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1口の五分休符ー朗読する歯科医師5人組ー
2話 理(おさむ)
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理(おさむ)
声がいいですね、と言われることがある。
自分ではよく分からない。
ただ、落ち着いて話すようには心がけている。
「噛み合わせはですね、上下の歯だけの問題じゃないんです」
僕は、模型を手に取る。
顎、首、肩、姿勢。
全部、線でつながっている。
患者さんは、真剣にうなずく。
その表情を見ると、少し安心する。
伝わっている、と思えるから。
勤務医として働き始めて、もう数年になる。
院長のような決断力はない。
蒼太みたいな尖った専門性もない。
律のように、空気を一瞬で和らげることもできない。
だから僕は、説明する。
言葉を重ねる。
理解してもらうことで、安心してもらおうとする。
――それが、正しいと信じてきた。
その日、診察に来たのは若い母親だった。
小さな子どもを連れていて、目の下にうっすら影がある。
「歯が痛いわけじゃないんですけど……」
そう前置きして、彼女は言った。
噛みしめてしまう。
夜、気がつくと顎が疲れている。
「なるほど」
僕はいつものように、説明を始めた。
ストレス、育児、睡眠不足。
医学的に正しい言葉を、順序よく並べる。
彼女は、うなずいていた。
でも、どこか遠い目をしていた。
説明が終わって、ふと気づく。
――この人、少しも楽になっていない。
言葉は届いている。
意味も理解している。
それなのに、表情が変わらない。
「……すみません」
彼女が、ぽつりと言った。
「私、ちゃんとやれてないですよね」
胸の奥が、ひやりとした。
違う。
そんなつもりで説明したわけじゃない。
「いえ、そんなことは」
そう言いかけて、言葉が止まる。
“そんなことはない”と否定する根拠を、
僕は今、医学でしか用意できていない。
説明できないものが、目の前にあった。
そのとき、院内放送が鳴った。
――五分休符の時間です。
誰が決めたのか、分かっている。
閑院長だ。
あの人は、こういう瞬間を逃さない。
「少し、休みましょう」
僕は、模型を置いた。
説明をやめた。
時計を見る。
五分。
ただ、同じ空間にいるだけ。
彼女は、深く息を吐いた。
それを見て、僕は初めて気づく。
この人は、
説明を求めていたんじゃない。
責められない時間を求めていたのだ。
「……声、落ち着きますね」
彼女が、そう言った。
それは診断でも、治療でもない。
でも、なぜか胸が熱くなった。
五分後。
彼女は「ありがとうございました」
と言って帰っていった。
歯は、何も治していない。
それでも、僕は思う。
説明できることばかりを、大事にしすぎていた。
説明できないものを、怖がっていた。
優しさは、言葉じゃない。
時々、黙る勇気だ。
診察室に戻ると、蒼太が腕を組んで立っていた。
「お前、説明しすぎ」
「……分かってる」
律が横から笑う。
「でも、その声は武器ですよ」
叶芽はもう次の予定を確認している。
院長は、何も言わずに微笑んだ。
五分休符。
それは、僕にとっての休符でもあった。
説明をやめても、
医者でいられると知ったから。
声がいいですね、と言われることがある。
自分ではよく分からない。
ただ、落ち着いて話すようには心がけている。
「噛み合わせはですね、上下の歯だけの問題じゃないんです」
僕は、模型を手に取る。
顎、首、肩、姿勢。
全部、線でつながっている。
患者さんは、真剣にうなずく。
その表情を見ると、少し安心する。
伝わっている、と思えるから。
勤務医として働き始めて、もう数年になる。
院長のような決断力はない。
蒼太みたいな尖った専門性もない。
律のように、空気を一瞬で和らげることもできない。
だから僕は、説明する。
言葉を重ねる。
理解してもらうことで、安心してもらおうとする。
――それが、正しいと信じてきた。
その日、診察に来たのは若い母親だった。
小さな子どもを連れていて、目の下にうっすら影がある。
「歯が痛いわけじゃないんですけど……」
そう前置きして、彼女は言った。
噛みしめてしまう。
夜、気がつくと顎が疲れている。
「なるほど」
僕はいつものように、説明を始めた。
ストレス、育児、睡眠不足。
医学的に正しい言葉を、順序よく並べる。
彼女は、うなずいていた。
でも、どこか遠い目をしていた。
説明が終わって、ふと気づく。
――この人、少しも楽になっていない。
言葉は届いている。
意味も理解している。
それなのに、表情が変わらない。
「……すみません」
彼女が、ぽつりと言った。
「私、ちゃんとやれてないですよね」
胸の奥が、ひやりとした。
違う。
そんなつもりで説明したわけじゃない。
「いえ、そんなことは」
そう言いかけて、言葉が止まる。
“そんなことはない”と否定する根拠を、
僕は今、医学でしか用意できていない。
説明できないものが、目の前にあった。
そのとき、院内放送が鳴った。
――五分休符の時間です。
誰が決めたのか、分かっている。
閑院長だ。
あの人は、こういう瞬間を逃さない。
「少し、休みましょう」
僕は、模型を置いた。
説明をやめた。
時計を見る。
五分。
ただ、同じ空間にいるだけ。
彼女は、深く息を吐いた。
それを見て、僕は初めて気づく。
この人は、
説明を求めていたんじゃない。
責められない時間を求めていたのだ。
「……声、落ち着きますね」
彼女が、そう言った。
それは診断でも、治療でもない。
でも、なぜか胸が熱くなった。
五分後。
彼女は「ありがとうございました」
と言って帰っていった。
歯は、何も治していない。
それでも、僕は思う。
説明できることばかりを、大事にしすぎていた。
説明できないものを、怖がっていた。
優しさは、言葉じゃない。
時々、黙る勇気だ。
診察室に戻ると、蒼太が腕を組んで立っていた。
「お前、説明しすぎ」
「……分かってる」
律が横から笑う。
「でも、その声は武器ですよ」
叶芽はもう次の予定を確認している。
院長は、何も言わずに微笑んだ。
五分休符。
それは、僕にとっての休符でもあった。
説明をやめても、
医者でいられると知ったから。
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