈夫ですよ」
私は言う。「ちょっと、退いていてください」
変換器は確かに古びていた。かしこが錆び付いているし、接続部分がほつれていたりしているが、それでも全体的な機能という点では問題なさそうだった。
私が懸念していたのは、そのことではない。
私は何も言わず、老人と人々とが見守る中で、エネルギー缶にコードを接続し、変換器に差し込んだ。
何度か鈍い抵抗があったが、やがて接続が出来、変換器が嬉しそうな音を立て始める。
エネルギー缶の残量メーターを見ていく。80、60、50、49……。
変換効率が悪い。私は反射的にそう思ったが、口には出さなかった。
変換器の許容量を満たしたと判断し、コードを取り外す。
老人に軽く微笑んで、私は言う。
「はい、終わりました。これで暫くは大丈夫でしょう。じゃあ、報酬の方を」
老人は分かりやすく、動揺した素振りを見せた。
「ああ、それなんじゃが……」
そう言って、階段の先の広場を見る。
私は毅然とした声音を作り、続けて言う。
「報酬が頂けないとなると、私はここから、必要な分だけのものを頂いて行かなくてはなりません。言い換えれば、現金と同等の価値があるものです。
それが今、あるでしょうか?」
老人が、指をパチンと鳴らし、広場の方を見る。
すると、赤子を胸に抱えた女性が、しずしずとこちらへと歩いてきた。不安げな顔をを浮かべている。
私は溜息を吐く。
「それは、ダメです。私は生き物を必要としていないのです。申し訳ないのですが……」
「しかし、若い人間は高値で捌ける。赤子ともなれば、貴重じゃろう?」
老人の瞳には言い知れない悲哀の中に、絶望的な憂いが混じっている。小刻みに揺れているその瞳から、私は目を逸らす。
赤子を抱いて不安げな表情を浮かべている女性を、私は見た。
「あなたは、覚悟が出来ているんでしょうか? 失礼ですが、私の眼にはそうは見えない」
女性は声を震わせながら、言った。
「……わ、私は、覚悟が出来ています。何なりと、ご命令ください。私はその通りに動く、決意があります。
……こ、この子だって、きっと、分かってくれます」
私は淡々と述べた。
「その子には、決定権がありません。その子は、自分が預かり知らない内に、絶望的な場所で生まれ、そこで一生とも呼べない時間を、機械たちの家畜として過ごし、脈絡なく殺されるだけです。機械たちが、どのような人間を用いた産業形態を営んでいるのか、ご存知だと思いますが」
「……運び屋さんには悪いが、私たちには他に術がない。悪いとは思うが、これでも、生きるために必死なのです」
「報酬が支払えないのでしたら、依頼など、そもそもなさらない事です。トラブルになるだけです」
「それも承知の上です。運び屋のヴェロニカさん、いや、伝説の戦乙女。どうか、今回だけは、私達にお恵みを下されませんか。人類の為だと思って。報酬は必ず、次回までにお支払い致します。
どうか、どうか……!」
私の舌打ちが、空洞内に響く。
「その頃には、あなた達は居場所を変えていますよ」
男の一人が、声を張り上げた。
「さっきから聞いてりゃ、あんた、人間の癖に冷た過ぎるんじゃねえのか? 人間が目の前で困ってんだぞ? 運び屋だか、何だか知らねえが、恵まれた身分で生まれて、機械にも目をかけられて、さぞ生きるのが楽だろうよ。
俺たちみたいに恵まれない人間の気持ちなんて、分かる訳がないんだ!」
広場で図面と睨み合いをしていた男だった。
私は背筋を伸ばし、淡々とした口調で言う。
「私は、機械の為にも、人間の為にも仕事をしていない。
私は、自分の為に生きているし、自分の大切なものを守るために生きている。そういう生き方を守る為に、自分でこの仕事を選んだんだ。
あなた達からすれば、私は確かに恵まれているように見えるだろうが、それは誤解だ。私の今の身分は、殆どが自分の力で掴み取ったものだ。あなた達に文句を言われる筋合いはない。
……お金に変わるものがもし、その女性と、赤子なのでしたら、私は受け取れません。
この場所から、別の対価を探さなくてはなりません。
無礼は承知の上ですが、これも仕事なのです。ご理解下さい」
「そうはいかないのです。ヴェロニカさん」
男達が、広場へと通じる階段の入り口を、木を削った槍を手に、塞いだ。
「どうしても、マリカと、この子の命とで、対価として頂かなければ、仕方がないのです。もし、そう出来ないと仰られるのでしたら……」
「……出来ないと仰られるのでしたら?」
「あなたにも、我々と同じ身分になってもらうしか、ありませんな」
老人が、言い終わるか否かのタイミングで、男達が女性と子供とを押し退け、私に突進してきた。狭い坑道。私が避けられるスペースなど、どこにもない。
不意に、高笑いの衝動が浮かび上がってくる。私は束の間、反射的にその衝動と感覚に心の全てを預け、何度も繰り返して、既に擦り切ってさえいる動作ーー殺しの道具を抜き出す動作ーーを行った。
トンネルの壁を通り抜けて、何かの音が街の奥へと響いていった。
ーーーー
最近、こういうのが多い。
依頼は基本的に、前払いができない。まあ、そのせいもあるのだろうが、最近の私の依頼の選び方自体に、問題があるのだろうとも思う。
うまくいく見込みのない依頼ばかりを、自分が自然と選んでいるのではないか。無意識のうちに。
いや、無意識の求めるままに。
手の中には、知らない人間の血糊が残り、それは銃にも、未練がましくへばり付いている。
槍のように強く降りしきっていた雨が、急激に勢いを弱め、サラサラと瓦礫の上に落ち流れていく。
両の掌を広げ、その弱まりきった雨を、柔らかく受け入れる。
誰かの液体で染められてしまった真っ赤な掌が、ゆっくりと、だが確実に、雨によって分解され、元々の肌の色を取り戻し始める。
瓦礫の頂の上に、しっかりと立ち、私は叫んだ。
雨が頬を伝って、流れていく。
聴くものを失った街、孤独な頂きの上で、私は独り、叫び続けた。
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