20261月末に非公開予定 アイデンティティは奪われましたが、勇者とその弟に愛されてそれなりに幸せです。

だいきち

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堕界編

ジュナマリア

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 その瞬間は、唐突にやってきた。
 噴き上げた黒い霧が二人を包み込んだその瞬間、閃光が空気を裂くようにして放たれたのだ。

「っ、なんだ!」

 五人の体の隙間を縫うように、不思議な反響音を伴った紫の光は過ぎ去っていった。視界を悪くしていた霧は徐々に晴れていく。制止を聞かずに飛び込んでいったジュナとメリーの姿は、そこにはいない。
 シグムント達の目の前に現れたのは、幼い双子と入れ替わるように紅い髪を靡かせ、背中から黒い蝙蝠羽を生やした魔族の男だった。

「だ、誰だ……、ジュナと、メリーは……?」
「シグムントてめえ、何か知ってるな」
「ん? うふふ、そうだなあ」

 見知らぬ魔族の登場に呆気にとられる。そんなイザル達を差し置いて、シグムントだけは飄々としていた。どこか楽しげに微笑む様子から、魔族の男が現れることは予測していたのだろう。その銀灰色の瞳はしっかりと赤毛の魔族が何者なのかを捉えていた。

「結界で囲って。反響魔法は俺が放つ」

 マナの体から漏れ出した霧を前に、魔族は端的に宣った。大きな音を立てて、黒い蝙蝠羽を広げる。背後を気にすることもなく、ただ真っ直ぐにマナを見つめる姿に敵意などなく、ただ少しだけ辛そうな雰囲気を纏う。

「説明は後だイザル。囲ってやってくれ」
「ジジイのくせに仕切ってんじゃねえぞ‼︎」

 状況は大きく変わった。わけもわからないまま辺りの魔素を掌に集中させたイザルは、指先を揃えて勢いよく振り上げた。
 キン、と澄んだ音と共に、瞬く間にマナと魔族のみを閉じ込める結界が展開される。準備は整った。結界の内側で、驚愕のまま動けずにいるマナは抵抗するでもなく、大きな黒い蝙蝠羽を広げた青年の前に座り込んでいた。
 シグムント達がいる場所からでは、結界の内側で何をしているのかがわからなかった。半透明のはずの結界が霧によって黒く染まっていく。
 やがて、魔族が反響魔法を放ったらしい。波紋が広がるように、内側で黒い霧が大きく動いた。
 逃げるように、反射するように、魔力の波紋がぶつかり合う。マナの悲鳴とともに、黒い霧が、結界の中で竜巻のようにギュルギュルと渦巻いた。あれがきっと、夜魔だ。

「イザル、結界を解除しろ‼︎ 夜魔が姿を現した‼︎」
「くそ、どんな結界の使い方だっつの……」
「割ったほうが早い。魔力を弱めろ。俺が矢で壊す」

 シグムントの声に、ルシアンは手にした弓を結界へ向けた。イザルを襲撃した時の不可視の弓で放つ矢とは違うそれは、ルシアンによって繊細な力加減で引き絞られる。
 あの時イザルに向けた矢は本気で殺しにかかっていたのかと察したらしい。引き攣り笑みを浮かべるイザルの横で、ルシアンの瞳は結界へと狙いを定める。
 風がギュルリと矢尻に集まった瞬間、その手を離した。空気を切り裂くように、鋭い音を立てて結界へと打つかった矢は、イザルが展開した結界を見事に貫いた。その瞬間、僅かに入った亀裂を押し広げるように、夜魔が結界から飛び出した。

「悪意の種の本当の宿主はそいつだ‼︎ 羽化するぞ、構えろ‼︎」

 シグムントの声に、その場にいたものの表情が変わった。
 夜魔はその身を大きな大蛇へと変えると、鎌首をもたげるようにしてシグムント達を見下ろした。ありえない光景を前に、恐慌状態に陥った堕界の住民たちが、蜘蛛の子を散らすかのようにして逃げまどう。
 まるで、大蛇から住民達を隔てるように立ち並んだイザル達は、顔に面倒臭いを貼り付け魔物を睨みつける。

「貧乏くじばっか引きやがる」
「お前の日頃の行いが悪いからだろう」
「違うよ、トラブルメーカーはシグしかいないじゃん‼︎」
「俺モソウ思ウ」

 煤くさい空気が、足元を撫でていく。鱗を震わせる魔物を前に、シグムントだけは落ち着いていた。銀灰の瞳がキラキラと光る。シグムントの持てる知識が、どこをどうすれば勝利へと導けるかを教えてくれるのだ。

「夜魔は、マナの悪夢を実体化させたのだな。蛇は執着だ。マナが本当に求めていたのは、……」
「引っ込んでろクソジジイ。これは俺の喧嘩だ」
「じゅ、ジュナマリア、……っ」

 ジュナマリアと呼ばれた青年が、マナを抱き抱えるようにして立ち上がる。その表情は魔族らしく瞳を爛々に輝かせ、大蛇へと敵意を向けるイザル達へと牽制するように吐き捨てた。
 翡翠の目を持つジュナマリアの額には、ジュナとメリーと同じツノが生えている。見た目は大きく変わったが、その容貌は実に双子に似ていた。

