狼王の贄神子様

だいきち

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「くそ、最悪。伸ばしてたのに」

 白い美しい髪を無造作につかんだハニは、随分と不機嫌に見えた。見れば、長い髪が電流に当たって焼き切れたらしい。重そうな靴を履いた足で、気だるげに歩いてくる様子は、あのジャンを倒したとは思えないほどに小柄だった。

「あ、は、ハニお疲れ……さっきの、すごかったね」
「何、あんた……ああ、これから出るひと?」
「いや、俺じゃなくて後ろの、って……ええ‼︎」
「うるっさい、でかい声出すなっての」

 徐に取り出した短剣で、ハニは長い髪を切りさった。それはもう、男気を感じるほどの潔さであった。あっけとられるフリヤの横を通り過ぎる。屑入れに切り取った髪を入れたハニは、すっきりとしたうなじを晒すようにして髪の毛に触れた。

(あれ、噛み跡……)

 フリヤの目がとらえたのは、噛み跡だった。まだ薄桃色のそこは、皮膚が形成されつつあるようだ。番いがいるのだろうか、思わず無意識に視線が後ろ姿を追った時、ハニのうなじを隠すように、黒皮の手袋が噛み跡を覆った。

「思い切りが良すぎる、そう言うところに男気を出すものではない」
「……長い方が良かったかよ」

(あ、これ……多分みちゃいけないやつだ)

 じわりと耳の先を赤くしたフリヤが、慌てて背を向ける。その噛み跡が誰のものなのかを、しっかりと理解してしまったのだ。
 思わず、隣にいたニルにぶつかった。迷惑そうな顔で見られ、小さく謝る。
 そんなフリヤのドギマギした様子を前に、ニルはため息をついた。

「童貞、他人の恋路に反応すんなよ」
「ど、おま、だ、だって」
「鈍ちん、ヘルグから威圧向けられる前に落ち着け」
「ぅぶ、っ」

 フリヤの肩を抱き寄せたニルが歩き出す。ピリついた空気を背中に感じて、フリヤはわかりやすく鳥肌を立てた。
 多分、ヘルグの見られたくないものを目にしたのだ。ハニのうなじに刻まれた、独占欲の証。番いや、恋人がいないフリヤが、ヘルグの無意識の威嚇に晒されている。
 
「落ち着け、ハニが宥めてる」
「う、うん」
「後ろ向くな。過呼吸になても知らねえぞ」
「ごめ、ん」

 乾いた喉を誤魔化すように、唾液を嚥下した。
 意味深にフリヤを見つめてくるニルの視線に居心地の悪さ感じれば、どうやらフリヤは自覚なくニルの服を握りしめていたようだ。

「ごめん!」
「人の服で手汗拭くなバカ」
「拭いてねえ‼︎ ったく、もうお前頑張ってこいよぉ‼︎」
「いっでぇ‼︎」

 ニルの指摘に、ついむかっ腹が立って思い切り背中を叩いてしまった。
 ゲホゲホむせたニルがこめかみに青筋を浮かせていたが、ヘルグほど怖くはない。
 次の出場を期待するやかましい喧騒の中ニルを送り出したフリヤは、手で庇を作るようにして玉座を見上げた。

(なんか、一人で座ってんの寂しそうだな)

 目線の先には、狼のネメスをつけた褐色の肌を持つ獣人がいた。粗野な見た目からは想像もつかないほど、物腰が柔らかいのを知っている。

 西門への配置換えを希望した時、城にその書類を受け取りに行ったことがあった。
 その時、共もつけずに現れたのが、アキレイアスの国王でもあり、この演習試合を開催したカエレスだったのだ。

『何事も、自由であるべきだ。だから私は好きなことをして、好きに過ごす』

 なんで一人で歩いてるんですか!と口にしたフリヤに、カエレスは笑ってそんなことを言ったのだ。命を狙われる可能性を自覚していないのかと、あの時は随分と冷や汗を掻いたのを覚えている。もしこの場でカエレスに何かあれば、その対処をフリヤ一人で行わなくてはいけないかったからだ。
 あの時の、王を前にした緊張感を、フリヤは忘れられそうにない。穏やかで優しかったが、同時に何か深いものを抱えている仄暗さもあったのだ。

(あのひとの横に侍るってことは、命を守るってことだよな)

 唯一の存在を、命を賭して守るという。
 ただの兵士にも、その誉を与えられる機会というのは、どれほどあるのだろう。フリヤは、闘技場が一望できる観客席まで上がってくると、カエレスの見える位置で腰を下ろした。
 闘技場の真ん中へと歩み出てきたニルと、東門の兵士。確かトカゲの特徴を持つと聞いていた。審判が説明をする中、再びカエレスへと目配せをする。なんとなく、引っかかったことがあったのだ。

(今、笑った?)

 フリヤの目には、口元を緩ませたカエレスが映った。談笑をしているわけではない、むしろ、カエレスは一人で座っていた。玉座の、それも誰からも見えやすい位置に、たった一人で座っていたのだ。
 フリヤの頭の中に、嫌な考えが浮かび上がった。共のものがいないと言うことは、あの時と同じ。誰からも狙われかねない状況ということだ。そういえば、城であったときも言っていた。何事も自由であるべきと。

(自由って、それにしたってこの状況はまずいんじゃないの!)

 大きな歓声が上がる。試合が始まったことを示していた。ニルの試合は、みたい。それでも、フリヤは己の予感を信じて行動した。
 鬼族は、呪術や呪いを得意とする種族でもある。フリヤはあまり得意ではないが、それでも己の予感を何よりも信じて生きてきた。今感じているのは、明確な悪意が起こる予感だ。
 会場中、皆が立ち上がって試合を見る中、人の流れに背くように移動する。きっと、周りからしてみればこちらが迷惑だろう、それでも、少しでも早く近づかなければと気持ちはせいでいた。
 大きな地響きの音がして、観客の一人が声を上げた。

「見ろよ、あいつが奇襲の犯人だ!」

 フリヤが振り向く。砂が立ち上るかのように出現したウラドを前に、その声がニルに向けての言葉だと理解した。

「っ、違うんだって、ニルはあのとき攻撃しなかっ、ぅわ、押すなってば!」
「邪魔だよにいちゃん! なんで逆走してんだ、行儀悪いぞ!」
「それはごめんけど、悪い、通してってば!」

 人混みからまろびでるように、フリヤが地べたに転がった。直したばかりの右肩が痛んだが、泣き言は言ってられなかった。少しでもカエレスに近づくために、階段を駆け上がる。眼下では、ニルの乗ったウラドが鎖に締め上げられるように動きを止めていた。

(なんでやり返さないんだ! ああもう、気が散る……!)

 放射熱で暑くなった鉄の手すりを鷲掴む。カエレスを囲む兵士の前に踊り出れば、一斉に槍を向けられる。東門の兵士だ、見覚えがある。フリヤの目は、引き寄せられるように一本槍へと向けられた。

「お兄さん、槍むける方向間違ってるよ」
「王へと近づくのは許さない! 名を名乗れ!」
「フリヤだよ、同じ東門警備だったろ、覚えてるでしょ」
「貴様……あの、負け犬フリヤか。まさかお前、犯罪者に怯えまいと自らが身堕ちしたか」

 甲冑の隙間から向けられる瞳孔は鋭い。フリヤが苦手とする、人を見下す瞳だった。四本の槍は、鈍い光を放っていた。そのうちの一本、刀身に傷のある槍を前にして、警戒するように身構えた。

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