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#6 泡沫の特別

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 気が付いたら、そこは薄暗いカラオケ店の一室だった。そうだ、ここで私は……。

「気が付いたかい?」

 身体を起こすと、友庭さんはグラスで水を飲んでいた。私も水分が欲しくて、入る時に持ってきたお茶で唇を湿らせる。あれが女同士の行為……キスも、その先も全部が初めての体験で、気分がふわふわして、気持ちよくて一人でするのとは大違い。いつどんな刺激がくるのか分からなくて、あぁ、クセになってしまいそうだ。

「私、友庭さんともっとこういうことがしたいんです。特別な関係になりたいんです……ダメ、ですか?」

 私の言葉に、友庭さんは首をかしげるだけだった。どういう、意図なんだろう。

「ことセックスに関しては百香の方が1000パーセント巧いのだから、私に頼ることないだろう?」
「ふふ、友庭さんは人の心や倫理に本当に興味がないんですね。でも、そういう所が特別な感じがして……だから私は好きなんですよ」

 自分の友達や園芸部の先輩、後輩それから商店街の友達、そして兄姉の友達……多くの縁に恵まれて人に囲まれて過ごしてきたけれど、誰もが特別な光を持っているように見えて、自分だけがそれを持っていない。夢はあるけれど、曖昧だし悩んでいるし、それに向けて努力しているわけじゃない。友庭さんに惹かれるのは……夢や目標に向かって、一番まっしぐらだからなのかもしれない。私の言葉に、友庭さんは答えない。きっと、私の言葉の意味を理解してないのかもしれない。よっぽど、他人に興味がないのだろう。

「私を恋人にして欲しいんですけど、どうですか?」

 だから直接聞かないと。そうしないと友庭さんは言葉にしてくれないのだから。脳裏に、友庭さんが言った普通かなの言葉がリフレインする。普通に振られる方がまだ傷が浅い。それくらい、普通だと切り捨てられたことが苦しい。

「恋人かぁ。興味ないね。それに、私もうじき卒業だからね」
「それはそうですけど……なんとか」

 告白の文句じゃないなぁという自覚はあるけれど、ここで折れたら女が廃るわけだ。

「誰だっていいんじゃないの? 私じゃなくたって」

 そう言われたっておかしくないよね……。特別が欲しいから、誰かと付き合いたい。友庭さんからすれば私は友達の妹ってだけで……それこそ普通の女の子なんだから。友庭さんにはなんのメリットも無い。損得勘定で付き合うのもおかしな話だけれど、そもそも友庭さんが私に惹かれる理由がないんだ。私のことを美味しいって言ってくれなかったし。

「まぁ、いいけどね。卒業までなら……うん。あんまり会える時間ないよ?」
「え、いいんですか!?」

 思わぬ言葉に思わず立ち上がる。友庭さんは、誰でも良いなら自分でもいいんじゃないかなと言って、私との交際を受け入れてくれた。これで……私も、特別。胸の高鳴りを感じつつ、卒業までとは言いながらもその先のことが気になって問いかけた。

「友庭さん、進路はどうするつもりなんですか?」
「関東の理工科系の大学。ジェルマットの開発となるとなかなか進路は絞られるね。万和ちゃんはなにか夢はあるのかい?」

 友庭さんみたいに、真っ直ぐ夢に向かっているわけじゃない。まだ、ふわふわと考えがまとまっていないのを話すのがイヤで、つい黙ってしまう。それでも、友庭さんは引かなかった。促されるまま、私は将来の夢について話した。そういえば、家族にも話してないのに。

「和菓子の仕事もいいなと思います。でもハーブも好きで、研究者にも憧れるし……薬剤師もいいですね」

 聞いておいてそんなに興味の無い反応を示すあたり、友庭さんだなあと思わずにはいられない。確たる自分を持っているのも、惹かれる理由なんだろうなぁ。

「困ったら、一番難しい選択肢がいいんじゃないかな。私にはどれが一番難しいか分からないけれど」

 一番難しいのは……どれだろう。簡単なのは家の手伝いとして、ハーブの研究かお薬の研究……農学部か薬学部って考えたら、きっと薬学部なんだろうなぁ。ぐるぐると回り始めた思考は、部屋に備え付けられた電話の音に断ち切られた。

「時間か。出よう。ここのお金は私が持つから気にしないで」
「あ、ありがとうございます……」

 店を出ると、もう夕暮れ時だった。そのまま去ってしまいそうな友庭さんを呼び止めて、最後にもう一度確認をした。私たちは特別な関係なのか、と。頷いてくれた友庭さんに、私からの初めてのキスを交わした。
 たとい時限式で壊れてしまうそれだとしても、私はやっと……特別を手に入れたんだ。
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