「あ、お前もしかし」
「ボスうう今はいいじゃん戦わなくていいっぽいんだからああ」
「ゥグっ」

 ようやくイザルがジュナマリアが誰かを理解したらしい。あっと声を出した口を、イェネドによって塞がれた。
 蝙蝠羽をバサリと羽ばたかせる。ジュナマリアが飛び立つと、大きく鱗を震わせた大蛇がグワリと口を開いた。吐き出された紫色の毒霧に、ルシアンがすぐさま風魔法を展開する。ジュナマリアは風の防壁に守られるようにシグムントの前に降り立つと、腕に抱いていたマナを押し付けた。

「預ける」
「おっと……、ああ……わかった」

 マナの体からは、夜魔の呪印は消えていた。しかし、シグムントが腕に抱けるほどにマナの体は軽かった。夜魔によって成長を妨げられていた華奢な体が、泣きそうな顔でジュナマリアを見上げる。大きな怪我をしていないのが救いだった。

「ジュナマリア、いやだ‼︎」
「マナ、ジュナマリアは一人で戦うわけではないよ。俺がサポートする」
「早くしろ‼︎ もうこれ以上防げないぞ‼︎」

 瞳に涙を溜めたマナが、細い手をジュナマリアへと伸ばした。
 その手を取らなかったのは、きっと親としての矜持だろう。イザルの声を背後に小さく頷くジュナマリアの表情は、敗北に怯える様子はなかった。
 風魔法が弱まった。漏れ出した毒霧に気がつくと、ジュナマリアは紅い髪を広げるようにして魔物へと振り向いた。

「ジュナマリア、あれはこちらが見えている。視覚がしっかりとしているのなら、やることは一つだろうよ」
「わかってるよチキショウ、淫魔舐めるなよ‼︎」
「毒腺は、脳天のそばにある」
「なら首を落とせばいい」

 バサリと大きな羽音を立てて、ジュナマリアは飛び立った。
 その姿を追いかけるようにして顔を上げた大蛇を前に、好機と捉えたイザルが再び魔力を練り上げる。
 指先を、ゆっくりと持ち上げるようにして土魔法を行使する。魔力に応えるようにして盛り上がった土は、大蛇の体を固定するように下肢を飲み込んだ。

「夢に堕ちろ」

 喉に魔力を宿したジュナマリアが、空気を震わせるように言葉を紡いだ。不思議な音の波紋が、皮膜で包むように大蛇を飲み込む。
 実体のない夜魔のままなら、ジュナマリアが不利だった。大蛇の姿に転化したことが仇となったのだ。
 大きな体がぐらりと傾いた。その瞬間を待っていたかのように、イザルは飛び出した。

「だああもう眠らせちまったら切り辛いだろうが‼︎」
 
 鞘を投げ捨てた。イザルの持つ聖剣が青い光を放ちながら、空を滑る。地べたへと顎をつけようとする大蛇の下へと、土を削るようにして潜り込んだ。
 このままでは、大きな顎の下敷きになってしまう。誰しもが身を乗り出して動揺したその時、強い光が大蛇の首を囲うようにして半円を描いた。

「うげえっ」
「ギャーーグロイッ‼︎」

 頭だけずらすようにして絶命した大蛇を前に、イマカとイェネドが、情けない声を上げた。
 このままでは、噴き上げた体液を浴びるだろう。そう予測をしたものから、大慌てでルシアンの背後に集まった。
 急かされたルシアンによって展開された結界に、ビシャリと大量の体液がかかる。視界を埋め尽くす赤黒いそれに、内側にいたもの達はわかりやすく顔色を悪くする。

「気分わりいなクソが」

 ズシンと音を立てて体を落とした大蛇は、その血肉をゆっくりと黒い煙へと変えていく。
 冷たい輝きを纏う聖剣を、大きく振るうようにして血飛沫を飛ばす。勢いのまま黒い魔石を叩き割ると、あたり一帯に散らばっていた黒い血飛沫と重々しい空気は、霧となって聖剣に吸収されていった。
 
「あー……しんど……」
「お前の戦い方は、本当に汚いな……」
「うるせえすっこんでろ」

 相変わらずの兄弟のやりとりに、シグムントが苦笑いを浮かべる。
 そんな三人の頭上では、空を飛ぶことで血飛沫の直撃を免れたらしいジュナマリアが、羽音を立てて舞い降りた。長い髪を邪魔そうに手で避けながらずんずんと歩いてくると、シグムントの目の前でぴたりと止まった。

「マナ寄越して」
「う、ぅう、あ、あー……っ」
「おやあ、よしよし泣くな可愛いこ」

 腕を伸ばしたマナを、ジュナマリアが大切そうに抱き上げた。シグムントよりも頭ひとつ分高い魔族を見上げれば、その表情は微かに曇っている。
 ジュナマリアはマナをしがみつかせたまましばらく黙りこくっていた。それは、泣き止まぬマナに対して取るべき行動を考えあぐねているようにも見えた。

「な、なんでぇ……っ、なんでか、隠して、たの……っ」

 その沈黙を、マナが破った。嗚咽混じりの泣き声は、初めてシグムント達と出会った時のマナの印象をガラリと変えるものだった。気の強そうな雰囲気は鳴りを潜め、幼児のように泣きじゃくる。
 まるで会えなかった時間を埋めるかのように、呪印の取れたマナの腕はジュナマリアにしがみついて離れない。
 褐色の掌が、労わるようにマナの背に添えられた。お揃いの、クセのない紅い髪に唇を寄せると、ジュナマリアは弱々しくごめんと呟く。

 マナのすすり泣く声を聞きながら、ジュナマリアの翡翠の瞳は、後悔の色を宿すように色味を深くしていた。


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