恋愛フィルター〜恋愛トーナメント第2章〜

天咲琴乃 あまさき ことの

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第2章

第2話 ガラス越しの温度

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 深夜一時。


 パン屋の二階、古いアパートの一室で、私は小さく息を吐いた。
 原稿を閉じるほど疲れてはいない。でも、続きを書くには、少しだけ間が欲しかった。


 ラジオは、生活音みたいなものだ。
 集中できない夜に流しておくと、部屋の輪郭がはっきりする。


「さっき紹介した作品ですが」
 なくるの声が、淡々と続く。


 感情を煽らない話し方。間の取り方も、音量も、ちょうどいい。
「派手な展開はありません。でも、読んでいると、呼吸が整う感じがする。そんな文章でした」


 私は思わず、笑ってしまった。
 それは、私が一番大切にしていることだったから。


 “刺さる言葉”より、“傷つかない言葉”。
 それを評価されることは、正直、少なかった。


 番組が終わり、私はラジオを消す。
 それでも、なくるの声の余韻は、部屋に残っていた。
 数日後、出版社から連絡が来た。
 深夜ラジオ番組へのゲスト出演依頼。
 新人作家として、短い対談形式だという。
 指先が、一瞬だけ強ばった。
 声の世界。
 そこには、過去がある。
 でも、断る理由を探すほど、恐怖はなかった。


 収録当日。
 ラジオ局のガラス張りの廊下を歩きながら、私は自分が落ち着いていることに驚いた。
 胸が締めつけられない。呼吸が浅くならない。


 ブースの中にいたのは、写真よりも穏やかな男性だった。
「初めまして。なくるです」
 名刺代わりのような、軽い会釈。
 握手を求めてこない距離感。
 私は、それだけで少し安心してしまった。


 収録は、淡々と進んだ。
 作品のこと。パン屋の仕事のこと。
 なくるは、必要以上に踏み込まない。




「無理に言わなくて大丈夫です」
 何度か、そう言われた気がする。
 話し終えたあと、ガラス越しに見えるスタッフが合図を出す。



 録音終了。
「今日は、ありがとうございました」
 なくるはそう言って、椅子から立ち上がった。
 それだけだった。


 帰り道、私は気づく。
 “評価された”のに、疲れていない。


 褒められたのに、彼の言葉の裏を探らずに、疑わなかった。



 沈黙が起きても、不安にならなかった。
 これは、初めての感覚だった。


 恋愛は、まだ遠い。
    恋愛をするのは、まだ怖い。


 でも――信頼は、すぐ隣にある。


 私は、心の中でそっと確認する。


 この人は、今のところ、フィルターを通過している。
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