恋愛フィルター〜恋愛トーナメント第2章〜

天咲琴乃 あまさき ことの

文字の大きさ
6 / 12
第6章

第6話 声優という仕事

しおりを挟む
 声優という仕事

 なくるは、収録の合間に台本を閉じた。
 声を出さない時間は、意識的につくるようにしている。声は便利だけれど、使いすぎると、人との距離を誤魔化してしまうからだ。



 若い頃は違った。
 勢いで近づいて、勢いで褒めて、勢いで距離を詰める。



 それが“仕事ができる人間”だと思っていた時期がある。



 共演者の話題になったとき、ふと、ある名前が頭をよぎった。
 雷牙。



 直接、問題を起こすタイプではない。けれど、どこか引っかかる。



 彼は、声を武器にする。


 相手の反応を見ながら、言葉を選ぶ。
 褒めて、黙って、また褒める。


 人を“調整”する癖がある。


 なくるは、それが苦手だった。


 声は、相手を動かすための道具じゃない。
 ただ、伝えるためのものだ。



 「相手の人生に入り込むな」



 昔、先輩に言われた言葉を思い出す。
 表現の仕事をしているからこそ、越えてはいけない線がある。
 ラジオの打ち合わせで、雨音の名前が出た。
 新人作家、Amane。
 作品は静かで、余白が多い。
 なくるは、彼女の文章を思い出す。
 説明しすぎない。
 読者を急かさない。



 声優の仕事と、似ている。


 その夜、なくるはラジオで言った。
 特定の誰かに向けたわけじゃない。
 でも、意識の片隅には、確かに彼女がいた。


「声の仕事って、距離感が大事なんですよね」



 リスナーからの質問に、そう答える。
「近づきすぎると、相手の人生を奪ってしまう。
 遠すぎると、何も届かない」



 ちょうどいい距離は、簡単じゃない。



 でも、探し続けるしかない。
 放送後、なくるは一人、スタジオを出た。
 廊下のガラスに映る自分の顔は、少しだけ大人びて見えた。



 彼は思う。
 もし、雨音が過去に“声”で傷ついた人だとしたら。


    そんなことが脳裏を過ぎる。あの警戒心はどこからくるんだろうか。そして自分を避けようとした。自分のことなのか、声の仕事をしていた他の誰かに傷ついたのか。



 自分は、絶対に同じことはしない。
と、言ったところで信じてもらえるかも分からない。


 名前を聞かなくても、理由を尋ねなくてもいい。


 尊重することは、できる。


 それが、大人であるということだ。



 なくるは、まだ踏み込まない。
 けれど、諦めたりもしない。


 距離を測りながら、同じ場所に立つ。
 それが今の、彼の選び方だった。



  声優という仕事は、声を吹き込む仕事で、ひとに夢を与える仕事で、人の心を弄んだり、人の心を支配するためのものではない。



    心理学もそう、声の仕事もそう。使うものの善意に寄る。悪用すればなんでも凶器になる。声という武器は。


    声優という仕事は。


 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

さようなら、あなたとはもうお別れです

四季
恋愛
十八の誕生日、親から告げられたアセインという青年と婚約した。 幸せになれると思っていた。 そう夢みていたのだ。 しかし、婚約から三ヶ月ほどが経った頃、異変が起こり始める。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

元恋人が届けた、断りたい縁談

待鳥園子
恋愛
シュトルム辺境伯の末娘ソフィに隣国の帝国第二皇子から届けられた『縁談』の使者は、なんと元恋人のジョサイアだった。 手紙ひとつで別れることになったソフィは、素直になれずジョサイアから逃げ回る。 「私に届けなければ、彼は帝国に帰ることが出来ない」 そう思いようやく書状を受け取ろうと決意したソフィに、ジョサイアは何かを言い掛けて!?

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

真実の愛は水晶の中に

立木
恋愛
学園の卒業を祝うパーティーの最中、レイシア・マレーニ侯爵令嬢は第三王子とピンク髪の女、その取り巻きたちによって断罪されようとしていた。 しかし断罪劇は思わぬ方向へ進んでいく。 ※AIイラスト使用 ※「なろう」にも重複投稿しています。

処理中です...